詩篇 31篇

「主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、厳しく報いをされる。」(31:23)

神の愛は世界の不思議」(21節MSG)

とダビデは言います。

パウロは

人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。」(エペソ3:19)

と言いましたが、この神の愛に満たされるならば

主を愛せよ」(23節)

という命令も理解できます。

勇気を出せ。強くあれ。あきらめるな。すぐ神がここに来られることを期待せよ」(24節MSG)

と言うことも納得できると思います。

主にある敬虔な者たち

とあるように、主を畏れ、主に誠実であることが求められています。

「高ぶる者」をMSG訳では

傲慢にも単独で行く人

と訳します。

イエス様は、

あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ15:4)

と言われました。

イエス・キリストが必要であることを認めることができますように。

九官鳥

九官鳥という鳥をご存知ですか。

カラスを小さくしたような黒い姿で、くちばしはオレンジ、頬と足は鮮やかな黄色が特徴的な鳥です。

わたしは幼いころ両親が共働きだったため日中は知り合いの家に預けられていたのですが、その家で九官鳥を飼っていました。

とにかくよくしゃべる子で「おはよう」「こんにちわー」「ワンワン」など今思えばすべて関西のイントネーションで昼夜問わず話しかけてくるのです。

そんな懐かしい思い出の鳥につい先日遭遇しました。

栄区役所の近く、歩道でしかも四羽も!

あまりにも驚いて運転中なのに二度見してしまい、ルームミラーでも確認したのですが間違いなく九官鳥でした。

なぜ九官鳥がしかも複数匹ここにいるんだろう、、、

九官鳥は繁殖方法が確立していないため一羽20万―40万円するそうです。

いえ、大丈夫です。

わたしは捕まえたりしません。

それにしてもなぜあそこに九官鳥が、、、

謎は深まるばかりですがあの頃の自分を暫し思い出し、いま神様の祝福の中で生かされている幸いを感謝しました。
(小山晶子牧師夫人)

詩篇 30篇

「あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました。私の粗布を解き、喜びをまとわせてくださいました。」(30:11)

神は私たちの人生を良い方に変えてくださるお方です。

たとえ躓いても、神の驚くばかりの恵みが私たちに希望を与えます。

まことに、御怒りは束の間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(5節)

私たちに求められていることは、主を祈り求めることです。

主よ、あなたを私は呼び求めます。私の主にあわれみを乞います。」(8節)

わが神、主よ、私が叫び求めると、あなたは私を癒やしてくださいました。主よ、あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私を生かしてくださいました。私が穴に下って行かないように。」(2,3節)

主は私たちの祈りに応えてくださいます。

私たちは主の御名をあがめます。

今日は主の日。共に主なる神に礼拝を捧げましょう。

※ 新型コロナの急速な感染拡大の対策のため。本日のSSCの主日礼拝はライブ配信のみとさせていただきます。

YouTubeのライブ配信は10:25から開始します。

 

詩篇 29篇

「主はご自分の民に力をお与えになる。主はご自分の民を平安をもって祝福される。」(29:11)

主の声は力強く 主の声は威厳がある。」(4節)

とダビデは歌います。

今、私たちはこの力強く、権威がある神の御声を、聖書を読むことを通して聞くことができます。

神の御言葉に力がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは力を受けることができます。

神の御言葉に権威がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは祝福を受けることができます。

ですから、毎日、聖書を読み、神の御声を聞くことは信仰生活を歩む中で重要です。

聖書は言います。

主は大洪水の前から御座に着いておられる。主はとこしえに王座に着いておられる。」(10節)

主はコロナ禍の前から御座についておられます。

今も、そして、これからも御座についておられます。

神の主権を認め、主の御声に耳を傾け、今日も上からの力をいただきましょう!

