使徒 24章

「しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。」(24:25)

パウロは、自分の身柄を拘束し、判決を下すことができるフェリクスに直接伝道をすることができる機会が与えられました。

その時パウロは、賄賂を渡すことも、耳に心地よいことも話すこともしませんでした。

明確に、

正義と節制と来たるべきさばきについて論じた

と言います。

それでフェリクスは恐ろしくなったと言います。

聖書は明確に言います。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)

すべての人は必ず死ぬ時があり、そして、裁きの座に立つことが定まっています。

神は義なる神であり、すべてのことを必ず正されます。

イエス・キリストの十字架の御業のゆえに、イエス・キリストを救い主、自分の人生の主として信じる者は救われます。

使徒 23章

「パウロは答えた。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはならない』と書かれています。」」(23:5)

パウロは最高法院に連なる人だったので、アナニアが大祭司だと知らなかったはずがありません。

今日のパウロの発言は皮肉です。

パウロは大祭司アナニアに対して辛辣です。

「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる。あなたは、律法にしたがって私をさばく座に着いていながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」(3節)

「白く塗った壁」、それは偽善者、腐敗したペテン師ということです。

大祭司はサドカイ人であり当時の特権階級でした。

パウロが属していたパリサイ人は、サドカイ人が神の律法を守らず、堕落していたことに反発を感じていました。

ですからパウロの発言は激しい論争をもたらしました。

歴史はこの後五十年も経たないうちにサドカイ人の権威が失墜することを伝えます。

神はすべてをご存じです。

使徒 22章

「パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになった。そこでパウロは言った。」(22:7)

パウロはディアスポラ(離散民)と呼ばれる、キリキア出身のユダヤ人でした。

キリキアは今のトルコに位置し、当時の公用語はギリシア語で、パウロもギリシア語を話していました。(21:37)

しかし、教育はエルサレムで受けました。(3節)

パウロはギリシア語とヘブル語をうまく使い分けていました。

パウロの祈り、それは同胞のユダヤ人たちが救われることでした。

パウロにとってこの暴動は、図らずも同胞のユダヤ人に対する伝道の機会となりました。

この時、パウロが語ったことは、ギリシア的哲学論争でもユダヤ的神学論争でもありませんでした。

パウロはただ自分のイエス・キリストとの体験を語ったのです。

自分が体験したことを誰も否定することはできません。

ですから専門的な教育を受けていなくても誰でも福音を伝えることはできます。

使徒 21章

「彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。」(21:14)

パウロの行動を誰も理解することができませんでした。

エルサレムに行くことは危険が伴うことであると誰もが認識していました。

預言者でさもそのことを告げました。

それで人々は、

エルサレムには上って行かないようにと懇願した。」(12節)

と言います。

しかし、パウロは頑として聞かなかったと言います。

あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」(13節)

パウロの行動を誰も理解できませんでしたが、人々は

「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。

と言います。

時に、主の僕がしていることが理解できなくても、「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐむことも大切なことです。

愛唱歌

召天式からちょうど一週間が経ちました。

お花が大好きだった鈴木純子姉に相応しい、美しい花いっぱいの式となりました。

特別賛美に選んだ曲は「十字架のイエス」。

いつだったか純子姉の好きな賛美を伺った時に真っ先におっしゃっていた曲です。

きっと天国で一緒に賛美してくださったと思います。

骨壺や遺影は教会でお預かりすることになりました。

火事の後しばらく過ごしていた教会二階真ん中の子ども部屋に安置してあります。

そこを通るたびに笑顔の純子姉の写真につられて、私も笑顔になります。

日を追うごとに寂しさは募っていきますが 瞼にうつる純子姉がいつも笑顔なのでわたしも笑顔にならねばと思います。

礼拝堂、教会の入り口、横断歩道、アパートの側の道、花壇、ジェニーの水槽、、、そこここに笑顔を残してくださった純子姉。

わたしにとって、お母さんのような存在でした。

同じ時代、同じ教会で共に過ごす日々を与えてくださった神様に心から感謝します。
(小山晶子牧師夫人)

