詩篇110:1-7

「主は私の主に言われた。「あなたはわたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」」(110:1)

イエス様はこの箇所を引用してご自身の神性を主張されました(マタイ22:42-45参照)。イエス様は父なる神の右の座についておられる主(YHWH)なる神です。聖書の神は、父、子、聖霊の三位一体なる神です。イエス様は今、御座に座して、私たちのためにとりなしをしておられます。(ヘブル7:25参照)イエス様は、「とこしえに祭司」(4節)です。そしてイエス様は、再び来られ、すべてを正される王の王です。(5,6節)
イエス様は言われました。「しかり。私はすぐに来る。」(黙示録22:20)いつイエス様が来られても良いように、私たちは備える必要があります。

詩篇109:21-31

「彼らは呪います。しかしあなたは祝福してくださいます。」(109:28)

神は私たちを祝福される神です。すべての祝福は神から流れて来ます。どんな呪いをも、神は祝福に変えられます。ヨセフもこう告白しています。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」(創世記50:20)

イスラエルを呪うように雇われたバラムもこう告白します。

「見よ、私は、祝福せよとの命を受けた。神が祝福されたのだ。私はそれをくつがえすことはできない。」(民数記23:20)

神は私たちを祝福されます。しかし、それは傷つくことがないという約束ではありません。ダビデは言います。

「私は苦しみ、そして貧しく、私の心は、私のうちで傷ついています。」(22節)

しかし、神はどのような時にも私たちを慰めてくださいます。

「その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。」(2コリント1:6)

箴言23:10-18

「あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。」(23:18)

30の知恵の10番から14番まで。

10.先祖代々の土地を尊重し、孤児が生活できるようにすること。神が贖い主となられるから。(10−11節)

11.「耳の痛いことばも喜んで聞き、ためになることはどんどん取り入れなさい」(12節LB)

12.子どもは思いきってしつけること。良きしつけはその子を救う。(13−14節)

13.口先だけでなく、心から公正を語れるように心に知恵を持つ人となる。(15-16節)

14.この地上では、神を無視している人が良い人生を歩んでいるように見えることがある。しかし、神を恐れ、彼らを妬まない。ここに将来がかかっているから。(17-18節)

「将来は希望にあふれているのだから、悪人をうらやまず、いつも主を恐れて生活しなさい。」(LB)

詩篇109:1-20

「私は祈るばかりです。」(109:4)

ダビデの体験は昔も今も変わりません。「彼らは善に代えて悪を愛に代えて憎しみを私に返しました。」(5節)残念ながら、「理由もないのに私を憎み、攻めかかって来るのです。」(3節LB)ということがあります。そのような状況で、これらのダビデの激しい言葉を口に出して読むだけでも、私たちの心は取り扱いを受けることができます。もちろん、イエス様は言われました。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)しかし、それは神の助けなくして不可能です。ですからダビデは言いました。「私は祈りの人。」(4節私訳)人にはできないことも、神にできないことはありません。祈りに導かれることはすべて良いことです。意地を張るのを辞めて、主に明け渡して、権力によらず、能力によらず、神の霊によって生きていくことができますように。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

詩篇108:6-13

「神にあって私たちは力ある働きをします。」(108:13)

今日の箇所は詩篇60:5-12と同じ言葉が綴られています。詩篇108篇は二つの詩篇が合体した詩です。私たちは賛美を歌う時に、このように様々な形態があることを認める必要があります。
詩人は

「神によって、私たちは最善を尽くすことができます。」(MSG)

ということを知っていました。だから詩人は祈りました。

「あなたが愛しておられる子、私の叫びを聞いてください。あなたの偉大な力で、私を救ってください。」(6節LB)

神は私たちを愛しておられます、私たちの叫びを聞いてくださいます。偉大な力で私たちを救ってくださいます。この神によって、私たちは最善を尽くすことができます。

詩篇108:1-5

「琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。」(108:2)

今日の箇所は詩篇57:7-11と同じ言葉が綴られています。同じ言葉でも、新しい心をもって歌うところに意味があります。「私は暁を呼び覚まそう。」と言う表現は、パウロとシラスが真夜中に賛美をした(使徒16:25)ように、暗闇で歌うことの意味を示唆していると考えられます。賛美には力があります。主への賛美が夜明けをもたらします。なぜなら、

「あなたの恵みは大きく天の上に及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(4節)

神の信実(へセド)はあまりにも偉大で天を越える、すなわち、私たちが見ることができる現実を超えると言うのです。私たちは、目に見える現実に打ちひしがれるのではなく、信仰によって主を賛美する必要があります。

「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30:5)

箴言22:28-23:9

「仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。」(22:29)

30の知恵の4番から9番。

4.他者の権利を犯してはいけない。「どろぼうと同じこと」(28節LB)

5.「まじめに良い仕事をする人は、必ず成功します。」(29節LB)謙遜に、目立たない仕事を誠実に行い続けているなら、神が良い時に高くしてくださいます。

6.影響力のある人と食事をする時は、マナーに気を付ける。(1−3節)

7.金持ちになることに人生を使い果たさない。富は羽が生えて飛んでいく。(4,5節)

8.けちん坊からの食事の接待を受けてはいけない。(6―8節)

9.愚かな人に理にかなったことを言うことを思い悩まない。からかわれるだけ。(9節)

詩篇107:33-43

「知恵のある者はだれか。これらのことに心を留めよ。主の数々の恵みを見極めよ。」(107:43)

祈りに答え、数々の救いの御業をなされた主を描写した詩人は、こうまとめます。

「主の信実(へセド)が分かるように」

メッセージ訳ではこう訳しています。

「もしあなたが本当に賢いならば、このことを考えてください。神の深い愛をあなたは感謝する時です。」

聖書は私たちに、神の永遠に変わらない愛を思い巡らし、感謝を捧げるように教えます。残念ながら人は喉元過ぎればと言うところがあります。しかし、神の臨在の中に入るパスワードは「ありがとう」(詩篇100:4)です。主の愛を思い巡らし、主に感謝を捧げ、歩むことができますように。

詩篇107:23-32

「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。民の集会で主をあがめ長老たちの座で主を賛美せよ。」(107:31,32)

今日の箇所はまさに聖歌の「人生の海の嵐に」を思い出させます。

「人生の海の嵐にもまれきしこの身も。不思議なる神の手により命拾いしぬ。いと静けき港に着き、我は今、安ろう。救い主イエスの手にある、身はいとも安し。」

「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から導き出された。」(28節)

イエス様は私たちの祈りに答え、人生の嵐を鎮め、港に導かれます。私たちに求められていることは、主に感謝することです。

「人々の前でも神をほめたたえ」(32節LB)

とあるように、私たちは主の御名を公の場でもほめたたえるように求められています。

詩篇107:10-22

「主はみことばを送って彼らを癒やし滅びの穴から彼らを助け出された。」(107:20)

滅びの穴に落ち込む原因は、神のことばを拒絶することから始まります。

「彼らは神のことばに逆らいいと高き方のさとしを退けた。」(11節)

ですから、癒しはいつも神のみことばに帰ってくることから始まります。神のみことばが私たちを健全にします。神のみことばに帰るためには、祈りが必要です。

「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救われた。」(19節)

主に祈ることなく、神のみことばに帰ってくることはできません。神のみことばに帰ることなく本当の癒しを体験することはありません。主を求め、主のみことばに立ち返ることができますように。そして、主にある癒しを体験することができますように。