使徒 22章

「パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになった。そこでパウロは言った。」(22:7)

パウロはディアスポラ(離散民)と呼ばれる、キリキア出身のユダヤ人でした。

キリキアは今のトルコに位置し、当時の公用語はギリシア語で、パウロもギリシア語を話していました。(21:37)

しかし、教育はエルサレムで受けました。(3節)

パウロはギリシア語とヘブル語をうまく使い分けていました。

パウロの祈り、それは同胞のユダヤ人たちが救われることでした。

パウロにとってこの暴動は、図らずも同胞のユダヤ人に対する伝道の機会となりました。

この時、パウロが語ったことは、ギリシア的哲学論争でもユダヤ的神学論争でもありませんでした。

パウロはただ自分のイエス・キリストとの体験を語ったのです。

自分が体験したことを誰も否定することはできません。

ですから専門的な教育を受けていなくても誰でも福音を伝えることはできます。

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