詩篇 84:8-12

「まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。」(84:10)

主の大庭にいる一日は、この世の千日にまさると詩人は言います。主の大庭とは、主のおられるところ、主の臨在、主のリビングルームのことです。メッセージ訳では、「主を礼拝するところ」と訳しています。それは、「ギリシャの島々のビーチで過ごす千日にまさる」(MSG)と。私たちはどうでしょうか。主を礼拝している時に、リゾート地で過ごすときよりもはるかにすばらしい時を過ごしているという自覚をもっているでしょうか。もしもっているならば、五、六節の約束を体験します。
「主の力を頂き、あなたに従って歩むことをほかの何より願う人は幸いです。そのような人にとっては、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。」(LB)

詩篇 84:1-7

「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。」(84:4)

聖書を通して神に聴き、祈り、礼拝をする人は、神の臨在ほど慕わしい場所はないことを見出します。神の臨在が祝福の場所であり、神の臨在の中に生きることこそ祝福です。神の臨在の中で、涙の谷も、泉のわく所となります。その人の力は神の中にあります。ですから、力から力へと進みます。神の臨在の中に生きている人の特徴は賛美です。「彼らはいつもあなたをほめたたえています。」(4節)パウロとシラスは牢獄の中でも主をほめたたえていました。賛美をすることは私たちの感情とは関係がありません。いつでも、どんな時でも、神を賛美する者こそ、神の臨在に生きる者であり、祝福された者です。

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!
本日(7/12)の主日礼拝は、三密にならないように対策をしながら、第一(9時)、第二(10時半)の礼拝に分散してご出席下さい。第二は学生会による特別賛美も行われます。
第二は10:30よりライブ配信を行いますので、体調がすぐれない方は出席をお控えくださり、オンラインで礼拝にご出席ください。
コロナの感染者が増えていることを鑑み、接触機会を減らすために、第三礼拝(18時)はお休みします。

箴言 16:28-17:4

「ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。」(16:28)

私たちが語ることばは、いのちか、破壊をもたらします。陰口(ゴシップ)は友情を破壊する力があると言います。ですから舌を制御することは重要です。聖書は言います。

「怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。」(32節)

私たちは自分が語る言葉だけでなく、聞く言葉も気をつける必要があります。17:4をメッセージ訳ではこのように訳しています。

「悪人は、意地の悪い会話を楽しむ。うそつきの耳は、汚いゴシップをしたくてたまらない。」

エリコの壁の周りを歩くイスラエルの民は話すことが禁じられました。(ヨシュア記6章)民は黙って、エリコの壁の周りを七日間回りました。民は不平不満があっても口に出すことも許されませんでした。しかし、七日目に七周回り声をあげると城壁は崩れ落ちました。

詩篇 83:1-18

「彼らの顔を恥で満たしてください。主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください。」(83:16)

原文のヘブル語という言語が、大げさな感情表現を特徴にしていますので、驚くような表現が出てきています。しかし興味深いのは、これは別に自分に敵対する人々にのろいをかけているわけではないということです。16節をLBではこう訳しています。

「ああ主よ、彼らがあなたの力と御名を認めるようになるまで、徹底的に恥をかかせてください。」

つまり、主なる神を知らせてくださいという祈りでもあります。単なる知識としてではなく、現実として、主が偉大なる神であることを体験させて欲しいと。神を知らないから、その無知のゆえに起こる問題がなんと多いことでしょうか。私たちの祈りもまた、詩人に学ぶことができると思います。

詩篇 82:1-8

「弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。」(82:3,4)

「神は、天の法廷を開いて、裁判官たちに判決を授けます」(1節LB)

と言うように、裁判所は、社会的弱者を助けるために存在しています。自分で自分の身を守ることができない人々を救助するために、いろいろな社会的な地位が与えられています。しかし、腐敗は紀元前からありました。だから詩人は言います。

