pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

箴言 8:22-31

「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」(8:31、32)

箴言は人格化された知恵が紹介されています。

「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。」(22節)

とあるように、この人格化した知恵は、初めから存在したと言います。そしてこの人格化した知恵は、すべてのものが合うように、

「組み立てる者」(30節)

として存在していたと言います。この世界で生きていくために、私たちは、私たちを導く存在が必要です。神は私たちのために聖霊を与えてくださいました。聖霊なる神は、創造のときから知恵の霊として存在しておられました。創造の時と同じように、聖霊なる神は、私たちの人生を組み立ててくださいます。聖霊なる神は、喜んでその御業をなされています。

詩篇 40:1-8

「私は切に、主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け、助けを求める叫びを聞いてくださった。」(40:1)

原文のヘブル語は、単語を二つ並べると強調表現になるのですが、まさに、この詩のはじめは、「待つ」という言葉が二回続いています。つまり、まず「待ってる。私は待ってる!」という詩人の叫びが描かれています。私たちも新型コロナウイルスの収束を待っています。「いつまで?」と思います。イザヤ書にはこういう箇所があります。

「泣くのも悲しむのも、上から聖霊が臨まれるまでです。そして、悪い荒地が作物を成長せ、肥沃な地が森になります。」(32:15MSG)

「上から聖霊が臨まれるまで」、もちろん、何もしなくてもいいという意味ではありません。ダビデは、「主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。」と言います。つまり、主を求め、主に祈り、主に叫び続けることが大事なことです。主は、私たちの口に、「新しい歌」を授けてくださいます。

詩篇 39:1‐13

「主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。」(39:4)

身体的に問題がないと、死を意識する人は少ないと思います。しかし、人は死亡率100%であり、その時は必ずやってきます。人間のはかなさを意識しないがゆえに、「人生の意味」という重要な問いをせず、人生を無駄に生きてしまうことがあると思います。人生時計があるならば、自分は今、何時に生きているのかを意識することは、大事なことだと思います。詩人が祈るように、人間のはかなさを認識することは大切なことだと思います。賢く時間を用いて、神に頼り生きていくことを学ぶことができるからです。しかし、キリストが復活されたことを知っている私たちは、はかなさだけではなく、永遠の世界があることも覚える必要があります。神の御国は絶えることはありません。

詩篇 38:13-22

「それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。」(38:15)

問題のただ中、詩人はただ祈って神を待ち望むことを選びました。

「いつまで私は危険な崖っぷちに立っていなければならないのでしょう」(17節LB)

崖っぷちに立ち尽くしながらも、詩人は、ただ主を待ち望むことを選びました。時として私たちができる最善の行動は、ただ主を待ち望み、祈ることです。どんなことよりも、ただ黙って祈りに専心することが善い時があります。詩人はそのことを体験したからこそ、この詩が詩篇として私たちのために記録されたのだと思います。アルファのニッキー先生はこんなことを言っています。

「祈りはキリスト教の中心にあります・・・次のような格言があります。悪魔は、私たちの言葉をあざ笑い、私たちの労苦をばかにする。しかし、私たちが祈るとき、悪魔は震えおののくのだ。」

ふつうじゃない日々②

そんな日々を過ごしていた先週初めに次男の進学先から親あてにハガキが届きました。父兄や教会関係者の入学式出席を自粛してくださいとのことで、ああ、じゃあ前日の入寮日でお別れだなあとぼんやり考えていました。ところが週の半ばになって今度はメールが届きました。なんと入寮日を4月28日に、入学式は4月30日に延期する、というものでした。本格的に受験期間が始まってから約4か月。ようやく巣立つ日を指折り数えて待っておりました、、、。こんなことってあるんですね、、、。先週学生会でお別れ会までしてもらったのに。
『人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16の9)』
誰も経験したことのないような日々が続いています。まるで映画を見ているかのような感覚にとらわれることもありますがこれは現実に起こっていること。困難に直面し、自らのメッキや鎧が剥がれ落ちた時、本当の意味で私たちの本質、核となる部分があらわにされるのだと思います。(小山晶子牧師婦人)

