「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。」(1節)
神に質問することは、悪いことではありません。生きている限り、疑問を持つことがないほうが不自然です。エレミヤは、
「神様が正しいのは分かっていますが、二,三のことを話させてください」
と言います。これは、不信仰ということではなく、信じるがゆえの質問であり、神はこれを受け止めてくださいます。これもまた、神に向き合うことであり、祈りの一つです。しかし、分からないことのゆえに、分かっていることを手放してはいけません。エレミヤは、理解できないことがありましたが、だからといって、神のほうが正しいということは手放しませんでした。私たちは神ではありません。すべてを理解することはできません。