「ああ、神よ、立ち上がって、この世をさばいてください」(8節LB)。

やがてすべてを正される神を恐れる裁判官がこの地には必要です。神の存在を意識するならば、私たちの社会はよりよい社会へと変えられていくことだと思います。最終的に、神がすべてを裁かれるという神の国が、この地にもたらされますように。

詩篇 81:8-16

「ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」(81:13,14)

神のため息が聞こえそうな箇所です。どうして私たちは、神に聞き従って生きるのがそんなに難しいのでしょうか。どうして、神の道に生きるのがそんなに大変なのでしょうか。神は言われます。

「あなたの口を大きくあけよ、わたしがそれを満たそう。」(10節)

イエス様は言いました。

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)

イエス様は私たちの人生を祝福に導きたいのです。しかし、羊が羊飼いに聞き従わなければ、緑の牧場にたどり着くことはできません。日々、主の前に静まって聖書を開き、神のみことばに耳を傾けることができますように。

箴言 16:18-27

「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」(16:18)

聖書は、

「高慢は、すべて悪である。」(ヤコブ4:16口語訳)

と言います。神よりも自分のほうが優れていると思い込むことが悪のはじまりだからです。だから聖書は言います。

「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、」(1テモテ6:17口語訳)。

メッセージ訳では今日の箇所をこう訳しています。

「第一にプライド、それからクラッシュ‐エゴが大きければ大きいほど落ち方は激しい。」

私たちは謙遜になって、神のみことばを聞く者とならなければなりません。

「神のみことばを聞く人は祝福されます。主に信頼する人は幸せです。」(20節LB)

詩篇 81:1-7

「苦しみの中であなたは叫びわたしはあなたを助け出した。」(81:7)

神は私たちの叫びに答え、私たちを助け出してくださる主です。どんなに難しい問題があったとしても、私たちは祈りに変えることができます。私たちが祈る時、主は言われます。

「わたしはあなたの肩の重荷を下ろす。あなたを重労働から解放する。」(6節LB)

「わたしはあなたを悪い場所から脱出させる。」(MSG)
詩人は、誰に歌うかをはっきりとさせます。

「神こそ私たちの力です。」(1節LB)

私たちが歌うお方は、私たちの力、私たちを解放し、助けてくださる力ある神です。この詩篇には、多くの楽器が登場します。タンバリン(打楽器)、竪琴(弦楽器)、角笛(吹奏楽器)。私たちはあらゆる楽器を用いて主なる神に賛美を捧げるように命じられています。

詩篇 80:8-19

「万軍の神主よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。」(80:19)

「御顔を照り輝かせてください。」という箇所を、メッセージ訳では、

「あなたの祝福の微笑みが微笑みますように。」

と訳しています。マザー・テレサは、

「微笑みは愛のはじまり」

と言っています。

「ぶどうの木」(8.11節)はイスラエルの民を指しています。

神はエジプトからイスラエルの民を連れ出し、約束の地に植えられ、世話をされました。しかし、石垣は崩され、荒らされてしまいました。(12節)それで、詩人は叫び祈ります。

「私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。」(18節)キリスト教会もまた、石垣が崩され、荒れているような状況にあります。詩人が叫んだように、教会の回復のために祈りましょう。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!

詩篇 80:1-7

「万軍の神よ、私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」(80:7)

困難を感じる時、神の臨在を感じるほど慰めを受けることはありません。詩人は嘲られ、虐げられていました(6節)。詩人は言います。

「悲しみと涙が私たちの食べ物なのですか。」(5節LB)

どんな困難も、マイナスも、神はプラスに変えてくださいます。私たちは、詩人の祈りを自分の祈りにすることができます。「御顔」は「臨在」と訳される単語です。神の臨在の光を体験するためには、光が当たる位置にいなければなりません。自分が輝きを失っていると感じるならば、神との距離が今どうなっているかを自分自身で振り返ることも大切なことだと思います。私たちは主の臨在が必要です。
「万軍の神よ、私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください!」