ヘブル 8章

「以上述べてきたことの要点は、私たちにはこのような大祭司がおられるということです。この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。」(8:1,2)

ここにヘブル書の要点があります。

「私たちの大祭司はキリストであり、現在、天において神の右の座についておられます。」(LB)

キリストはすべてのものを治めておられ、祭司の役割を担われています。

旧約聖書に出てくる幕屋、聖所は、天にあるものの写しであって、キリストは天にあるまことの聖所におられます。

旧約聖書の「古い契約」は、新約聖書の「新しい契約」に刷新されました。

「古い契約」の問題、それはイスラエルの民が「わたしの契約にとどまらなかった」(9節)こと、罪の問題です。

人は「新しい契約」が必要でした。

イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられ」永遠の祭司となられました。

※ 8月2日(月)から神奈川県も緊急事態宣言の発出が決定されましたが、教会の対応は8月1日(日)の役員会で決定し連絡させていただきます。

ヘブル 7章

「このメルキゼデクはサレムの王で、いと高き神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。」(7:1)

「メルキ」は「王」、「ゼデク」は「義」で「義の王」。

「サレム」は「平和」で「平和の王」。

このメルキゼデクの話は、創世記13、14章に出てきます。

アブラハムは敵と戦い、勝利した後、帰る途中にメルキゼデクに遭遇します。

この時、アブラハムは十分の一を捧げます。

メルキゼデクは謎の多い人物ですが、王であると同時にいと高き神の祭司でした。

イエス様はダビデの子孫であり、王の家系、ユダ族の出身でした。

祭司家系のレビ族の出身ではありません。

しかし、このメルキゼデクのように、王であり祭司であると言います。

イエス様は永遠に存在されるので、永遠に王であり祭司です。

「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(7:25)

ヘブル 6章

「神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。」(6:10)

神は私たちがこの地上でどのように生きているかに関心を持っておられます。

聖書ははっきりと言います。

あなたが困っているクリスチャンを助けることで示したすべての愛を、そしてあなたがそれを続けていることを、神はよく知っています。」(10節MSG)

そして、私たちの愛の行為は私たちを堕落から守り、報いを受けることができるようにすると言います。

私たちは、あなたがたがこの世にあるかぎり人を愛し続けて、十分な報いを受けることができるようにと願っています。最後まで希望を持ち続けるなら、信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりすることはありません。」(4-6節LB)

ヘブル 5章

「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、」(5:8,9)

聖書の言う神は三位一体(父、御子(キリスト)、聖霊)の神です。

キリストは子なる神であるにも関わらず、私たちと同じように、苦しみの中で従順を学ばれました。

それは、キリストを信じ、キリストに従う全ての人の永遠の救いの源となるためでした。

キリストの「十字架の死にまで従われ」(ピリピ2:8)たキリストの「信実」が人を救います。

救いは神の恵み、贈り物です。

人は無償で受け取ることができますが、それはイエス様がすべてを支払ってくださったからです。

キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」(7節)

ヘブル 4章

「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(4:14-16)

私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」(1節)

とあるように救いを軽く扱ってはいけません。

みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。」(2節)

とありますが、神の御言葉は信仰をもって受けとめる必要があります。

私たちの慰めは、私たちと同じように人となられ試練にあわれたイエス様は私たちの弱さをよく知っておられるということです。

ですから、恵みの御座に近づきましょう。

ヘブル 3章

「ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。」(3:1)

「使徒」が意味することは、神によって遣わされたお方ということです。

「大祭司」が意味することは、神との永遠の関係を可能としたお方ということです。

このお方を「考えなさい」と聖書は言います。

この箇所でイエス様の特徴としてあげられているのは「忠実」です。

人はイエス・キリストの「十字架の死にまで従われ」(ピリピ2:8)た、その「忠実」(信実)さのゆえに救われます。

しかし、残念ながら、「心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れる」(12節LB)人がいます。

だから聖書は言います。

「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」(13節)

神に心を閉ざすことなく、イエス様のことを考えることができるように、励まし合うことができますように。

夏が来れば想い出す

夏が来ました。
皆さんにとっての夏の想い出といえば、何でしょうか。

幼いころの記憶をたどっていくと、川遊び、蝉取り、クーラーはありませんでしたから扇風機に張り付いていた夏休みの午後、ラムネの青く透き通った瓶、わらび餅売りのおじさん、練乳たっぷりのかき氷。

先日、農協に野菜を買いに行った折、途中歩いたいたち川沿いでそんな幼いころを想いだすようなミンミンゼミの大合唱に遭遇しました。

小さかった私の周りにあったごく限られた世界は、いつの間にか想像も全くできなかった世界へと広がっています。

先日のビブリオンで学んだ出エジプト記19章4節の御言葉が深く心にとどまりました。

あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れてきたことを見た。

8歳の夏、神社で蝉の大合唱の中網を持っていた私は、当時全く知らなかった「よこはま」という場所で蝉の声を聞きながら英児先生と川沿いを歩いている。

ああ、主が鷲の翼に載せて私をここまで運んできてくださったのだなあと静かに感謝した海の日の午後です。(小山晶子牧師夫人)

※ 本日、朝8:30からTVK(テレビ神奈川)ライフ・ラインで小山晶子牧師夫人のインタビューが放映されます。
https://www.tv-lifeline.com/2021/07/25/no-1672/

ヘブル 2章

「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(2:14,15)

ヘブル書2章には明確に救いとは何かが記されています。

どうしてイエス・キリストは人となり、死ななければならなかったか。

天使たちを助け出すためではなく、人を救うためだったからこそ、すべての点で私たちと同じようにならなければならなかったと聖書は言います。

自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。」(18節LB)

こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。」(1節)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

ヘブル 1章

「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。」(1:1,2)

旧約聖書を読むと、神が様々な方法で語られたことがわかります。

主であるわたしは変わることがない。」(マラキ3:6)

とありますから、今も同じように神が語られることもあります。

しかし、終わりの時代である今、究極的な啓示は、神の御子、イエス・キリストによって与えられました。

ですから、私たちは今、イエス・キリストによって解釈する必要があります。

御子は、神を完全に反映し、神の性質を刻印しています。御子は、ご自分が言うことですべてをまとめられます。力強い言葉です!」(3節MSG)