詩篇108:1-5

「琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。」(108:2)

今日の箇所は詩篇57:7-11と同じ言葉が綴られています。同じ言葉でも、新しい心をもって歌うところに意味があります。「私は暁を呼び覚まそう。」と言う表現は、パウロとシラスが真夜中に賛美をした(使徒16:25)ように、暗闇で歌うことの意味を示唆していると考えられます。賛美には力があります。主への賛美が夜明けをもたらします。なぜなら、

「あなたの恵みは大きく天の上に及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(4節)

神の信実(へセド)はあまりにも偉大で天を越える、すなわち、私たちが見ることができる現実を超えると言うのです。私たちは、目に見える現実に打ちひしがれるのではなく、信仰によって主を賛美する必要があります。

「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30:5)

カルテット・べセル

今回は体調不良の小山牧師婦人に代わり、わたしがどのようにカルテット・べセルを結成するに至ったかということを少しお分かちさせていただきます。カルテット・べセルは栄シャローム福音教会で四月二十六日に、コンサートを行う予定でした。残念ながらコロナの問題で十月に延期となってしまいました。二年前の夏に私は今のカルテットメンバーで演奏をし、福音を伝えるという夢を見ました。メンバーの顔も鮮明に出てきました。その時は何の意味をなしているのか分からず温めておりました。しかし半年後に同じ夢を見たのです。これは神様からの導きと感じ、今のメンバーに急いで連絡をとったら皆快諾してくれました。そして昨年四月に顔合わせをし、話す中で、以前大川先生にいただいた「福音の為に何でもする」「人にはできないことも神にはできる」という私のモットーでもある言葉が心に強く迫ってきたのです。この言葉を通して神様が与えてくださった福音を伝えるためのカルテットなのだと確信しました。主をほめたたえます。(小山勇児)

YouTubeチャンネルは、こちら

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まじめなはなし

いつまでつづくんでしょう。
先日の祈祷会の最中、こう問いかける私に対して神様はとてもはっきりと応えてくださいました。
「人がわたしに降参するまで」。
それは、打ち消すことができないほど明確な言葉でした。ああ、まだしばらく続くのだなあと打ちのめされたような気持になりました。神様の語りかけを反芻する中で一人の人物を思い出しました。エジプトのパロです。どんなに厳しい状況になっても決して神様に屈しないという態度。神よりも偉大だ、と言わんばかりの「人間力」という言葉で解決してしまおうとする姿勢。「罪」という言葉は的外れ、という意味ですが神様を無視した生き方はどんなに素晴らしく装っても「罪」です。人が神様を無視し続ける限りこの状況は変わらないどころか悪化していくでしょう。わたしたちキリスト者も襟を正し、破れ口に立ってとりなし、私たち自身もまた主の前に悔い改める必要があると思います。厳しい言葉を綴ってしまいましたが、受け止めていただければと願います。
(小山晶子牧師婦人)

ジャスミンンの生命力

ずっと気になっていた道路沿いのジャスミンの茂みを、二週間前のビブリオン後姉妹方と共にとうとう思い切って伐採しました。ものすごい葉の量で根本もどこかわからない中格闘すること数十分、見えてきたのはわずか三株の茶色い枝の塊のようなものでした。花の香りは好みが分かれるところだと思いますが、私はジャスミンの香りが大好きです。この香いいな、と思った香水や芳香剤にはたいていジャスミンの香りが入っていますし、古代エジプトではすでに栽培されていたということもエジプト好きの私にとっては重要な好きポイントです。さて、根元まで刈り込まれた教会のジャスミンがその後どうなったか気になって昨日見に行ってみました。驚くことに新芽が枯れた枝のようなところからたくさん出てきていたのです。『エッサイの根株から若枝が出て、、、』という御言葉を思い出しました。新芽が出る様は新しい始まりを予感させる、希望を感じる場面であることを、
ジャスミンを通して感じた、梅雨の晴れ間の午後の出来事でした。
(小山晶子牧師婦人)

食べたい気持ち

自粛生活はひとまず終わったものの、以前とは違う生活は相変わらず続いています。エスカレーターでは数段前の人と間隔をあけ、入店の際には除菌や検温。隣のカウベルも持ち帰りを始めました。海外への渡航も国内の移動もまだまだ以前のようにはいきません。いろんなことを考え始めるとなんだか寝付けなくなってしまい、仕方ないので「コロナが終わったら食べに行きたいもの」を考えてみました。まずはやっぱり明石焼き。夏なので鱧の梅肉ソースいいなあ。観音屋のチーズケーキ、下村の焼きアナゴ、寿司清のお寿司。考え始めるとおなかがすいてさらに眠れなくなり、そうか、県をまたいだ移動が解除されたら帰省すればいいんだという結論に達しました。
獄中で自由を奪われて過ごしていたパウロは行きたくてもいけない、というもどかしさの中で手紙を書きました。そこまで厳しい監視下にはないにせよ、私たちもその苦しさは体験したのではないかと思います。気持ちを追体験するうえで、今がパウロの獄中書簡(ピリピ、コロサイ、エペソ、ピレモン)を読む良いチャンスかもしれません。    (小山晶子牧師婦人)

