ヘブル 13:18-25

「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。」(13:20,21)

聖書の神は「平和の神」、「シャローム」の神です。

それは神が平和を与えられるお方であり、神と人との平和、人と人との平和をもたらすお方であることを示します。

ですから、イエス様は私たちの罪のために十字架で死に、葬られ、よみがえられました。

「これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。」(1コリ5:18,19)

ヘブル 13:9-17

「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです。」(13:15-17)

クリスチャンの義務が三つ挙げられています。

一つ目は霊的な義務であり、神に賛美と礼拝を捧げることです。

二つ目は道徳的な義務で、他者を助けることです。

三つ目は教会的な義務で、教会の秩序を尊重することです。

神はこのようないけにえを今求められています。

ヘブル 13:1-8

「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。」(13:5)

使徒パウロは言いました。

「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」(1テモテ6:9)

金銭を愛する生活の問題は、それに縛られてしまうことです。

神よりも富を優先するならば、人は正常な価値観を失い、人生は崩壊していきます。

聖書はそれよりも、神が私たちを見放すことも、見捨てることもないことに満足するようにと言います。

それはまた、金銭を正しく管理することを意味します。

ある宣教師は貧しい学生を助け、こう言ったそうです。

「これはイエス様が与えてくださったものだから受け取りなさい。後に貧しい弟子ができたら、あなたがイエス様の代わりにあげればいいのです。」

ヘブル 12:18-29

「しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。」(12:22-24)

これまでは、「…しようではないか」と勧められていましたが、ここで、「近づいている」という確信を与える励ましへと変わります。

なぜなら、その日が近づいているからです。信仰者は何が目標なのか、そのゴールが見えています。

それは、十戒が与えられたシナイ山ではなく、シオンの山です。

シオンの山はエルサレム神殿が建てられ、神を礼拝する場所でした。

つまり、私たちが近づいているのは「生ける神の都である天上のエルサレム」とあるように、すべての聖徒たちと共に主を礼拝する天のエルサレムです。

ヘブル 12:12-17

「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」(12:14)

使徒パウロもこのように言いました。

「自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:18)

平和を追い求めることと、聖さを追い求めることは、正比例します。

聖書は、祈りを怠り、聖められていない心から、争いが出てくると警告します。

「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。」(ヤコブ4:1)

16節に出てくるエサウの問題もこの聖さと関係しています。エサウ症候群は、霊的なことを軽視し、肉的な欲望を満たすことに執着することです。

「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51:10)

ヘブル 12:1-11

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」(12:1,2)

聖書は信仰生活を競走だと言います。

忍耐をもって走り続けようではありませんか

とあるように、競い合うという意味ではなく、走るべき道のりがあるという意味です。

そして、その道から逸れないために、

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい

と聖書は警告します。

イエス様から目を離さなければ、走るべき道のりを走り終え、かの日には、主が義の栄冠を授けてくださいます。

いよいよ明日から

4年ぶりのバングラデシュ訪問。

明日から10日間の予定です。

とはいってもわたしは日本で留守番ですが、海外に家族を送り出すのが久しぶりで何だか落ち着きません。

何度も話し合いを重ね、HOPの子どもたちとの関わりやリーダーを対象としたセミナー、村々での福音宣教などを祈りつつ準備する姿を見ながら、神様がこの宣教の旅を祝福し守ってくださることを祈るばかりです。

以前も書いたように蚊を媒介するデング熱がしばらく前から流行していて、バングラデシュ国内で既に600名以上が亡くなったということで、これまでとはまた違った不安はあります。

でもこの機会は主がお与えくださったものであることを確信し信仰をもって送り出したいと思います。

大変暑く、湿度の高い場所ですし、水など衛生面での心配もあります。

どうか参加する小山牧師、梶山牧師、大塚牧師、嗣音兄の健康が守られますようお祈りください。

来週の礼拝は小山牧師不在のためグレースカルバリフェローシップつくし野キリスト教会の菅原岳先生がメッセージを取り次いでくださいます。

感謝と祈りを持ってお迎えしたいと思います。

(小山晶子牧師婦人)

ヘブル 11:32-40

「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。」(11:32)

11章は信仰の章と呼ばれます。

旧約聖書に出てくる偉大な信仰者たちの名前が出てきます。

これらの人たちは決して完全な人たちではありませんでした。

聖書は彼らの失敗も記録しています。

しかし、神に対する信仰が彼らの人生に勝利をもたらしました。

この章が教えていることは、「信仰」は動詞であり、行動が求められるということです。

「存在の根本的な事実は、この神への信頼、すなわち信仰が、人生を生きる価値のあるものにしてくれるすべての土台となっているということです。それは、目に見えないものに対する私たちの指針です。信仰という行動は、私たちの先駆者たちを際立たせ、群衆の上に立たせたものです。」(1節MSG)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

ヘブル 11:17-31

「はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。」(11:25,26)

モーセはファラオの娘の息子として、特別な待遇を受けていました。

しかし、モーセは信仰のゆえに、彼が持っていたあらゆる特権よりも、神の民と共に苦しむことを選びました。

使徒パウロも同じでした。

「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、キリストにある者と認められるようになるためです。」(ピリピ3:7-9)

ヘブル 11:8-16

「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。」(11:13)

信仰者は、この世がすべてのような生き方はしません。

この地上が、自分の永遠の住まいではないことを知っているからです。

使徒ペテロもこのように忠告しています。

「愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(1ペテロ2:11)

ジョン・ストット師は言います。

「目をあげなさい!あなたは確かに時間に縛られていますが、永遠の子どもでもあります。あなたは天の市民であり、地上では異邦人および捕囚者であり、天の都へと旅する巡礼者です。(中略)地上には大切な義務がありますが、自分が誰であるか、どこに向かっているのかを忘れるほど、そんなものに心を奪われてはいけません。」