詩篇 16:1-11

「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(16:10‐11)

旧約聖書には死後の世界は基本的に語られていません。しかし、この箇所には永遠のいのちの希望が語られています。この地上での人生がすべてではありません。イエス・キリストを信じる者たちはこの地上でのいのちが終わる時、神の臨在の中で、天の御国で永遠を生きます。喜びが満ちあふれ、楽しみがとこしえにあります。ですから使徒パウロは言います。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 15:1-5

「このように行なう人は、決してゆるがされない。」(15:5)

詩人は

「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。」(1節)

と、神の臨在に生きるとはどういうことか、神の御国に生きる人の姿をを描写します。

「まっすぐに歩み、正しく行動し、真理を語る。あなたの友人を傷つけず、あなたの隣人のせいにしない。卑劣なものを蔑む。損になっても約束を守り、正直に生きる。賄賂を絶対に受け取らない。」(2‐5節MSG)

このような生き方に、私たちの心の態度を変えるように聖書は教えます。

「この世の型にはまり込んでしまわないように気をつけなさい。むしろ、自分の心の態度がすべて変わるように、自分自身を神に造り変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころが良いもので、受け入れられ、完全であることを、あなた自身が身をもって証明するようになるのです。」(ローマ12:2フィリップス訳)

箴言 3:1-10

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(3:5,6)

私たち人間の一番の問題は、自分の悟りに頼ってしまうことです。人生を生きていく中で積み上げてきた悟りを、何世紀にも渡って神のみことばとして様々な文化圏の人にも語り続けている神の御言葉よりも優先してしまうのです。私たちは謙遜になって、主を認める必要があります。自分の歩む道すべてに、主を認める必要があります。自分の知恵を過信せず、主を歓迎し、主の導きを日々求めること、これは、私たちの人生の生命線となります。

「心の底から神を信頼しなさい。あなた一人ですべてを理解しようとしてはいけない。あなたが行うすべてのこと、あなたが行くすべての場所で、神の声を聞きなさい。神はあなたを道から外れないように守ってくださるお方だから。」(メッセージ訳)

詩篇 14:1-7

「愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。」(14:1)

聖書は「神はいない」という態度が、すべての問題の根源だと教えています。メディアは「宗教」が恐ろしいと洗脳しますが、「神はいない」という思想の下で、多くの血が、中国、ソ連、北朝鮮といった共産圏でも流されてきた歴史を忘れてはいけないと思います。最近も、中国の小学生向けの教科書から外国文学作品の中の「神様」や「聖書」などの表現が削除されたことが、話題になりました。人間を造られた創造主を否定して、すべてを偶然だと片付けてしまいますと、人間の尊厳も、存在意義も見失われててしまいます。神を恐れない人は、「人々をファスト・フードのように扱う」(4節MSG)という現実を心に留めることは大切なことです。

詩篇 13:1-6

「主よ。いつまでですか。」(13:1)

ワーシップ・リーダーのマット・レッドマンがこんな記事を書いています。

「確か、ユージーン・ピーターソン(メッセージ訳の訳者)だったと思いますが、こんなことを言っています。詩篇の七〇%は哀歌で、作者の暗闇の時期に書かれたものです。神に「この状況を、あなたはどうされようとしているのですか?」と泣き叫んでいるものです。詩篇13篇を見ると、「主よ。いつまでですか。あなたは私を全くお忘れになるのですか。」と質問に質問が繰り返されています。でも、終わりに彼は言います。「私はあなたの恵みに拠り頼みました。」(5節)彼は、すべて今は順調だと言ったのではなくて、信頼の問題だと言ったのです。自分はよく分からない。この苦しみから自由になりたい、でも、一日の終わりには、主よ、あなたを信頼します。」

詩人は言います。

「しかし私はあなたの尽きない愛を信頼します。」(5節NIV)

箴言 2:12-22

「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。」(2:21)

リビングバイブルでは今日の箇所をこのように訳しています。

「人生を思う存分楽しめるのは正しい人だけです。」

神との関係が正しくない時、わたしたちはそれ以外のすべてが物質的にも精神的にもたとえ満たされているように見えても、心のどこかに隙間を感じることになります。イスラエル人はあいさつに「シャローム」という言葉を使いますが、この言葉には

『神様とあなたのシャローム(関係)は今日いかがですか?』

という意味があるそうです。

『今日、あなたと神様との「シャローム」はいかがですか?』

もし、告白していない罪があるならば、いま神に告白し、赦しをいただいてもう一度神との正しい関係に入れていただきましょう。もし、赦せない思いを抱えているなら、その人を赦す決心を祈りをもって告白し、神との正しい関係に戻ることができますように。

詩篇 11:1-7

「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。」(11:7)

1節から3節まで、詩人はこの地上の混乱に関して言及します。

「『法も秩序もなくなった。正しい者は逃げるしかない』と、人々は言います。」(3節LB)

しかし、詩人はその視点を地上から天に移します。

「しかし、主は依然として聖なる宮に住み、天からすべてを支配しておられます。地上での出来事をことごとく監視しておられます。」(4節LB)

神は確かに今生きておられ、すべては神の御手の中にあります。そして、神はすべてを正しくされます。たとえ今そう見えなくても、最後には神はすべてを正されると聖書は伝えます。もっとも「正義」という名の下で多くの悲劇が繰り返されてきたことを忘れてはいけないと思います。神の正義が、私たちの罪のために十字架にかかられたイエス様の中にあることを忘れてはいけません。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 10:12-18

「主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。」(10:17、18)

リビングバイブルでは、こう訳しています。

「主よ。あなたは謙遜な人の望みが何であるかご存じです。必ずその叫びを聞いて救いの手を差し伸べ、心に安らぎを与えてくださいます。主は、みなしごや虐待されている人たちのそば近くにいてくださるお方です。それで彼らは、地上の者たちから、二度と脅かされることはありません。」

1節では、詩人は神を遠く感じていました。苦しみのときに、神の不在を感じていました。しかし、最終的に神が世々にわたって永遠の王(16節)であることを悟ります。究極的にこの世界は神の支配下にあることを悟ります。だから、私たちも詩人と共に祈りましょう。御国が来ますように。

詩篇 10:1-11

「悪しき者は高慢を顔に表わし、神を求めません。「神はいない。」これが彼の思いのすべてです。(10:4)

悪しき者の特徴は、神の必要を感じず、神を求めない人です。物事が順調に見えるがゆえに、

「私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわいに会わない。」(6節)

と言ってしまうのです。このような人は、自分がほかの人より重要な存在だと考え、特に貧しい人を軽んじ、平気で傷つけます。

「不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、倒れる。」(10節)

この詩は、まず、私たちがそのようにならないように警告しています。私たちはへりくだって、神が必要な存在であることを認めなければなりません。そして、同時に、この詩人と同じように悪しき者の道がいつも栄え(5節)ているように感じているならば、神は忘れていないことを覚える必要があります。詩人が

「主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。」

と祈ったように祈ることが求められています。

箴言 2:1-11

「主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。」(2:6)

人生をかけて、日々、神のみことばを読むならば、神が知恵を授けてくださいます。

「主のことばはどれも知恵の宝庫です。」(LB)

神のことばを、私たちは蓄える(1節)必要があります。耳を傾け、心を向ける(2節)必要があります。隠された宝を探すように(4節)探す必要があります。そうするならば、主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになります。(5節)主を恐れることを知ることがどんなに大切かわからなければ、真の知恵を得ることはできません。知恵を与えるのは主だからです。

「主は、どんなときにも何が正しく何が間違っているか、正しく判断する方法を教えてくれます。」(9節)