「その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。」(18:1,2)
ギリシア哲学の中心地アテネから、不道徳な港町として有名だったコリントにパウロは行きました。
その時の様子をパウロはこう説明しています。
「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(1コリント2:3)
つまり、落ち込んでいたのだと思います。
そこで、ローマを追放されたユダヤ人たちの夫婦、アキラとプリスキラに出会いました。
アキラたちもローマを追放されて落ち込んでいたかもしれません。
しかし、この出会いが新たな宣教の窓を開くこととなります。
私たちには理解できないことがたくさんあります。
しかし、神は全てを益とされます。