1列王記 10:14-29

「全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。」(10:24)

神は自分のための富よりも、知恵を願ったソロモン王に、彼が願わなかった「富と誉れ」に与えると約束しました。(3:13)

そして、その約束の成就をここにみることができます。

聖書は、「神がソロモンの心に授けられた知恵」と、「知恵」を授けるのは神であることを強調します。

聖書は言います。

「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(ヤコブ1:5)

神は私たちに知恵を与えてくださるお方です。

「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。」(箴言9:10)

謙遜に、知恵を求めて祈ることができる人に、神は知恵を授けられます。

1列王記 10:1-13

「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。あなたの神、主がほめたたえられますように。」(10:8,9)

シェバは今のイエメンの辺りと考えられています。

そこからイスラエルに来るほど、ソロモン王の評判は広がっていました。

大事な点は、ソロモン王の知恵を聞いたシェバの女王は、主なる神をほめたたえたということです。

神の知恵が現されるとき、神の御名があがめられます。

私たちは今、聖書を通して神の知恵を聞くことができます。

イエス様は言われました。

「シェバの女王でさえ、あなたがたをきびしく罰する側に回るでしょう。彼女は、ソロモンから知恵のことばを聞こうと、あんなに遠い国から旅して来ることもいとわなかったのです。ここに、そのソロモンよりまさる偉大な者がいるのに、あなたがたは信じようとしません。」(マタイ12:42)

1列王記 9:10-28

「ソロモンの所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたものを建てた。」(9:19)

ソロモン王は富を蓄え、様々な事業を行いました。

しかし、ソロモン王が負わせたこの過酷な労働のゆえに、ソロモン王の死後、王国は分断されます。

そのことを考えるならば、彼が「建てたいと切に願っていたものを建てた」という行動は適切だったのかと考えさせられます。

「ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたいた。」(25節)

とあるように、神に対する礼拝を怠ったということではないと思われます。

しかし、神よりも、事業を中心にしている姿が見え隠れします。

エジプトの王ファラオの娘と政略結婚をしたのも、神のみこころではなく、自分中心になっていく彼の姿を反映しているように思われます。

1列王記 8:54-66

「こうしてソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えた。彼は、それまでひざまずいて、天に向かって両手を伸べ広げていた主の祭壇の前から立ち上がり、まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言った。」(8:54,55)

ソロモン王は、全会衆を前にして、へりくだり、ひざまずき、天に向かって両手を伸べ広げて祈りました。

神を認め、神を恐れ、神の前にへりくだるリーダーだからこそ、立ち上がって、民を祝福することができたのだと思います。

傲慢になって神の前にひざまずくことができなければ、自己中心に陥ってしまいます。

私たちはいつも、神の前にひざまずいて祈ることができるか問われているのだと思います。

そんなソロモン王は民にこのことを思い出させました。

「しもべモーセを通してお告げになった良い約束はみな、一つも、地に落ちることはありませんでした。」(56節)

神は信実なお方です。

1列王記 8:41-53

「あなたご自身が、あなたの御座が据えられた場所である天でこれを聞き、その異国人があなたに向かって願うことをすべて、かなえてください。そうすれば、地上のあらゆる民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようになり、私が建てたこの宮で御名が呼び求められなければならないことを知るでしょう。」(8:43)

ソロモン王の祈りが続きます。

41-43節は異邦人が神を求めて神殿に来たときに、神が祈りを聞いてくださることが祈り求められます。

神殿はイスラエルの民に限定されたものではなかったからです。

神殿はすべての民の祈りの家でした。

44,45節は敵と戦うとき、

46-51節は捕囚となった時、

そして、52,53節で、

彼らがあなたを呼び求めるとき、いつもその願いを聞き入れてください。

と祈りをまとめます。

神殿がキリストの雛型だったと考えるならば、イエス様の名前によって祈り求めることがどれ程大切かが分かります。

1列王記 8:31-40

「だれでもあなたの民イスラエルが、それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、また、かなえてください。一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。あなただけが、すべての人の子の心をご存じだからです。」(8:38,39)

22節からソロモン王の祈りが記録されています。

祈りの中心は、神殿が祈りの場となり、そこで捧げる祈りと願いを神が聞いてくださるようにということでした。

31,32節は隣人に対して罪を犯した時、

33,34節は神に対して罪を犯して敵に敗れた時、

35,36節は罪ゆえに雨が止められた時、

37-40節は災害が起こった時。

どのような祈り、願いであっても、イエス様のゆえに神は聞いて下さいます。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

1列王記 8:22-30

「そして、この宮、すなわち『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。」(8:29,30)

ソロモン王は言いました。

「それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。」(27節)

ですから、「地」とは私たち人間が生活するこの地上のことです。

神の「御住まいの場所」は「天」だと言います。

神は時空間に縛られることはありません。

ところが、神殿はそんな「天」と「地」が重なる場所だと言うのです。

今、イエス・キリストが私たちの神殿です。

ですから、イエス様の御名によって祈る祈りを、父なる神は聞いてくださいます。

1列王記 8:12-21

「それから王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は起立していた。」(8:14)

主が命じられたように幕屋が造られた時、モーセは民を祝福しました。

「モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。」(出39:43)

ソロモン王は、モーセがしたように、イスラエルの民を祝福しました。

彼の祝福の言葉は、神への賛美の言葉で始まります。

「イスラエルの神、主がほめたたえられますように。」(15節)

主なる神をほめたたえること、それが、祝福のことばです。

全ての祝福は神から来るからです。

「すべての祝福の源である神を讃えよ
地上のすべての被造物よ、神を讃えよ
天の軍勢よ、神を讃えよ
父と子と聖霊を讃えよ」

1列王記 8:1-11

「祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」(8:10,11)

神殿が完成したので、祭司たちは主の契約の箱を担ぎ、神殿に運び上げました。

ソロモン王は、羊や牛をいけにえとして捧げました。

祭司たちは、主の契約の箱を至聖所のケルビムの翼の下に運び入れました。

ケルビムは、エデンの園への道を守っていた天使です。(創世記3:24)

祭司たちが聖所から出てきた時、神殿に主の栄光の雲が満ちました。

これは、出エジプト記で、主の幕屋に主の栄光が満ちたのと同じ出来事です。

「そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」(出40:34,35)

神の栄光は、モーセの幕屋と同じようにソロモン王の神殿にも満ちました。

1列王記 7:23-51

「こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。」(7:51)

ダビデは自分の手で神殿を建てたかったのですが、神がそれを許しませんでした。

それで、ダビデはできる限り準備をして、息子ソロモンに託しました。

聖書にはこう記されています。

「ダビデは言った。「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、壮大なもので、全地で名声と栄誉を高めるものでなければならない。それゆえ、私が用意をしておく。」こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。」(1歴代誌22:5,6)

ソロモンの神殿がダビデとソロモン、二世代に渡る共同作業であったことを心に留める必要があります。

上の世代は下の世代のために用意をし、下の世代は上の世代が用意したものを尊重する姿勢が大事なのだと思います。