詩篇 119篇161-168(ש)

「あなたのみおしえを愛する者には、豊かな平安があり、つまずきがありません。」(119:165)

161節からは「シン」(ש)から始まるアルファベットの詩です。

165節は「シャローム」(שָׁל֣וֹם)という単語からはじまります。

主の御言葉を愛する者には豊かな「シャローム」(שָׁל֣וֹם)があると。

まず、何よりも神との平和(シャローム)が約束されています。

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

そして、心の平安も約束されています。

志の堅固な者を、あなたは全き平安(シャローム・シャローム)のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」(イザヤ26:3)

神の御言葉を何よりも愛し、慕い求めることから「シャローム」は始まります。

あなたの御言葉を愛する人たちには、このような大きな平安と幸福が訪れ、気分を害することはない。」(TPT)

詩篇 119篇153-160(ר)

「みことばのすべては真実です。あなたの義のさばきはことごとくとこしえに至ります。」(119:160)

153節からは「レーシュ」(ר)から始まるアルファベットの詩です。

「すべて」と訳された単語は元来「頭」(ローシュ)を意味する単語です。

それで、パッション訳ではこう訳しています。

あなたのみことばの総計は、絶対的な真理となります。

聖書のみことば、創世記から黙示録まで、絶対的な真理です。

聖書のみことばは神の霊感によって書かれています。

ただ、断片的にではなく、全体的に学ぶ必要があります。

使徒パウロはエペソの教会の長老たちに言いました。

私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。」(使徒20:27)

詩篇 119篇145-152(ק)

「私は夜明け前に起きて、叫び求めます。あなたのみことばを待ち望んでいます。」(119:147)

145節からは「コフ」(ק)から始まるアルファベットの詩です。

「夜明け」は祈りの時です。

祈りはじめる時、暗い夜に光が差し込み、私たちは夜明けを体験します。

祈りは叫び求めるという側面と、「あなたのみことばを待ち望んでいます。」という両面性があります。

神に訴えるだけでなく、静まって聴く時間も大事です。

静まって、主よ、お語りくださいと聖書を開く中で、みことばが与えられます。

詩人は言います。

ああ主よ、ひたすら祈り続ける私にお答えください。私はあなたのおきてに従います。」(145節LB)

主の御名を呼び求め続けることは、神の御言葉を守ることと離して考えることはできません。

詩篇 119篇137-144(צ)

「あなたのさとしは、永遠に義です。私に悟らせ、私を生かしてください。」(119:144)

137節からは「ツァデー」(צ)から始まるアルファベットの詩です。

神は義(צַדִּ֣יק)なるお方であり、そのなされることも義です。そして神の言葉も義です。

あなたが生きるようにと言われた道(方法)はいつも正しい。」(MSG)

だから、詩人は歌います。

私は取るに足りない存在で、人からさげすまれていますが、戒めだけは大事に守っています。」(141節LB)

詩人は、弱く、小さな存在であるがゆえに、軽んじられているように感じていました。

しかし、それでも神の御言葉を大切にし、生きていくことを宣言します。

これが信仰者の歩みです。

免許更新

5年ぶりに運転免許証の更新案内が来ました、というかおよそひと月前にはもう来ていました。

先週ようやく栄警察署に行き、更新の手続きをしました。

明日は行こう、明日は行こうと思いながらもなんだかんだと理由をつけては先延ばしにしていましたが、いいかげんやらねば、とようやく重い腰を上げての手続きです。

以前は用意されたビデオをただ漫然と30分ほど見るだけだったのに、今回は講習ビデオ15分、直の説明が15分となっていました。

最近問題になっているあおり運転やスマホの普及によるながら運転に関しては特に熱心に話され、あらためて運転免許証を保持していることの重みを感じています。

ところで、クリスチャンには免許証のようなものは存在しませんが生き方の教本は存在しています。

それが聖書です。

聖書を読まなければクリスチャンとしての生き方を学ぶことはできません。

その一丁目一番地は「心を尽くし思いを尽くし、力を尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。」

そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。

毎日聖書を読むことは基本中の基本です。

(小山晶子牧師夫人)

詩篇 119篇129-136(פ)

「あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれに目を留めます。」(119:129)

