マタイ12:22-45

「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」(35節)

自分の心を何で満たしているか、それが問われています。LBではこう訳しています。

「良い人のことばを聞けば、その人の心の中にすばらしい宝がたくわえられていることがわかります。しかし、悪い人の心の中は悪意でいっぱいです。」

からだに良いものを食べることが健康のために大切なように、心に良いものを吸収する必要があります。ですから聖書は言います。

「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)

寒い

冬は夏より好きです。汗をかかなくていいし、空気がピンと澄んでいて富士山がきれいに見えるし、星もよく見えるし、乾燥していてくせ毛が落ち着いてくれるから。亀のジェニーは、以前水が凍りついてひやっとしたことがあったので家の中で冬を越すことになり、冬眠せずに元気に過ごしています。猫たちは人間のためにつけてあるホットカーペットの上で毛づくろいをしたり、ゴロゴロしたりして猫らしく過ごしています。
先週御殿場で新年聖会が行われ、シャロームから三人の新成人が参加し、祝福を祈っていただきました。これからの歩みは春のような時期、冬の寒さのような厳しい時期もあると思いますが、そのような中でも神様の恵みは絶えず注がれていて、その厳しさの中でしか見ることのできない景色を体験し、味わってもらえたらと願っています。
(小山晶子牧師婦人)

マタイ7:24-8:22

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」(8:3)

「らい病」は、新改訳の第三版では「ツァラアト」と訳されていますが、これはいわゆるハンセン病とは違うため、混合することを避けるためです。感染症のため、誰も、ツァラアトに冒された人に触れることも、近づくこともありませんでした。そもそも、人々が集まる所に来ることも許されませんでした。イエス様は病気をいやすために、必ずさわったわけではありません。この直後の百人隊長のしもべには会ってさえいません。しかし、ここでは、あえて手を伸ばして、彼に触れたところに大きな意味があります。ここにイエス様のみこころがあります。

まどわしの光?

数週間前、教会に一番近い街灯の修繕が行われました。もう半年近く前になりますが、真夜中に交通事故があり(とはいっても自損事故なのですが)街灯がついているポールがぐにゃりと曲がってしまい、全てが撤去されていたのです。この場所で事故があるのはその時で私たちが知っているだけでも3回目。いつも同じような状況で事故が起こるので不思議に思っていました。日頃コンビニの明かりや信号の明かりがまぶしくてこの場所に街灯がなくなったことを喜んでいたのですが、修繕によって更に明るい夜が戻ってきていました。ところが街灯が修繕されてほんの数日で、また同じ場所で真夜中事故が起こったのです。撤去されていた時には一度も起こらなかったのに。事故を引き起こす惑わしの光。私たちもそんなふうにならないよう真理の光に目を向けていきましょう。(小山晶子牧師婦人)

宿題、そして祝大

デイリーデボーションは創世記から黙示録までの旅を一日一章、五周してきました。当初は、聖書を共に読み、その読んだ箇所から主日のメッセージを語ると言うスタイルでした。2018年を迎えるにあたって、聖書のみことばをさらに味わうことができるように、新約聖書を一年で読み終わることができる聖書日課に共に挑戦していきたいと願っています。主日のメッセージもその読んだ箇所の中から基本的には語らせていただきたいと願っています。大和カルバリーチャペルの大川先生は、「宿題の箇所から」という表現をされています。もっとも聖書日課の「宿題」は、祝福が大きい「祝大」だと言います。新しい年、祝福が大きい新約聖書通読の「祝大」(宿題)に共に挑戦していきたいと思います!

