pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

使徒 12章

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」(12:5)

初代教会のリーダーの一人ヤコブが殺され、もう一人のリーダーペテロも逮捕されました。

教会は、有力者に頼ることも、お金に頼ることもできませんでした。

権力も、政治力もありませんでした。

何も出来ないもどかしい状況の中、教会は熱心に祈り続けました。

そして、神は彼らの熱心な祈りを用いて奇跡を起こされました。

教会は祈りの共同体です。

祈りなくして、教会はありません。

「熱心」と訳された単語は、「たゆまず、根気よく、切に」という意味もあります。

私たちは人にはできないことも、神にできないことはないと信じ、祈り続ける姿勢が求められています。

イギリス、ウェストミンスターチャペルの著名な牧師だったロイドジョンズはこんな名言を残しています。

祈祷会は教会の発電所(powerhouse)、教会の生命を計る温度計である

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使徒 11章

「ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」人々はこれを聞いて沈黙した。」(11:17,18)

私たちは自分たちが理解できる範囲内に神がなさることを限定しないように気をつける必要があります。

初代教会の指導者であったペテロが、

「私のような者が、どうして神のなさることを邪魔することができたでしょうか。」(協会共同訳)

と言ったように、謙遜さが求められます。

少なくとも、

「人々はこれを聞いて沈黙した。」

とあるように、簡単に批判したり、非難せず、沈黙する姿勢が求められます。

ここからキリスト教会は世界へと広がっていきます。

「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(26節)

とあるように、ここから「クリスチャン」と呼ばれるようになります。

使徒 10章

「それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。ようこそおいでくださいました。今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」(10:33)

コルネウスがペテロに送ったしもべたちは、コルネウスをこのように紹介しました。

「正しい人で、神を恐れ、ユダヤの民全体に評判が良い百人隊長」(22節)

コルネウスが実際どんな人物であったかは、彼の態度からもよくわかります。

「コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていた。」(24節)

コルネリウスは使徒ペテロが語るメッセージを聴く準備ができていました。

だから言いました。

「今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」

毎週の日曜日の主日礼拝を、コルネリウスのような姿勢をもつことができますように。

使徒 9章

「そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」」(9:17)

サウロはパウロの別名で、この箇所はパウロの回心の箇所として有名です。

もっともパウロの場合は別の宗教に回心したということではありません。

パウロは自分が信じていたユダヤ人の神がイエス・キリストであることが分かったということです。

興味深いことはそんなパウロが立ち上がるために、アナニアという一人の信仰者が用いられたという事実です。

神は私たちを用いて人々が立ち上がることができるようにしたいと願っているということです。

私たちも手を置いて誰かのために祈るように遣わされています。

使徒 8章

「ピリポは口を開き、この聖句から始めてイエスのことを彼に宣べ伝えた。」(8:35)

導かれた人々との出会いの中でキリスト者としての役割を果たすことの大切さを感じる御言葉です。

いつでも語る準備をしておくこと、神の導きに応答することは少しハードルが高く感じるかもしれません。

しかし今日出会う人が、人生で今日しか会うことのない人だと考える時、その機会はとても貴重です。

ピリポの人生においてこのエチオピアの宦官と話をしたのは恐らくこのときだけだったのではと思います。

今日私たちが出会う人もそうではないかと思います。

もし聖霊に「今この人に語りなさい」と促された時の為に、御言葉を蓄えておくことをお勧めします。

そのなかから語るべき言葉が導かれることをこれまで何度となく体験してきましたから。

使徒 7章

「人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。」(7:57)

ステパノは初代教会最初の殉教者となりました。

人々が聞きたくないことをはっきりと語ったために石で打ち殺されてしまいました。

わたしたちは日々インターネットで様々なものを検索したり見たりしていると思いますが、ネットニュースはコンピューターがユーザーの指向や考えを分析し、その人にあったニュースが出てくるようになっているそうです。

これは恐ろしいことだと思います。

自分の考えに近いものばかり見ていると、他者の意見を冷静に聞くことができなくなってしまうからです。

きょうの箇所では、その結果、善良なはずの一般市民が怒り狂い、よってたかってステパノを殺してしまったのです。

これは現代に生きる私たちへの警告だと、心にとどめたいと思います。

くせ毛なんです

今年もやってきました。一年で一番憂鬱な季節、梅雨。

毛量もさることながらくせ毛具合のひどさが今年は特に強いように思います。

配信の画像を見てそのぼんわり加減にさらにショックを受けていますが「ありのーままのーすがたみせるのよー♪」もう、歌うしかありません。

そう、神様がわたしをこう創られたのですから。

もっと鼻が高ければ、もっと目が大きければ、もっと髪がさらさらだったら、もっと背が高かったらわたしの人生もっと楽しくてきらきらするはず、、、

でもわたしたちはそんな「きらきらした」場所にいるはずの人が自死する現実を目の当たりにし、混乱するのです。

わたしの人生を変えたのは中学一年の時にきいた『あなたは愛されています』というメッセージでした。

何のとりえもなく、平凡な自分。

劣等感でいっぱいだったわたしの心は、神様の愛を知って少しずつ癒されていきました。

そのままで愛されていることを知り、体験することほどわたしたちの心を安定させるものはありません。

だから今日も伝えたいのです。

あなたはそのままで神様に愛されています。

とてもとても、愛されています。

(小山晶子牧師夫人)

使徒 6章

「しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。」(6:10)

聖書を神の言葉と信じ、信仰と生活の唯一の規範として歩むことは、この世の流れにたった一人で逆らって生きているように感じることがあります。

様々な世界の流れに「聖書はこういっています」ということができなくなってきています。

不必要に対立をあおるべきではありません。

しかしステパノがそうであったように「知恵と御霊によって」毅然とした態度で語るべきときがあります。

ポストモダンの時代であるにもかかわらず、聖書的価値観だけは排除しようとする現代はもしかするともっともキリスト者が生きづらい時代かもしれません。

だからこそ集まることを大切にしたいと思います。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

使徒 5章

「そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」(5:38,39)

ペテロは当時の宗教指導者たちにはっきりと言いました。

「人に従うより、神に従うべきです。」(29節)

パウロの先生でもあったガマリエルの姿勢も同じで、彼は神を恐れていました。

彼らは神の律法に従います。

しかし、他の人たちに関しては、その人たちが正しいと思うことを行わせるとしました。

結局のところ、人間が作り出したものであればやがて自滅するからです。

しかし神からのものであれば滅びないから注意が必要です。

今、判断できない内容であればなおさら、「放っておきなさい」(38節)ということになります。