コロサイ 3章

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。・・・あなたがたは主キリストに仕えているのです。」(23,24節)

誘惑というのは悪いことをしないということだけではありません。正しいことをしないということもあります。犯す罪と怠慢の罪があります。悲劇と同じくらい快適さには危険があります。神はあなたの快適さのためにこの地に置かれたわけではありません。神は神の目的に仕えるためにあなたを置かれました。あなたはどのように神に仕えているでしょうか?私たちは他者に仕えることによって神に仕えます。たとえそれが不都合に思えたとしても。神様は直接主キリストに対してするように、何事においても真心からすることを願っておられます。

1コリント 13章

「人のした悪を思わず」(5節)

新改訳2017では、こう訳しています。

「(愛は)人がした悪を心に留めず」

思いの中で過去の傷を思い返すたびに、私たちはさらに傷を受けます。傷を手放し、傷つけた人を赦すことが平安への道となります。あなたの思いの中に過去の傷がうずくたびに、その思いを神のもとに持っていき、神の恵みを求め、十字架のもとにその傷を置きましょう。

イエス・キリストは傷ついたその御手を伸ばし、私たちを包んでくださいます。

エペソ 4章

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(32節)

あなたを傷つけた人を赦すことは不公平に感じます。しかし、赦しは公平性とは関係ありません。赦しは恵みの世界です。神があなたを赦したのは公平ではありませんでした。しかし、神はあなたを赦されました。あなたを赦された神は言われます。

「わたしはあなたがあなたを傷つけた人たちを赦して欲しい。わたしはあなたがそうするための恵みを与える。」

「神がキリストにあってあなたがたを赦しくださったように、互いに赦し合いなさい。」(LB)

詩篇 32篇

「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」(1-5節)

神はあなたが罪の意識に苛まれて生きることを願っていません。解放されて欲しいと願っています。解放される方法は告白です。神に罪を告白することは、神が知らないことを知らせることとは違います。神は、私たちが悔い改めて告白することを待っています。私たちが告白する時、神は赦すことを約束しています。

今日は主の日。アドベント二週目です。共に主に礼拝を捧げましょう!

1ヨハネ 1章

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(9節)

もし、あなたがただ求めるならば、神はいつもあなたを赦してくださると信頼することができるお方です。飛び越えなければならないハードルも、支払わなければいけない罰金もありません。天秤もありません。交渉する必要もありません。「しばらく待って、あなたが本当に赦しに値するかどうか見てみよう」と神が言われることもありません。ただ、謙遜に、正直に言い表すだけです。しかし、そうする価値があります。あなたはその瞬間、自由にされ、完全に、永遠に赦され、義と認められます。

マタイ 6章

「『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕」(9‐13節)

主の祈りのそれぞれの句は信頼関係を表します。

「天にいます私たちの父よ。」

‐あなたは私の父、私はあなたの子、あなたの愛を信頼します。

「御国が来ますように。」

‐あなたは私の王、私はあなたの従者。あなたの権威を信頼します。

「みこころが行なわれますように」

‐あなたは私の主人。私はあなたの僕。私はあなたの知恵を信頼します。

マタイ 6章

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(34節)

イエス様は私たちに、

「毎週の糧、…毎月の糧、…生きている間十分な糧を、今日もお与えください」

と祈るようには教えられませんでした。

「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(6:11)

と祈るように教えられました。なぜなら、神はあなたが日々、神に頼って欲しいからです。もし、神があなたの必要を一度にまとめて満たしてしまうならば、あなたは神を信頼しなくなってしまうでしょう。神に祈ることすらしなくなるでしょう。だからイエス様は、今日必要なものだけを求めるように言いました。そして、明日のことを心配しないように言いました。

マルコ 14章

「またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」」(36節)

神はあなたの悲しみを慰めたいと願っておられます。あなたがもうこれ以上進めないと感じる時、あなたを支え、強めたいと願っておられます。あなたが痛み、悲しみ、恐れる時、イエス様がゲッセマネの園で祈ったように祈りましょう。

「あなたのみこころのままを、なさってください。」

イエス様は言われました。

「苦しみたくありませんが、あなたが私にとっての最善が何であるかを知っていると信じています。」

苦しみと悲しみの中で、イエス様は神に痛みと苦しみをささげ、神のみこころに委ねました。神は苦難も含めてあなたが人生のすべてを神に信頼することを願われています。

ローマ 12章

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(1節)

LBでは、こう訳しています。

「愛する皆さん。そういうわけですから、あなたがたにお願いします。あなたがたの体を、神に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてささげてください。それが神への礼拝となるのです。」

神の目的のために生きることは、一度の決断だけの話ではありません。神と共に歩むためには、日々のあなたの心の姿勢が求められます。日々、日常生活における様々な決断でも神を第一に求めることです。神の目的のために、今日を生きる決断をしましょう。

ローマ書 8章

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(28節)

LBでは、こう訳しています。

「私たちは、神を愛し神のご計画のうちを歩んでいる人のためには、その身に起こることはすべて、神が益としてくださることを知っているのです。」

なぜなら神があなたを愛し、あなたが神を愛しているから、あなたは神のご計画があなたの人生にとって最高のご計画であることを知ることができます。たとえ人生が大変で、混乱している時でさえも、自分がどうしてこんなに大変な問題を通っているのか分からなくても、あなたは神があなたを見守っていると確信することができます。神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。神はそう約束されました。