全ての力と 権勢にまさる主イエス
計り知れない知恵によって 全てを造られた
国々と権力 世のどんな名声より
世のどんな宝より さらに尊い主よ
十字架で苦しまれ 捨てられ うらぎられて
踏まれたバラのように
我がため死なれた 主イエス

(十字架のイエス:Above All)

使徒 20章

「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(20:32)

エペソ教会の長老たちに、パウロは教会全体に気を配ることを命じます。

神がご自分の血をもって買い取られた」(28節)

からです。

教会を否定し、曲がったことを語って自分の方に引き込もうとする人たちが起こるから、しっかりと聖書の御言葉の土台に立つようにパウロは警告します。

そして今、私はあなたを神の御手と神の恵みのメッセージに委ねますが、それはあなたが強くなるために必要なすべてのものです。神の祝福はすべて、神の恵みのメッセージを通して与えられるものであり、それは神の聖なる者たちすべてに与えられる霊的遺産として提供されるものです。」(TPT)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げ、主の御言葉に生きましょう。

使徒 19章

「しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。」(19:9)

パウロの宣教は

聞く耳のある者は聞きなさい。」(マルコ4:9)

というスタイルでした。

パウロはエペソにあるユダヤ人会堂に入って、

三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。」(8節)

とあります。

ところが、彼らが聞く耳がないと分かると、別の所で語り始めます。

しかしある者たちがパウロの話を非難し、人々の面前でキリストに逆らうことばを口にしたので、もう二度と相手にしないことに決め、会堂での説教はそれきりになりました。代わりに、クリスチャンたちを誘って、ツラノの講堂で別の集会を開き、毎日そこで語りました。」(9節LB)

このパウロの宣教方法によって、

アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。

と言います。

使徒 18章

「その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。」(18:1,2)

ギリシア哲学の中心地アテネから、不道徳な港町として有名だったコリントにパウロは行きました。

その時の様子をパウロはこう説明しています。

「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(1コリント2:3)

つまり、落ち込んでいたのだと思います。

そこで、ローマを追放されたユダヤ人たちの夫婦、アキラとプリスキラに出会いました。

アキラたちもローマを追放されて落ち込んでいたかもしれません。

しかし、この出会いが新たな宣教の窓を開くこととなります。

私たちには理解できないことがたくさんあります。

しかし、神は全てを益とされます。

使徒 17章

「それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。」(17:27)

使徒パウロはギリシア哲学の中心地、アテネで論じ合いました。

アテネの人たちの特徴を聖書は次のようにまとめています。

「アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(21節)

残念ながら、何か新しいことを話したり、聞いたりすることで日々を費やしているだけならば、神に出会うことはできません。

ですから、パウロは単刀直入に言います。

「もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。」

アテネの人の問題は神を求める思いの欠如でした。

人が必要としているのは、新しい知識ではなく、生ける神です。

新しい知識ではなく、生ける神を求めることこそ、人が最も必要としていることです。

使徒 16章

「さて、祈り場に行く途中のことであった。」(16:16)

ピリピには十分なユダヤ人がいなかったためユダヤ人会堂がなかったということだと思われます。

パウロたちは、祈り場があると思われた川岸に行きました。

そして、祈り場に集まっていた女性たちに福音を語りました。

すると、神を敬う人、リディアが主を信じバプテスマを受けました。

祈り場は神の奇跡の場です。

しかし、パウロたちは、その祈り場に行く途中で問題に巻き込まれてしまいます。

彼らの後をついてきた占いの霊につかれた若い女奴隷から占いの霊を追い出したために、それで金儲けをしていた彼女の主人たちが、パウロたちを捕らえて、むちで打たせて、牢に入れたのです。

しかし、祈り場に行く道は、奇跡への道です。

真夜中、パウロたちが賛美をしていると大きな地震が起こります。

その結果、看守の家族が救われることになります。

祈り場は神の奇跡の場です。