「それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。」(17:27)
使徒パウロはギリシア哲学の中心地、アテネで論じ合いました。
アテネの人たちの特徴を聖書は次のようにまとめています。
「アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(21節)
残念ながら、何か新しいことを話したり、聞いたりすることで日々を費やしているだけならば、神に出会うことはできません。
ですから、パウロは単刀直入に言います。
「もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。」
アテネの人の問題は神を求める思いの欠如でした。
人が必要としているのは、新しい知識ではなく、生ける神です。
新しい知識ではなく、生ける神を求めることこそ、人が最も必要としていることです。