台風15号

身に危険を感じるほどの強風にさらされたことは今までありませんでした。今回の台風15号は大きな爪痕を各地に残していきましたが、神奈川県も例外ではなかったと思います。鎌倉や逗子、金沢区、横浜のふ頭などが大きな被害を受け、復旧に時間を要しました。強風で窓ガラスが割れてしまうのではと不安を覚えた方もいらっしゃると思いますし、眠れなかったという方も大勢おられたと思います。未だ停電が続く千葉の方々のご苦労を思うと心が痛みます。あっという間に取り去られていった日常。まさに「明日は我が身」との意識を強くさせられる出来事でした。自分で頑張って生きているのではなく、生かされて今があるのだということも改めて感じています。台風15号が来たあの日、図らずも地域の教会の関係者が集まって初めての「防災ネットワーク作り」に関する会合が行われました。地域教会としての役割を今まで以上に意識して、地の塩・世の光であるキリスト者が良き証となれるようにと祈りつつ準備していきたいと思います。       (小山晶子牧師人)

ラムネ菓子

今月後半に小山牧師がバングラデシュのHOPを訪問するにあたり、先日のHOP理事会でお土産に「オリオンラムネ」を約600個持っていくことが決まりました。ラムネ菓子が日本発祥であるということを皆さんご存知でしたか?このラムネ菓子、もともとはラムネという飲み物から語源は来ているそうですが、実はこれ、「レモネード」がなまって「ラムネ」となったそうです。ラムネ菓子は落雁にヒントを得たという説などもあり探っていくと面白そうです。ちなみに成分はでんぷん、ぶどう糖、クエン酸だそうで疲労回復に効果的なんだそうですよ。残暑疲れにラムネを一粒みなさんも食べてみてはいかがでしょうか。身体だけでなく、心が疲れてしまってどうにもこうにも立ち上がれないと感じている人もいらっしゃるでしょう。一粒のラムネならぬ一言の御言葉が、五臓六腑に染み渡ることを体験するチャンスかもしれません。主は良いお方です。暫し目を閉じ、神様がして下さったことを思い起こしながら静まるときを持っていければと思います。 (小山晶子牧師人)

ちょっと「谷」な感じ

単ペン大会が無事終わり、その後のもろもろの行事も終わり、気づけばもう八月も終わり。来週の日曜日から9月ですね。我が家では、長男も次男も人生の大きな岐路に立っているという現状に加え、教会が直面している厳しい状況に時々心がつぶれてしまいそうになります。ゆだねてもゆだねても、すぐに取り戻してしまう心配事。心配したってしょうがないじゃん、と言い聞かせつつ、繰り返し神様に委ねるという作業。海に浮かぶ木の葉のように翻弄される自分の気持ちに情けなくもなります。いま、私に必要なのは「主の御業を思い起こすこと」だと思います。どれほどの助けの中で、恵みの中で生かされてきたか。どれほどの困難を神様は乗り越えさせてくださったか。一つ一つを丁寧に思い返す時間が必要だと感じています。ちょっと「谷」な感じになっているわたしの心。みなさんはいかがですか?もし同じようなところを通っていると感じる方がいるなら、一緒に神様の恵みを思い起こしてみませんか。
(小山晶子牧師人)

台風と蜘蛛

先週、台風10号はずいぶん離れた場所に長時間停滞していましたが、横浜にもかなり強い風と共にスコールのような雨にも見舞われ、不安定なお天気に翻弄された一週間となりました。強風の中ふと目を上げると、お隣の屋根と教会の屋根とをまたいで大きな蜘蛛が巣を作っていました。風が吹くたびに蜘蛛の巣があおられ、今にも飛んでいきそうな様子です。まだ作りかけらしく、スカスカな部分もあるのですが、しっかりと張られた両側の蜘蛛の糸はしっかりとそれぞれの屋根にくっついていて、まるで風にあおられるハンモックのようでした。蜘蛛が大嫌いな私ですが応援したくなりました。先ほどその巣を見に行ったところ、さらにグレードアップし、太陽の光にキラキラと輝いていました。振り落とされないようにしっかりとしがみつく蜘蛛の糸のように、イエス様というぶどうの木にしっかりとつながっていたいと思いました。嵐の中で、日照りの中で、「しがみつく」こと。そんなことを蜘蛛の巣から教えてもらった夏の日の出来事でした。
(小山晶子牧師人)

父の年齢

終戦直後の昭和20年9月に旧満州で生まれた父は今年74歳になります。原爆の日のニュースを聞きながら、74年という時間に思いを馳せました。私が幼いころ、中国残留孤児のニュースに、父は「他人ごとではない、自分がそうなっていてもおかしくなかった」とよく言っていたことなど思い出し、母の叔母たちが長崎の原爆で亡くなったことなどもあって毎年8月は戦争と平和についていつも以上に考えることが多いです。先日訪れた会津若松のコンサート会場の敷地内に『シベリア抑留者慰霊碑』があり、不思議に思って地元の人に尋ねたところ、この地域からも大勢が村単位で満州にわたり、敗戦後シベリアに抑留されていたとのことでした。世界がどんどん平和から遠ざかっているような現在の情勢に、キリスト者としてどう歩むべきかを問われているように感じています。この時代に生かされているキリスト者の存在は、希望の光であり腐敗を止める塩でもあります。イエス様に倣うものとなれますようにと祈らされる日々です。
(小山晶子牧師人)

