「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(28:30,31)
使徒の働きの最後に、教会のあるべき姿を見ることができます。
「訪ねて来る人たちをみな迎えて」とあるように、教会はオープンである必要があります。
特定の人だけでなく、すべての人に開かれ、すべての人を歓迎する必要があります。
ただし、教会は「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え」る場所でなければなりません。
教会がイエス・キリストのことを教えないならば、それはもう教会とは呼べません。
「神の国」、すなわち、神の統治を認めないならば、教会とは呼べません。
要するに神の言葉である聖書が最高権威でなければ、教会とは呼べません。
使徒の働きはここで終わりますが、教会は継続しています。
私たちは使徒二九章の教会だからです。