母のクッキー

息子たちが引いていた風邪をまんまともらってしまい、先週久しぶりに少し高い熱を出してしまいました。金曜日は数か月ぶりに母が上京し、一緒に叔母の入居している施設に面会に行く予定でしたが、熱が下がらず行くことができませんでした。とても残念に思い、母に会うこともしばらく先になるなあと思っていたところ、突然の電話。「面会が終わったから今からそちらに行く」というのです。まさに元寇並みの唐突さです。熱でボーっとする頭をフル回転させ、のそのそと片づけを始めては見たもののふらふらになり万事休す。ありのーままのーすがたみせーるーのよーというアナ雪の歌が頭の中でリフレインする中、本当に母はやってきました。私の顔を見たら安心したのか、一時間半で母は帰っていきましたが…愛を感じるひと時でもありました。お土産に塩味饅頭とお手製のクッキー3袋を持ってきてくれたのですが勿論クッキーはグルテン。ひとまず観賞用にしています。でも、一緒にクッキーを作った幼いころの記憶は、いつまでたっても甘くおいしいものです。 (小山晶子牧師人)

みえない

梅雨らしい天気が続いています。
もんわりする暑さと乾かない洗濯物にそろそろ嫌気がさしてきた方もいらっしゃるでしょう。そんな梅雨のさなかの先週木曜日、悪天候のため婦人会を急遽お休みにすることにしました。朝から降り続いている雨と台風のような風に驚きながら車を運転していたところ、どんなにワイパーを速く動かしても前がまったく見えないほどの土砂降りの雨に遭遇しました。とても怖かったです。使い慣れてる道なのに、周りが見えなくなって自分がどこにいるかが一瞬わからなくなってしまいました。その時、隣に乗っていた次男が「信号が赤だよ。とまって。」といった言葉にはっと我に返りました。いま、このことを書きながらその場面を思い起こしているのですが、たとえ自分は見えていなくても、聖霊なる神様がともにおられるならその声に耳を傾ければいいのだということを改めて思い起こしています。人生は、前の見えない道をドライブしているような場面が多いですが、主が隣にいてくださるから、私たちは平安なのですね。   (小山晶子牧師婦人)

福島に行ってきます。

今週金曜日から三日間、福島県で行われる「ライフラインのつどい」の音楽ゲストとしてリラが参加することになっています。震災後、何かしたいと思いながらもなかなか具体的なお手伝いができなかったこともあり、今回このような機会をいただけたことを大変ありがたく思っています。皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。初日は会津若松市での集会ですが、会津若松といえば若松城、白虎隊、八重の桜。特に幼いころ見た白虎隊のストーリーは強烈に残っています。少年たちが燃え行く城を見ながら(実際は燃えてはいなかったようですが)自害するシーンは、あまりにもせつなく、かわいそうでした。イスラエルのマサダで、籠城していたユダヤ人約千人の、その最後の様を聞いた時、やはり同じような何とも言えない気持ちになりました。希望を手放すことがどれほどの悲劇をもたらすのかをこの二つのストーリーは物語っていると思います。イエス様に希望をもって歩むという選択をどんな瞬間にもすることができますように。
(小山晶子牧師婦人)

落ち着く場所

わたしは文房具を見るのが好きです。仕事柄手紙を書くことが比較的多いこともあり、新作のレターセットはちょこちょこチェックしています。メールで済ませることも多いですが、例えばHOPの支援を送ってくださった方への領収書を送る際には必ず一筆箋で一言添えるようにしています。ですから、書きやすいペンに出会えた時はテンションが上がります!気に入った一筆箋と書きやすいペンがあれば最高です。マスキングテープも様々な種類の絵があり、見ているだけで楽しいです。最近家の古くなったダイニングテーブルを白いペンキで塗り直したのですが、そのふちにぐるっと猫柄のマスキングテープを張ってデコレーションしています。沢山のものが売られていますが目的なくつくられたものは一つもありません。誰かがデザインし、色や形、特徴を考えて物は作られていることを考える時に、私たちも神様の作品として一人一人が「わたし」としてつくられていることを改めて考えさせられるのです。「わたし」の役割を果たせますように、と今日も祈ります。 (小山晶子牧師婦人)

めまいのゆくえ

「頭がぐるぐる回る」
小山牧師が突然こう言い出したのは先週月曜日のこと。とにかくすべてがぐるぐる回ってまともに歩けない、というのです。なーんだ、また猫の毛が耳の中に入ってめまいを起こしたのね。あまり深く考えることなく楽観的に過ごしていたのですが、夕方になっても症状がおさまらず挙げ句の果てには気持ちが悪い、と言い出しました。慌ててかかりつけの耳鼻科に行ったところ猫の毛のせいではなく、良性発作性頭位めまい症とのことで、人間の繊細な身体ゆえの症状だということです。良性とはいえ、ずいぶん日常生活に支障が出てしまい、大変そうです。特に夕方ごろにさしかかると症状が悪化するため、夕礼拝のメッセージは座って行うことになるかもしれません。体の平衡感覚をつかさどっている耳の機能に改めて神様の創造の素晴らしさを覚えます。幸い3日目を過ぎたころから支えなしで歩くことができるようになってきたのでほっとしています。皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。
(小山晶子牧師婦人)