129節からは「ぺー」(פ)から始まるアルファベットの詩です。

詩人は神のみことばを「不思議な御業」(ペラオート)と呼んでいます。

あなたが与えるすべての言葉は奇跡(ミラクル)の言葉」(MSG)

だと言います。

なぜなら、

みことばの戸が開くと、光が差し、浅はかな者に悟りを与えます。」(130節)

難しいと敬遠せずに、みことばを学びはじめるならば、

「光が輝き、普通の人が、その意味することが分かる」(130節MSG)

ようになります。

そして、みことばが開かれる時、みことばに生きるようになります。

みことばによって私たちの歩みは確かなものとなります。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 119篇121-128(ע)

「あなたの恵みによって、あなたのしもべを取り扱ってください。私にあなたのおきてを教えてください。」(119:124)

121節からは「アイン」(ע)から始まるアルファベットの詩です。

「恵み」と訳された単語は、今年のキーワード、「へセド」、「信実の愛」です。

それは、契約を守られる神の信実の愛です。

ですから、この箇所が語っていることは、イエス・キリストの十字架の御業のゆえに、主なる神は私たちを取り扱ってくださるということです。

私たちは神の信実の愛、聖書の御言葉の約束に従って扱われます。

だから、私たちは祈ります。

「どうか、あなたにお仕えする身である私に、すべての点であなたの規範に照らして考える知恵を、お授けください。」(125節LB)

聖書は信仰と生活の唯一の規範です。

日々、聖書の御言葉に照らして考える知恵を私たちは必要としています。

詩篇 119篇113-120(ס)

「私は、二心のある人たちを憎み、あなたのみおしえを愛します。」(119:113)

113節からは「サメク」(ס)から始まるアルファベットの詩です。

「二心」は、日本語では「浮気心」というような意味で、分裂、不一致という意味があります。

LBでは

神に従おうかどうしようかと迷う優柔不断な人々を、私は軽蔑します。私は、あなたの教えを愛する心を貫きます。

と訳しています。

私の肉はあなたへの恐れで震えています。」(120節)

という表現は、

「律法が理念や観念としてではなく、血肉と化していることを示唆する」(月本氏)

と言います。

神の御言葉を単なる理念や観念として捉えるのではなく、信仰と生活の唯一の規範として、血肉と化することは重要です。

聖書を単なる理念や観念として捉える「二心のある人たち」は聖書から「迷い出る」(118節)と言います。

しかし、詩人は

あなたの教えを愛する心を貫きます」(113節LB)

と言い、祈ります。

詩篇 119:105-11(נ)

「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。」(119:105)

105節からは「ヌン」(נ)から始まるアルファベットの詩です。

「ともしび」(ネール・נֵר)はランプのことで、当時は、一端を高く尖らせた土器碗が用いられました。

それはつまずかないように、足下を照らす小さな光です。

一歩一歩を照らすような光です。

パッション訳はこのように訳しています。

真理の輝く光は、私の選択と決断を導きます。あなたの御言葉の啓示は、私の道を明らかにします。

真理の輝く光は、足もとは照らしますが、ランプですので、遠くまではよく見えないようです。

今日と言う一日を生きていくのに十分な光ですが、毎日、照らしていただく必要があります。

ですから、聖書を分かった気にならずに、日々、聖書の御言葉に耳を傾ける必要があります。

イエス様は言われます。

一日一日を力いっぱい生きなさい。」(マタイ6:34LB)

詩篇 119:97-104(מ)

「私にはあなたの戒めがあり、見極めができます。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。」(119:104)

97節からは「メーム」(מ)から始まるアルファベットの詩です。

聖書を読むことが偽りの道から私たちを守る方法です。

詩人は言います。

あなたの戒めから受ける真の知恵と理解力のおかげで、私はまちがったすべての教えを退けることができました。」(LB)

また、聖書を読むことによって私たちは「人生を理解します」(MSG)。

マックス・ルケード牧師は「幸福は感情ではなく、決断です」と人生を理解します。

前向き、肯定的、信仰的に生きることを決断することが人生を好転させます。

明るく、元気で、のびのびと生きることに決めることが人生を好転させます。

それが聖書の戒めです。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサ5:16-18)