詩篇 28篇

「ほむべきかな主。主は私の願いの声を聞かれた。」(28:6)

聖書の神は、私たちの祈りを聞かれるお方です。

私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業をなされるお方です。

しかし神は、自動販売機やジーニーのように、私たちの祈りを聞かなければならないというわけではありません。

神は神です。

ただ、神は私たちの祈りを聞かれることを選ばれます。

ただし、ダビデが「私に沈黙しないでください」(1節)と訴えたように、時には、聞いておられないのではと思うことがあります。

ダビデも、周りの状況を見る時に、そう思わずにはいられませんでした。

しかし、主を見上げる中で、ダビデの視点は変えられます。

主は私の力 私の盾。私の心は主に拠り頼み 私は助けられた。私の心は喜び躍り 私は歌をもって主に感謝しよう。」(7節)。

詩篇 27篇

「もしも私が生ける者の地で主のいつくしみを見ると信じていなかったなら──。」(27:13)

時として、キリスト教信仰を、死後の保険のように考える人がいます。

もちろん、キリストを信じるならば天の御国に入ることができます。

しかし、それは、この地上では神のすばらしさ、良さを見ることができないという厭世的な信仰とは違います。

ですから、詩人は言います。

私は信じます。生ける者の地で主の恵みにまみえることを。」(13節協会共同訳)

私たちは、生きているこの地でも神の恵み、いつくしみを体験することを信じなければなりません。

ですから詩人は言います。
いらだってはいけません。主を待ち望みなさい。主は必ず来てくださり、あなたを救ってくださいます。勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。主はきっとあなたを救ってくださいます。」(14節LB)

新型コロナ感染急拡大への教会の対応 (2022.1.27)

本日(1/27)のビブリオンは新型コロナの急速な感染拡大の対策のため中止します。

明日(1/28)の祈祷会、日曜日(1/30)の主日礼拝も奉仕者のみのライブ配信のみの対応とさせていただきたいと思います。

皆様の上に神様の特別な守りがありますようお祈りします。

栄シャローム福音教会

牧師 小山英児

詩篇 26篇

「感謝の声を響き渡らせて語り告げます。あなたの奇しいみわざのすべてを。」(26:7)

神が私たちに求めておられることは、感謝の歌声を響き渡らせることです。

神の不思議な御業のすべてを語り伝えることです。

ダビデは言います。

あなたの恵み(ヘセド・信実の愛)は私の目の前にあり、あなたの真理(エメット・真実)のうちを私は歩み続けました。」(3節)

神の信実の愛を見失わないように、神の真実のうちを歩むように気をつけてきたと言います。

そして何よりも、主の宮、神の臨在を愛してきた(8節)と言います。

主の宮は感謝の歌声が響き渡る場所であり、神の奇しい御業を語る場所です。

そのような場所に神の栄光は現され、人々はそのような場所を愛します。

教会は議論する場所ではなく、そのように神の栄光がとどまる場所です。

詩篇 25篇

「主を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。」(25:12)

主はいつくしみ深く正しくあられます。それゆえ罪人に道をお教えになります。」(8節)

「いつくしみ深く」と訳された単語はトーヴ、「良い」(Good)です。

神は良いお方であるがゆえに歩むべき道を教えてくださるということです。

さらに主は

拒絶された者に手を差し伸べる」(9節MSG)

お方だと言います。

辱められることは辛いことです。

しかし、そんな人に手を差し伸べられるお方だと言います。

だから、主を恐れることが大切だと聖書は言います。

主を恐れる人はどこにいますか。主はその人に、最善のものを選ぶ秘訣を教えてくださいます。」(12節LB)

私たちの目はどこに向いているでしょうか。

主を恐れ、主を見上げましょう。

私の目はいつも助けを求めて、主に向いています。私を救い出せるのは、主おひとりだからです。」(15節LB)

詩篇 24篇

「門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。」(24:9)

ダビデは、神の臨在を象徴する契約の箱が、エルサレム神殿に入ってくることを意識して、この詩を書いたと思われます。

しかし、これはまた預言的な意味も含んでいます。

神の御子イエス・キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城される日を、預言していると考えられます。

さらに、イエス・キリストはこう約束されました。

しかり、わたしはすぐに来る。」(黙示録22:20)

イエス・キリストは再び、この地に来られます。

メッセージという訳では今日の箇所をこう訳しています。

目を覚ませ、寝ぼけている町よ!

目を覚ませ、寝ぼけている人々よ!

栄光の王が入ってくる準備は整った。

その日は遠くありません。

栄光の王、イエス・キリストは再び来られます。