ヨハネ 1章

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(12節)

あなたは神の子どもという確信がありますか。聖書は、神はすべての人を創造し、すべての人を愛し、すべての人を神の家族の一員となって欲しいと願っていると言っています。しかし、あなたの信仰をイエス・キリストに置くまで、あなたは神の家族の一員となることはできません。それから、神は、あなたを気にかけ、継続的であり、近くにおられ、力ある父となり、イエス様が教えたように確信をもって祈ることができます。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」イエス・キリストにある永遠のいのちの希望より大いなる希望はありません。

1コリント 2章

「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」」(9節)

神はあなたがもってくるどんな問題も対応することができます。どんな課題も神の能力を超えるものはありません。神の知恵以上の問題はありません。神の資源を枯渇させてしまうほどの必要はありません。あなたをもっとも脅かしているチャレンジや恐れを考えてみてください。神はそのことに対応できるだけでなく、あなたが求めることや想像しているすべてのことよりもさらに計り知れないことをすることができます。

マタイ 7章

「してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(11節)

神はあなたの必要を満たされることが大好きです。だから、神の名は、

「アドナイ・イルエ」

「備えてくださる主」

です。いつでも、どんな種類の願いでも、神に持っていくことが出来ます。神はあなたの声を聞き飽きることはありません。神の豊かさが不足することはありません。あなたが求めることができることに対する制限はありません。神はあなたの人生を祝福したいのです。神は最善をご存じで、最善をあなたに与えられます。

詩篇 139章

「神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。」(17,18節)

LBではこう訳しています。

「主よ。あなたが私をかた時も忘れずにいてくださることは、ほんとうにたいせつな事実です。あなたは一日に、数えきれないほど何度も、私のことを思い起こしてくださいます。眠っているときも、朝までずっと、私のことを考えていてくださるのです。」

神はあなたのことを考えることを止めません。一秒たりとも。あなたはいつも主の思いの中にあります。あなたはいつも神の関心の中心にあります。

ヘブル 13章

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」」(5節)

神の私たちに対する愛は変わりません。私たちは神に期待することができます。私たちは確信をもって祈ることができます。なぜなら、神は私たちを気にかけてくださるお方であり、継続的であり、近くにおられ、力ある父なる神だからです。いつも私たちのそばにおられると約束してくださいました。神と共に歩むことをあきらめてはいけません。神があなたと共に歩むことをあきらめていないからです。「支援(サポート)なくあなたを見捨てることも、あきらめることも、離れることもしない。」(AMPC)と主は言われます。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

2テモテ 2章

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」(13節)

神は常に真実で、いつも正しく、いつでも開かれています。たとえ神に背を向けたとしても、神は私たちに背を向けることはありません。神の私たちに対する愛は私たちの行いに土台していないからです。神の愛は完全にご自身のご性質に土台しています。そして、神のご性質は変わることがありません。したがって神の私たちに対する愛は絶えることはありません。

ローマ 8章

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(38,39節)

神は私たちを愛しています。何も、神の愛から私たちを引き離すことはできません。失敗も、態度も、罪も、頑なさも、神があなたを愛することを止めることはできません。神がどれほど自分を愛しているかを本当に知ったならば、あなたの祈りの生活は変わることでしょう。今まで以上に確信をもって祈ることができるでしょう。

ヨハネ 14章

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(13,14節)

私たちがしなければならない部分は求めることです。神様がされる部分は、それを行われることです。しかし、祈りが答えられる究極的な目的は、神が栄光を受けられることです。祈りが答えられることによって神が栄光を受けられるならば、私たちが祈り求めることはどんなに大切なことでしょうか。神の栄光のために祈り求めましょう!

ヨハネ 14章

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(12節)

祈りは、神のこの地上に対する目的を成し遂げるための神の方法です。イエス様は、ご自身を信じる者は、イエス様よりもさらに大きなわざを行いますと言いました。どうしたら、そんなことが可能なのでしょうか?祈りを通してです。祈りは、もっとも望みのない場所に神の力を解き放ちます。誰も行くことが出来ない場所にも、祈りは入り込むことができます。祈りは不可能を可能にします。「わたしが父のもとに行くからです。」という意味は、イエス様は天においても、地においてもいっさいの権威を受けられたいうことです。イエス様は天と地の主です。祈りましょう!

詩篇 37章

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(4節)

主をおのれの喜びとする人の祈りを、神は喜んで答えてくださいます。神が何でも答えてくださると言うならば、何を祈るでしょうか?心の願いを求めましょう。聖書は言います。

「主は、敬虔な心で信頼を寄せる人々の願いを、かなえてくださいます。」(詩篇145:19LB)

神は必要を満たされるだけではありません。

「願いを、かなえてくださいます。」

と言います。どうしてでしょうか?なぜなら、もし、敬虔な心で神を信頼し、神をおのれの喜びとしているならば、その人の願いは神のみこころに沿っているからです。