アウェーな感じ

沖縄での数回のコンサートを控え、中部北谷にある宿泊施設に滞在しています。海に面したかなり大きな施設なのですが、宿泊客のほとんどがアジア系の外国の方々。エレベーターでも食堂でも日本語が聞こえてきません。まるで外国に来たかのようで少々戸惑っています。そんな中先ほど朝食帰りにエレベーターに乗ったところ、スーパーマンの格好をした2歳くらいの男の子とお母さんと一緒になりました。その子の格好があまりにも似合ってたので思わず日本語で「スパーマン、かっこいいね!」と声を掛けたらお母さんに「うわー、日本人の方に会えてホッとします!ここ、アウェー感半端ないですよね!」と感激されてしまいました。そのときふと、思いました。天国ではこういう状況はいやだな、と。言葉が通じないと言うことはないと思いますが、「天国で久しぶりに日本の方に会いました!」なんて言われたら悲しすぎます。そんなことにならないように、イエス様を伝えてきます。与えられた使命を全うできるように祈り、支えていただければ幸いです。 (小山晶子牧師夫人)

おかあさん、ありがとう。

お母さんがいない人は、この世に一人もいません。全ての人にお母さんがいて、私たちは今ここに存在しています。今日は母の日。もうこの地上にお母さんがいないという方はたくさんおられると思いますが、命をかけてこの世に私たちを生み出してくださった「おかあさん」に感謝することはできると思います。
昨日次男が十七歳の誕生日を迎えました。母親としては次男が神様の導きを求め、御心の真ん中を歩む人生であるようにと願ってやみません。イエス様とおかあさんのマリヤとのやり取りは、聖書の中にいくつも出てきます。十二歳のイエス様が行方不明になった時、カナの婚礼の時、イエス様を連れ戻そうとした時、イエス様が十字架にかかられた時も。マリヤは息子でありメシヤであるイエス様のことをどのような思いで見守ってきたのかな?と思うことがあります。お母さんは子どもの幸せを願うもの。人間的に見ればマリヤは悲劇の母、ということでしょう。でもどのような困難も痛みも共に乗り越えた幸いな人生だったとも思うのです。(小山晶子牧師夫人)

ヨハネ 5:31-47

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(39‐40節)

どんなに聖書を勉強しても、イエス様のもとに行かなければ本当の意味するところを知ることはできません。しかし、多くの聖書学者は、信仰を除外し、学問としてのみ研究しようとします。イエス様について証言している聖書を、イエス様抜きに理解しようとしても、理解することができないことは明らかです。聖書のみことばは、イエス・キリストのもとに来るために記されているのですから、イエス・キリストのもとに行かなければ、聖書が意味していることが分かるはずがありません。へりくだり、祈りつつ、イエス様のもとにいくことから、すべては始まります。

福井は遠かった。

先週福井で行われた単ペン大会に参加してきました。人生で初めての福井県。めっちゃ遠かったです。実は昨日午前2時ごろに教会に到着したのでまだ少しぼんやりしていますが、同じフェローシップの兄弟姉妹との再会やまじわりのひと時はとても楽しく、励まされる3日間となりました。来年はいよいよイーストの担当となります。こんなに遠くから時間とお金と労力をかけて兄弟姉妹が集まってくださるのですから、受け入れる側も心を込めてお迎えできればと思います。講師の先生のお話も分かりやすくて少しづつ皆様にもお分かちできればと思っていますが一つ最も印象に残った言葉があります。それは「キリストを証することを忘れてしまうとクリスチャンとしての成長が止まってしまう。」 というものです。教会が生き生きと成長するためには聖霊様の導きが大切ですが、他にも様々な私たちが担うべき要素があることを今回特に考えさせられています。この教会が神様の導きに従い大胆な信仰をもって前進していくことができますように。  (小山晶子牧師夫人)

リラ新CD発売!