スカイツリー

先週金曜日、所用で葛飾まで車で行くことになりました。その場所にはこれまでも何度か行ったことがあり、道順もさほど難しいわけでもありません。ところが、師走のせいでしょうか、トラックの数が非常に多いうえにあちこちで事故も発生し、ナビがいつもとは違う都内を通る恐ろしい道へ誘導しようとするのです。唯一の道しるべは葛飾にほど近い場所にある東京スカイツリー。

「大丈夫、スカイツリーが見えてるから。」

「大丈夫。スカイツリーが近づいてきたから。」

幾度となく確認しつつ、無事目的地にたどり着くことができました。何度もスカイツリーに目をやりながら思いました。イエス様から目を離さないってこういうことなんじゃないか。そこに向かうプロセスには不安や恐れ、事故、渋滞などがあるのですが、イエス様を見失わなければ必ず約束の場所へ到着することができるんだということを。イエス様が見えているかを常に確認しつつ今週も歩んでいきましょう。  (小山晶子牧師婦人)

ローマ 12章

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(1節)

LBでは、こう訳しています。

「愛する皆さん。そういうわけですから、あなたがたにお願いします。あなたがたの体を、神に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてささげてください。それが神への礼拝となるのです。」

神の目的のために生きることは、一度の決断だけの話ではありません。神と共に歩むためには、日々のあなたの心の姿勢が求められます。日々、日常生活における様々な決断でも神を第一に求めることです。神の目的のために、今日を生きる決断をしましょう。

ピリピ 4章

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(6,7節)

不安というのは、神ではなく、恐れに焦点を合わせることです。そして、不安は何も解決しません。不安はただ問題を大きくするだけです。不安になればなるほど、平安を失っていきます。聖書は祈りが信仰への小道だと言います。祈りだけが、物事を適切な視点に置くことができる方法だからです。
もっとも祈りは願いだけではありません。「感謝をもってささげる祈り」もあります。「すべての事について、感謝しなさい。」とあるように、プラスに見えることも、マイナスに見えることも感謝できますように。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

(リック・ウォーレン師の『祈りの四〇日』から)

祈りの四〇日

二〇一四年八月十二日、創世記一章から一日一章続けてきたデイリーデボーションも、先週、十一月十六日で六六巻終わりました。二〇一八年の新年からまた、仕切り直していきたいと思います。それまで、リック・ウォーレン先生の「祈りの四〇日」という四〇日間のデボーションから共に祈りを黙想していきたいと思います。

黙示録 10章

「七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな。」と言うのを聞いた。」(4節)

聖書には、明らかにされた真理と隠された真理があります。申命記29:29にも、こう記されています。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」(口語訳)

まず、私たちは明らかにされた真理、たとえば、「イエス・キリストを自分の救い主として信じる人は誰でも救われる」ということは、私たちに属することとして握り締める必要があります。しかし、同時にグレー・ゾーンと呼ばれる隠された部分があることも認めて、神に属するものとして受け止めることも大事です。私たちは知らないことがあるゆえに謙遜になれます。

今日は宗教改革記念日。500年前の今日、ルターはヴィッテンベルクの城教会の門の扉に95カ条の提題を貼り出されたと伝えられています。

(宗教改革記念礼拝のメッセージはこちら

突然のできごと

その知らせはあまりにも突然でした。
私の母校東京基督教大学の学長であり、小山牧師が博士論文でお世話になっている小林高徳(たかのり)先生が出張先のアメリカで天に召された、というのです。心筋梗塞で救急搬送され、ご家族が急遽アメリカへと向かわれたのですが到着前に息を引き取ったのことでした。61歳。あまりにも急な地上での別れに私たちはいまだそのショックの中から立ち上がれずにいます。優しくて、知的でいつも笑顔で私たちを迎えてくださった本当はすごい先生。すごい先生なのに偉ぶったところがまったくなく、気さくで温かい励まし手でもありました。そんな小林先生がこの春卒業する学生に向けて語った言葉を紹介します。

「今の時代は恐らく、『大学を終えたら、自信をもって自分の信じた道を行きなさい。』と語られるのだと思います。しかしむしろ、自分を捨て、自分の十字架を負って、キリストに従うという道を謙遜に歩んでいただけたらと思っています。どんな働きであろうともです。」

(小山晶子牧師婦人)