鏡よ鏡よ鏡さん

アマゾンのタイムセールのおかげで念願のLEDライト付卓上鏡を手に入れました。コンサートの控室などに時々いわゆる「女優鏡」があり、まぶしいほどのライトは、目が悪い私にとっては大変ありがたい存在でしたので、わくわくしながらさっそく梱包をほどいて電池をセットし、ライトをつけてみました。隅々まで照らされた自分の顔を見てびっくり。あそこにもここにもしみが、、、しわが、、、歳を重ねていることはわかっていましたが、思った以上の現実にのけぞりそうになりました!見なければよかった、、、そんな思いが心をかすめていきましたが、とにかく現実を直視しなければとローションの量を増やして塗り込みながら抵抗を試みる日々です。でもこの身体は一時的なもの、やがて天の御国で栄光の身体になるときにはシミもしわもない、と聖書に書いてあります。なんとすばらしい約束でしょう。みんなシミもしわもない姿ってどんなだろう?そんなことを考えてしまいました。やがて来るその日を、楽しみにしながら歩むきょうこの頃です。
(小山晶子牧師婦人)

疲れてしまった時は

毎日があわただしく過ぎていきます。様々なことをやり終えてようやく一息、と思ってもすぐにまたやることに追われている。常に何かに追われている状態でまずいな、と思っています。言葉もきつくなり、攻撃的にもなってこうなってしまうとますますADHDの症状が加速してしまうので、とにかく落ち着こうと思って今これを書き始めました。深呼吸して、あたたかいお茶を飲んで、ほんの少しでいいからいたち川沿いを歩きたいです。神様が創られたものの中に身を置き、心を落ち着かせてから次の行動を起こすことが今必要だなあと感じています。みなさんはどのようにして気持ちを落ち着かせていますか?イエス様は

「すべて疲れた人、重荷を負っている者は私のところに来なさい。休ませてあげます。」

とおっしゃいました。今この御言葉を思い起こしたときに不思議と私の心は平安で満たされました。そうですね、疲れた時にはイエス様のところに行けばいいんですね。

「イエス様、疲れました。どうかこの心を落ち着けてください。」

この小さな祈りが大きな力になります。(小山晶子牧師婦人)

1サムエル記 21:1-23:29

「それは何よりです。私に下さい。」(21:9)

箴言29章25節にこういう箇所があります。

「人を恐れるとわなにかかる。」

サウルを非常に恐れたダビデはゴリアテを倒した剣を、

「それにまさるものはない。それを私にください。」(協会共同訳)

と受け取ります。しかし、皮肉にも、剣を手にしたダビデに不安がつきまといます。ちいろば先生こと榎本師は言います。

「彼の心が神から物に移ったとき、神にではなく、物に平安の根拠を求めたとき、彼は不安のとりこになってしまったのである。」

箴言は続けてこう記します。

「しかし主に信頼する者は守られる。」

榎本師は言います。

「しっかりと神により頼もうとするとき、私たちは何ものをも恐れない。しかし、ひとたびその目がこの世の物に移り、ゴリアテのつるぎを『それにまさるものはない』と思うようになるとき、その日私たちは不安のとりこになってしまう。」

かなしいおしらせ

微笑ましいツバメ夫婦の巣作りの様子を書いたのはつい先週。日曜日には向かい合って眠っている様子にきっといよいよ巣作りも本格化するのだろうと期待して楽しみにしていました。ところが、月曜日の夜。ツバメ夫婦は帰ってきませんでした。どうしたのだろうと心配になり、火曜日の夜も様子を見に行ったら、オスだけが寂しそうに巣で眠っていたのです。それはそれは悲しい背中で、かける言葉もありませんでした。水曜日の夜も、木曜日の夜も一人ぼっちで眠っています。ツバメ夫婦に何があったのでしょう。巣作りが下手で愛想をつかされてしまったのかな。「あなたはひとりじゃないよ」と伝えてはみたものの、言葉が通じないですよね。ツバメになって励ましてあげたくなりました。でも、イエス様は実際にそうしてくださったんですね。私たちと同じ姿となって地上に来てくださり、滅びの穴から私たちを救い出してくださいました。ツバメを見ながら、神様の愛の深さを感じます。かなしいことに昨晩オスツバメもいなくなっていました。力になれず残念です。 (小山晶子牧師婦人)

巣作りの極意

教会に巣を建設中のつばめ夫婦。毎日観察していて気付いたことがあります。最初に驚いたことは、すぐには巣作りを始めなかったということ。数日間巣作りはせずに夜になると体を寄せ合って眠っていました。私が気付いてから少なくとも三日間は巣作りを始めていなかったので、おそらく一週間近くかけて住まいの環境をチェックしていたのではないかと思います。生れてくる雛たちのためにできる限り良い環境を、ということなのでしょうか。そしてもう一つ。ツバメは巣作りからひなの巣立ちまでだいたい6週間だそうですが、教会のツバメは巣作り3週目に突入しているということです。しかもまだ完成しそうにありません。調べてみるとツバメにも性格があり、おおざっぱでぐちゃぐちゃな巣を作る子もいれば、几帳面でものすごく丁寧に巣作りする子もいるらしいのです。いつまでたっても完成しないので何となくメスが怒っているように見えるところが何とも愛らしい。神様の創造の業はユーモアのセンスもばっちりで私の心を元気にしてくれています。(小山晶子牧師婦人)