宿題、そして祝大

デイリーデボーションは創世記から黙示録までの旅を一日一章、五周してきました。当初は、聖書を共に読み、その読んだ箇所から主日のメッセージを語ると言うスタイルでした。2018年を迎えるにあたって、聖書のみことばをさらに味わうことができるように、新約聖書を一年で読み終わることができる聖書日課に共に挑戦していきたいと願っています。主日のメッセージもその読んだ箇所の中から基本的には語らせていただきたいと願っています。大和カルバリーチャペルの大川先生は、「宿題の箇所から」という表現をされています。もっとも聖書日課の「宿題」は、祝福が大きい「祝大」だと言います。新しい年、祝福が大きい新約聖書通読の「祝大」(宿題)に共に挑戦していきたいと思います!

ヘブル書 11章

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(6節)

信仰の至上の型は答えを得る前に神を感謝することです。もしかしたら、今、危機的な状況に直面しているかもしれません。あなたが求めている奇跡のために、あなたはいつ神に感謝しますか?神がすでにしてくださったことを感謝することは、お礼です。しかし、先取りして神に感謝することは、信仰です。神がこれからどうなされていくか分からなくても、神がなされていることを感謝しましょう。勝利を見る前に、勝利の歌を歌いましょう。今日は今年最後の主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

2歴代誌 20章

「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。(中略)この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。(中略)恐れてはならない。気落ちしてはならない。」(15-17節)

時として、何かをするよりしないことにはより勇気が必要です。恐れは言います。「そこに突っ立っていないで、何かしなさい!」しかし、神は言われます。「何もしてはいけない。そこにただ立ちなさい。リラックスしなさい。わたしがする。」神の御手に私たちの人生を委ねた時、私たちの戦いは神の戦いになりました。もし、私たちがすべての戦いを戦わなければならないと考えているなら、疲れはててしまいます。神の前に立ちはだかるのをやめましょう。私たちは神ではありません。

2歴代誌 20章

「この者たちは、イスラエルがエジプトの地を出て来たとき、イスラエルがそこに侵入することをあなたがお許しにならなかった者たちです。事実、イスラエルは彼らから離れ去り、これを根絶やしにすることはしませんでした。ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが私たちに得させてくださったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして来ました。私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」」(10-12節)

神はいつも何をするか、いつするかをご存じです。神は肩をすぼめることも、頭を抱えることもありません。私たちはどうしたらいいか分からない時、分かっていると思う時も、いつも、祈りによって最善を知る神にもっていきましょう。

2歴代誌 20章

「私たちの神よ。あなたはこの地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、これをとこしえにあなたの友アブラハムのすえに賜わったのではありませんか。彼らはそこに住み、あなたのため、御名のために、そこに聖所を建てて言いました。『もし、剣、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って――あなたの御名はこの宮にあるからです。――私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます。』」(7-9節)

問題があなたをおじけづけさせないようにしましょう。むしろ、祈りに導かれるようにしましょう。祈りはいつも、あなたの最初の選択であって、最後の頼みの綱ではありません。まず、神がどんなに偉大な方かを思い出すことによって始めましょう。そして、神が何をされたか、神の約束を思い出しましょう。

2歴代誌 20章

「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。」(6節)

もし圧倒されているように感じているならば、神がどんなに偉大な方かを思い出しましょう。あなたの人生において神の存在を大きくするならば、問題は小さくなっていきます。恐れはいつも視点の問題です。問題を恐れるのは、神を小さく見てるからです。神が小さく見えるのは、あなたが神から離れているからです。祈りをもって神に近づきましょう。そうするならば私たちの視点は変わります。神に近づけば近づくほど、神の存在は大きくなり、問題は小さくなります。

ダニエル 9章

「私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、私に告げて言った。「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」(20-23節)

祈っているのに何も起こらないと思っていることがあるでしょうか?あきらめないでください。神はあなたの必要をご存じであり、すでにあなたの祈りを答えるプロセスの中にあるからです。たとえ遅れているように感じても、突然、答えは与えられます。祈り続けてください。

マタイ 2章

「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」」(1,2節)

イエス・キリストのご降誕を知ることが出来たのは、羊飼いと東方の博士たちだけだったことは私たちに多くの示唆を与えます。日々のあわただしい生活の中で、夜空を見上げる時間があった人が気づくことができたと考えるならば、私たちの生活のあり方も見直す必要があるかもしれません。テレビやスマホなどを置いて、どれだけ夜空を見上げるように主のみことばで心を満たしているでしょうか。

ルカ 2章

「すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。

『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。

『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」(9-14節)

今日は主の日であり、クリスマス・イブです。私たちのためにお生まれになられたイエス・キリストに、共に礼拝を捧げましょう!