リラ通算10枚目となる新しいアルバムCDが完成しました。帯には『グループ結成から25年。その歩みを振り返り、もう一度メンバー一人一人の思いを込めて今なお歌い継がれている初期の楽曲を中心に全曲再収録した記念アルバム』ひえー!25年!!びっくりです。そんなに時間がたったなんて。今回、最初期の曲を録り直す中で何度も泣きそうになりました。苦しかった時、孤独だと思っていた時、居場所がないと感じていた時、イエス様はいつもともにいてくださったことを改めて感じたからです。『この道は一つ』という私自身大好きな曲も収録されているのですが、あの頃の私と同じ歳になった息子がバイオリンでこの曲をCDの中で奏でていることが何とも不思議な感覚で、聴きながら泣けてきてしまいました。神様の変わらない真実の愛の中で私たちが生かされていて、主に信頼する者は決して失望させられることがないことをこのアルバムを通して多くの方々に感じていただけることを祈っています。栄光在主。(小山晶子牧師婦人)

ルカ 9:28-56

「栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。」(9:31)

新改訳二〇一七では、欄外で直訳としてこう記しています。「成就しようとしている出発」。「ご最期」(出発)と訳された単語は、「出エジプト」を意味します。つまり、ここでは、イエス様がエルサレムで完成させようとしている「神の人類に対する栄光への脱出プロジェクト」について、話されていたということです。私たちを解放するために、イエス様がエルサレムで完成させた「神の人類に対する栄光への脱出プロジェクト」、それが、イエス・キリストの十字架です。聖書は言います。「「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。」(ローマ10:13)この「神の人類に対する栄光への脱出プロジェクト」を自分のものにするためには、だれでも主の御名を呼び求めればいいのです。

ルカ1:1-25

「私たちの間ですでに確信されている出来事については、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」(1:1-4)

著者ルカは、歴史学者のように、資料を集め、注意深く研究してこの福音書を書き上げました。古代の文献は王の功績を大袈裟に称えているものがほとんどですが、聖書は否定的に見えるものさえも忠実に記しています。この書が読まれていた時に、まだキリストの目撃者たちも生存していたはずです。生存者たちにも確信されている出来事であることを私たちは認める必要があります。

たらこについての微考察

わたしはたらこが大好きです。
もともと両親が九州出身ということもあり、辛子明太子が親せきから送られてくることも多かったので普通よりは魚卵が食卓に上る回数が多かったのではと思うのですが、炊き立てのご飯とたらこがあれば他は何もいらないと思うほど好きです。昨晩、そんなたらこを白米にのせて食べながらふと思いました。最初にたらこを塩漬けにしようと思ったのは誰なんだろう?魚卵は世界中に様々な保存方法を発展させて食されています。調べたところ、日本では江戸時代前期にはたらこに酢をかけて食していたとのこと。とにもかくにも先人たちに感謝です。神様から豊かな知恵と食への欲求を与えられ、今日のさまざまな料理があるのですね。私たちを喜ばせ、楽しませてくださる神様に与えられた今日という日を喜びと感謝をもって過ごしていきたいものです。
(小山晶子牧師婦人)

マタイ12:22-45

「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」(35節)

自分の心を何で満たしているか、それが問われています。LBではこう訳しています。

「良い人のことばを聞けば、その人の心の中にすばらしい宝がたくわえられていることがわかります。しかし、悪い人の心の中は悪意でいっぱいです。」

からだに良いものを食べることが健康のために大切なように、心に良いものを吸収する必要があります。ですから聖書は言います。

「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)

寒い

冬は夏より好きです。汗をかかなくていいし、空気がピンと澄んでいて富士山がきれいに見えるし、星もよく見えるし、乾燥していてくせ毛が落ち着いてくれるから。亀のジェニーは、以前水が凍りついてひやっとしたことがあったので家の中で冬を越すことになり、冬眠せずに元気に過ごしています。猫たちは人間のためにつけてあるホットカーペットの上で毛づくろいをしたり、ゴロゴロしたりして猫らしく過ごしています。
先週御殿場で新年聖会が行われ、シャロームから三人の新成人が参加し、祝福を祈っていただきました。これからの歩みは春のような時期、冬の寒さのような厳しい時期もあると思いますが、そのような中でも神様の恵みは絶えず注がれていて、その厳しさの中でしか見ることのできない景色を体験し、味わってもらえたらと願っています。
(小山晶子牧師婦人)