さよなら、君たち。

先週三日間をかけて教会の屋根裏を含む倉庫の大掃除をしました。こちらに引っ越してきて早17年。古いものが出るわ出るわで初日はどうなることかと思いましたが、新實伝道師と小山牧師、次男と健爾兄という片付け5レンジャーで黙々と作業は進められ、普段は見えない場所ではありますがとてもすっきり、きれいな状態になったと思います。それにしても暑かった!特に屋根裏の収納庫は換気扇が壊れている中でエアコンもなく、人生でこんなに汗をかいたことがかつてあっただろうかと思うほどでした。神様の宮である教会をきれいにするのは大変ではありましたが同時に感謝な時間でもありました。古いものを見つけるたびに、このようなプロセスを経て、主が私たちをここまで運んできてくださったのだということを確認することも出来ました。この教会にも苦しいこと、辛いこと、涙することが多々ありましたがその一つ一つの出来事の中に確かに神様はともにおられて、励まし、なぐさめ、力づけてくださったことを改めて思い返す機会ともなりました。 (小山晶子牧師人)

この世がすべて

令和の時代に入ってからも、暗く重いニュースが続いています。どうしてこんなことが起こるのだろうかと心ふさぐ日々ですが、私たちクリスチャンは絶えず意識しておくべきことがあります。それは、この地上での歩みが私たちのすべてではないということです。特に新約聖書では繰り返し、地上では私たちは旅人であるということと私たちの国籍は天にあるということが語られています。悪魔はこの世がすべてだという嘘を私たちに信じ込ませ、この世のことで私たちの心をいっぱいにさせようと動き回っています。どうせ人生一度きりなんだから、自分の心のままに好きなように生きればいい、と囁くのです。その声を拒絶し、私たちが天の故郷に目を向けるなら、私たちは全く違う視点で物事を見ることができるようになります。この地上での歩みは、神の国の国民としての性質を養うためのレッスンの場であることに気づくとき、新たな光が心に差し込んでくると思うのです。聖書の御言葉に耳を傾け、心を満たすときに悪魔は私たちから遠ざかっていきます。   (小山晶子牧師人)

聖書考古学の連載

11月号のちから誌より一年間の予定で聖書と考古学というテーマで小さな連載をすることになりました。「好き」ということ以外、知識も情報量も乏しい私がどの面下げてとの思いはありますが、大好きな考古学の魅力をできる限りお伝えできればと思いますし、何よりも考古学を学ぶことで聖書が今よりも立体的に読めるようになる一助となれればとの思いです。お祈りいただければ幸いです。
イスラエルで学んだ夏からまるまる25年の月日が流れてしまいました。行った場所の記憶や学んだことがこぼれてしまわないように、忘れないようにと情報をアップデートしながら過ごしてはいますが、そろそろ限界です。きょうの第3礼拝では、イスラエル帰還したユダヤ人を助けるBFP(ブリッジズ・フォー・ピース)で働いておられる梶山兄が証メッセージをして下さいます。「いま」のイスラエルの様子を聞ける貴重な機会ですので皆さん是非是非ご参加ください!近い将来、かの地を踏みしめることができるようにとの思いはマグマのように熱くなっています。(小山晶子牧師人)

母のクッキー

息子たちが引いていた風邪をまんまともらってしまい、先週久しぶりに少し高い熱を出してしまいました。金曜日は数か月ぶりに母が上京し、一緒に叔母の入居している施設に面会に行く予定でしたが、熱が下がらず行くことができませんでした。とても残念に思い、母に会うこともしばらく先になるなあと思っていたところ、突然の電話。「面会が終わったから今からそちらに行く」というのです。まさに元寇並みの唐突さです。熱でボーっとする頭をフル回転させ、のそのそと片づけを始めては見たもののふらふらになり万事休す。ありのーままのーすがたみせーるーのよーというアナ雪の歌が頭の中でリフレインする中、本当に母はやってきました。私の顔を見たら安心したのか、一時間半で母は帰っていきましたが…愛を感じるひと時でもありました。お土産に塩味饅頭とお手製のクッキー3袋を持ってきてくれたのですが勿論クッキーはグルテン。ひとまず観賞用にしています。でも、一緒にクッキーを作った幼いころの記憶は、いつまでたっても甘くおいしいものです。 (小山晶子牧師人)

みえない

梅雨らしい天気が続いています。
もんわりする暑さと乾かない洗濯物にそろそろ嫌気がさしてきた方もいらっしゃるでしょう。そんな梅雨のさなかの先週木曜日、悪天候のため婦人会を急遽お休みにすることにしました。朝から降り続いている雨と台風のような風に驚きながら車を運転していたところ、どんなにワイパーを速く動かしても前がまったく見えないほどの土砂降りの雨に遭遇しました。とても怖かったです。使い慣れてる道なのに、周りが見えなくなって自分がどこにいるかが一瞬わからなくなってしまいました。その時、隣に乗っていた次男が「信号が赤だよ。とまって。」といった言葉にはっと我に返りました。いま、このことを書きながらその場面を思い起こしているのですが、たとえ自分は見えていなくても、聖霊なる神様がともにおられるならその声に耳を傾ければいいのだということを改めて思い起こしています。人生は、前の見えない道をドライブしているような場面が多いですが、主が隣にいてくださるから、私たちは平安なのですね。   (小山晶子牧師婦人)