箴言 8:12-21

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(8:17)

この箇所の一人称単数の「わたし」は、12節にあるように「知恵」(WISDOM)です。「知恵」は13節にあるように、「主を恐れること」「悪を憎むこと」とあるように神との関係から始まります。神を意識することが知識の土台となります。そして、知恵はすべての人が見出すことができます。「わたしを愛する人をわたしも愛し/わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。」(新共同訳)ですから、ヤコブは言いました。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

本日の主日礼拝は、第二礼拝(10時半)のみ、YouTubeのライブ配信でおこないます。
教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。神様の守りと助けをお祈りしています。

詩篇 38:1-12

「主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。」(38:9)

ダビデは自分の愚かさが招く苦しみを理解していました。ダビデは、

「それは私の愚かしさのためです。」(5節)

と告白しています。ダビデは自分の過ちだけでなく、反対者の罠にも対処しなければなりませんでした。

「私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。」(12節)

一難去らずにまた一難と、時には、どうしてこんなに痛めつけられなければならないのだろうと思います。ダビデはこのような中で、神がすべてをご存じであることに慰めを覚えます。神はそれでもなお彼を赦し、救い出してくださると信じていました。預言者エレミヤもこのように歌っています。

「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は偉大です。』」(哀歌3:22,23)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の ガイドライン (3月27日更新)

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、神奈川県知事より今週末の外出自粛要請もありましたので(主日礼拝は断じて不要ではありませんが)、特に 3 月 29 日(日)の主日礼拝に関して、以下のような対策をとらせていた だきます。

1.主日礼拝は、第二礼拝(10 時半)のみ、YouTube のライブ配信でおこない ます。
・第一(9 時)、第三(18 時)礼拝はお休みします。
・インターネット環境がない方には、DVD を配布します。
・献金は、郵便振替での献金を受け付けます。
加入者名:栄シャローム福音教会
口座番号:00250-0-7655

2.祈祷会(金曜日)も続けて、YouTube のライブ配信でおこないます。
・祈祷課題を教会にお知らせください。お祈りします。

3.平日のビブリオン(聖書の学び会)は、今しばらくお休みします。

今後に関しては、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebook(栄シャローム福音 教会)で、随時お知らせします。

※ 教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。 冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。 神様の守りと助けをお祈りしています。

「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、 また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、 わたしの民に対して疫病を送った場合、
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりく だり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち 返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの 地をいやそう。」(2歴代誌7:13,14)

https://www.youtube.com/channel/UClFWI5CeW9GSoyFA6kK6hhg

詩篇 37:32-40

「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。」(37:34)

主を待ち望むことなくして、主の道に留まることなくして、この地に居場所をみつける方法はありません。ですからダビデは言います。

「全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には未来がある。」(37節新改訳二〇一七)

聖書は言います。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル12:2,3)

私たちは未来があります。しかし、イエス様から目を話すならば、元気を失い、疲れはててしまいます。

※ 本日のSSCの祈祷会も、19時半よりYOUTUBEでライブ配信を行います。祈りの課題をお知らせください。
今度の日曜日(3/29)は、昨日神奈川県知事より今週末の外出自粛要請もあり、地域への証の観点からも、第一礼拝と第三礼拝はお休みとし、第二礼拝もYOUTUBEでライブ配信のみとします。インターネットの環境がない兄弟姉妹にはDVDを配布します。ご連絡ください。新型コロナウイルスの収束のため、続けて、祈っていきましょう!

詩篇 37:21-31

「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は転んでも、倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。」(37:23,24)

ダビデは悪しき者は「取る人」で、正しい人は「与える人」と言います。正しい者は、いつも情け深く人に貸し、その子孫は祝福を得ると言います。神は、そのような生き方を喜ばれると言います。だからと言って、そのような人でも転ぶことはあります。しかし、主がその人の腕を支えておられるから、倒れ伏すことはないと言います。いつまでも倒れたままということはないと言います。ダビデは、その子孫が食べ物を乞うことを見たことがないと言います。これは、世界中のキリスト者へのチャレンジでもあります。パウロは言います。

「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。」(2コリント8:14)