pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

ローマ 5:12-21

「それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(5:21)

神の恵みの完全な統治は、まだ、これから、この世界の終わりにもたらされます。しかし、すでに、主イエス・キリストを通して、神の恵みの統治は始まっていて、私たちを永遠の命に導きます。新改訳二〇一七はこう訳しています。

「それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。」

私たちが何をしたからではなく、イエス・キリストが成し遂げてくださった十字架の御わざのゆえに、神の恵みの統治が、私たちの歩みを、滅びからいのちへと導いていきます。天国に行くことができるというだけではありません。神のみこころが天で行われているように、この地にも行われる、神の御国が現されるように導くのです。

ローマ 4:16-5:11

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」(4:18)

「望みえない」と訳された言葉は、「希望」という単語の前に「παρα」という前置詞がついています。「παρα」という前置詞は、「反して」「反対に」という意味があります。ですから、「希望に反して」と訳せます。望めないどころか、反対されていると考えることができます。さらにこの前置詞は、「超えて」(beyond)という意味があります。「希望を超えて」と訳せます。つまり、アブラハムが、「自らの力で望み続けた」というレベルを超えたところでの、「希望」という意味だと考えられます。LBは、こんな訳をしています。

「そんな約束はとうてい実現するとは思えなかったにもかかわらず、神を信じました。」

状況に絶望し、他者に絶望し、自分にも絶望し、さらに、神にさえも絶望してしまったその先にある「希望を超えた希望に」、「神の契約の家族として数え入れられる信仰」の世界があります。

ローマ 4:1-15

「それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。」(4:1)

直訳するとこうなります。

「それではなんと言いましょうか?私たちはアブラハムを肉による私たちの父であると見出したのでしょうか?」

アブラハムはイスラエル民族の始祖であり、今から四千年近く前の人物です。使徒パウロは、三章で論じられてきたことを受けて、「『アブラハムの家族の一員となる』という意味は、割礼を受けたり、豚肉を食べることを禁止したりして、『ユダヤ民族になる』という意味とは違いますよね」と言っているのです。神はユダヤ民族だけの神なのではなく、どこの国の人でも、アブラハムと同じように、神に信頼する者をみな受け入れてくださる神なのだと言うのです。このような

「信仰の面から、アブラハムは、私たちすべての者の父、私たちはアブラハムの家族ということを見出しているはずですよね」

とパウロは言います。

ローマ 3:9-31

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(23,24節)

23節を原文は、次のように訳すことができます。

「すべての人は、罪を犯したので、神の栄光を失った。」

エルサレム神殿がバビロン帝国に破壊される前に、ユダヤ人たちの罪のゆえに、神の栄光が神殿から去ってしまったことがエゼキエル10章に記されています。バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、神殿を再建しましたが、神の栄光が帰って来たとは記されていません。まさに「すべての人は、罪を犯したので、神の栄光を失った」のです。神は、すべての人の罪を赦すために、神の御子、イエス・キリストを与えてくださいました。イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死に、葬られ、よみがえられたがゆえに、キリストを信じる者たちのただ中には神の栄光、聖霊なる神の臨在が満ち溢れます。

アルファふたたび

きょうはとても嬉しいことがありました。アルファ・コースの参加申し込みがあったのです!できれば年に2回コースを開催したいのですが、なかなか思うようにいかず、しかも前回のアルファはいまだ最後の回が諸事情により開催できず、という状況です。しかし幼いころキリスト教の幼稚園に通っていた、という方がぜひ学んでみたい!ということで8月から始めることになりました。日曜日の12時45分から行います。14時には必ず終わりますので、もし関心のある方がいれば紹介していただければと思いますし、食事の奉仕やヘルプに入れる方は調整を担当する新實伝道師にお伝えいただければと思います。
わたしたちは小さな群れですが、常に外に向かってイエス様を伝える教会でありたいと思いますし、地の塩、世の光としての役割を果たす教会でありたいと思います。アルファのためにぜひお祈りください。そして参加するクリスチャンでない方が、コースを通してイエス様に出会えるようお祈りいただければと思います。主に委ねつつ。  (小山晶子牧師夫人)

ローマ 2:17-3:8

「からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、」(2:27)

この表現は矛盾しています。律法は割礼を受けるように命じているので、割礼を受けないで、律法を守る者とは言えません。口語訳ではこう訳しています。「生れながら無割礼の者であって律法を全うする者」。「生れながら無割礼の者」とは、ユダヤ人以外の異邦人となりますので、異邦人であっても、「律法の要求を満たしている者がいる」ということになります。つまりパウロがここで前提としているのは、ユダヤ人以外の「異邦人」でクリスチャンとなった人たちのことです。異邦人クリスチャンたちは、外見上の割礼はありませんが、聖霊によって、心に「心の割礼」を受けたのだとパウロは言います。これが、旧約聖書のエゼキエル書三六・二六、二七に預言された、神が終わりの時代に与えると約束された新しい契約の成就です。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

ローマ 2:1-16

「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。」(16節)

人は一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっています。(ヘブル9:27)創造主である神は、この世界に対して責任をもたれ、最終的にすべてを正されます。「神にはえこひいきなどはないからです。」(11節)この世界の終わりの日、神は公正に裁かれます。だからパウロは言います。

「あなたは、『ほかの人の場合はいざ知らず、私の場合は別だ。神は見逃してくれる』と、たかをくくっているのですか。神がどれだけ忍耐しておられるか、わからないのですか。それとも、そんなことは気にもかけていないのですか。神があなたを罰しもせず、長いあいだ待っていてくださったのは、罪から離れるのに必要な時間を与えるためでした。神の愛は、あなたを悔い改めに導くためのものです。」(3,4節LB)

ローマ 1:18-32

「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」(1:28-31)

神を礼拝することを拒絶した人は、動物や人を拝むようになり、堕落し、闇の中に生きるようになりました。問題の根底は、

「神を知ることに価値を認めなかった」(新改訳二〇一七)

神を不必要と結論づけたことです。神を知ることは、神を畏れることであり、29節以下に挙げられるエゴイズムの追求のような倒錯した理性がもたらすものは死に値するということを認識することです。

ローマ 1:1-17

「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」(1:4)

「死者たちの復活」とはエゼキエル37章に約束された、終末における聖霊による神の民の復活を指していると考えられます。つまり、イエス・キリストの復活は、この約束の成就ということです。1コリント15章では

「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(20節)

とありますが、旧約聖書に描かれてきたイスラエルを代表したメシヤであるということです。イエス・キリストの福音は、聖書にあらかじめ約束されたものだったということです。天地万物を造られた神は、造られただけでなく、昔も今も、これからも、私たちに一人ひとりに関心をもち、関わり続けておられます。

使徒 28:17-31

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(30,31節)

使徒パウロのローマでの伝道の特徴は、まず第一番目に、「たずねて来る人たちをみな迎え」たことでした。まさに、来る人拒まず、去る人追わずの伝道でした。第二番目に、パウロのメッセージの中心は神の国であり、主イエス・キリストに関することでした。つまり、神のみこころが天で行われているように、この地に行われるようにと、神の支配を伝えました。神の国の王は、私たちの罪のために十字架にかかり、死に、葬られ、よみがえられたイエス・キリストです。パウロは、少しもはばかることなく、妨げられることもなく、主イエス・キリストに関して教え続けました。「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え」ることが教会の中心的役割です。