デザートアルファ開催中

6月から新たにアルファを始めています。ゲストは今のところ一人なのですが、今までと少しだけ変化があります。これまでアルファでは食事を提供していましたが、今回は私が大好きなスイーツたちを独断でセレクトしてお出しする、ということにしました。 ちなみに第一回目は「さつま芋と紫芋のようかん」。きょうは「御座候のあんこを使った冷たい白玉ぜんざい」にしようと思っています。堂々とスイーツが食べられるなんて、我ながらなんてうまい企画を思いついたのだろうと思います。聖書には「主の素晴らしさを味わう」ことが命じられていますが、おいしいスイーツを堪能するように神様の素晴らしさを時間を取って日々味わっているでしょうか。神様の御言葉はハチミツより甘い、というたとえもあります。スイーツをいただくように、ゆっくりと味わって御言葉を少ずつ味わうことができたらと思います。しっかり味わうことで、今度は周りの人にその美味しさを自分の体験として、よりリアルな言葉で伝えることができるようになります。
(小山晶子牧師婦人)

教会の変化について

先週から、約二か月ぶりに通常の教会活動が再開しました。本日も第一礼拝から第三礼拝まで行っていますし、ビブリオンや祈祷会などもオープンしています。ただ、飛沫感染を防ぐためマスクの着用をお願いしていますし、賛美の間は窓やドアも開放した状態になっています。会衆との距離を確保するため賛美リーダーは講壇でリードすることとなりました。椅子の並びもジグザグで今までとの違いに戸惑うこともあるかと思いますが、お互いのためにご協力をどうぞよろしくお願いします。花壇の花も植え替えられ、昨年の台風で壊れたラティスも修繕が終わりきれいになっています。自粛期間にぶどうの木の下にズッキーニと唐辛子とミニトマトも植えました。成長を見守ることがわたしの日々の日課となっています。教会の建物の存在に感謝するとともに、やはり教会とはキリスト者の集まりあってのものだということを強く思い知らされる日々でもありました。お一人お一人の存在に心から感謝しつつ、今日も共に、心ひとつに礼拝を捧げていきましょう。   (小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃなかった日々 

ようやく首都圏に出されていた緊急事態宣言が解除され、ほっとしました。もちろんすぐに元の生活に戻れるわけではありませんが、異様に静まり返っていた街に子どもたちの楽しそうに遊ぶ声が響くのを聞きながら暫し喜びをかみしめています。明日からもう6月。思い返せば新型コロナの影響が出始めてから数か月、このわずかな期間に半年前には全く考えられなかったことが次々と起こりました。入国拒否やオリンピックの延期、緊急事態宣言、学校の閉鎖、テレワーク、海外での都市封鎖など。全世界規模の「鎖国」状態はものすごいスピードで進んでいたグローバル社会にも計り知れない影響を与えています。この世界がすべてだと考えるなら、こんなにむなしいことはありません。神様を抜きに考えるならまさに「空の空。すべては空(伝道者の書1:2)」。伝道者の書は最後をこうまとめています。
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。災いの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という年月が近づく前に(伝道者の書12:1)』
(小山晶子牧師婦人)

わーい、スタバ! 

決まった行動をしないと落ち着かない、という私の特性について何度かここでも書いたことがありますが、緊急事態宣言によって「みなとみらいを歩く」ということができなくなって一か月以上が経ちいよいよ本当につらくなってきました。そんな私を見かねて夫が(ほとんど店が閉まっている)みなとみらいに連れて行ってくれました。もちろん店はやっていないですしエスカレーターも動いていないのですがあちこちの店で再開に向けた準備でしょうか、明かりと共にスタッフらしき人の姿もちらほらと見受けられます。クイーンズスクエアにさしかかった時、スターバックスがオープンしているのを見つけ、思わず入ってしまいました。持ち帰りのみの営業で今日からオープンしたとのこと。うえーん。泣きそうになりました。久しぶりのスタバの水出しコーヒーの味は格別でした!教会で皆さんをお迎えする日、そのときの気持ちなどを想像すると本当に、泣きそうです。もうすこし、あとすこし。神様の恵みを数えつつ、乗り越えていきましょう。
(小山晶子牧師婦人)

たこたこパーティー

先日、次男の嗣音が十九歳の誕生日を迎えました。教会の皆さんには幼いころから見守り育てていただき、心から感謝しております。本来ならTCUで寮生活が始まっているはずでしたが、このような状況のため家族そろっての思い出深い一日となりました。
本人にお祝に何が食べたい?と聞いたところ「たこが食べたい」とのこと。?え?と聞き返してしまいましたがあの、いわゆる一般的な「たこ」だというのです。嗣音はたこが大好きだということを実はつい最近知ったのですが、まさか誕生日にたこを要求するとは。というわけで生きたたこをゲットするため南部市場へ行ってきました。網に入った生きのいいたこを購入し、塩で洗い、茹でること三分。ほかほかのたこが茹で上がり、刺身とから揚げにしました。今度はいつ明石のタコが食べられるかねーなんて、他愛のない会話をしつつ過ごしました。何気ない日常の何気ない一コマですが、神様の恵みを静かに数え、感謝する何とも暖かい時間となりました。
(小山晶子牧師婦人)