使徒 27章

「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。」(27:1)

パウロは警告していました。

皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」(10節)。

ところが、

百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。」(11節)

と言います。

さらに

この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。」(12節)

と、状況と多数決で判断が下されました。

百人隊長の判断は世俗社会の現実です。

たとえ聞いてもらえなくても、教会はパウロのように声を上げ、祈り続け、この世に希望を与え続ける使命があります。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

使徒 26章

「それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」(26:18)

ダマスコ途上でパウロに現れたイエス様はパウロの使命をこうまとめました。

人々の目を開き、自分のほんとうの姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗闇から出て、神の光の中に生きるようにするために。わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神の相続財産を受けるようになる。」(LB)

パウロはこれを「天からの幻」(ヘブンリービジョン)(19節)と呼びました。

もっとも、この「ヘブンリービジョン」は、パウロだけでなく、キリスト教会に与えられていると言っても過言ではないと思います。

人は目が開かれ、イエス・キリストを信じ、サタンの支配から、神の御国に生きるものとされる必要があります。

使徒 25章

「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。」(25:19)

総督フェストゥスが理解したパウロがユダヤ人たちに訴えられている理由、それは、イエスが生きていると主張していることでした。

そして、これこそキリスト教会が主張する本質です。

イエスが生きている。

イエス様は私たちの罪のために十字架で死なれ、葬られましたが、復活されました。

復活は福音の中心です。

キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。」(1コリント15:14)

よみがえられたキリストは今生きて働いておられます。

天においても、地においても、すべての権威がキリストにあり、キリストの統治は始まっています。

もうすぐキリストは再びこの地に来られ、全てを正されます。

イエス・キリストこそ、生ける神です。

使徒 24章

「しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。」(24:25)

パウロは、自分の身柄を拘束し、判決を下すことができるフェリクスに直接伝道をすることができる機会が与えられました。

その時パウロは、賄賂を渡すことも、耳に心地よいことも話すこともしませんでした。

明確に、

正義と節制と来たるべきさばきについて論じた

と言います。

それでフェリクスは恐ろしくなったと言います。

聖書は明確に言います。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)

すべての人は必ず死ぬ時があり、そして、裁きの座に立つことが定まっています。

神は義なる神であり、すべてのことを必ず正されます。

イエス・キリストの十字架の御業のゆえに、イエス・キリストを救い主、自分の人生の主として信じる者は救われます。

使徒 23章

「パウロは答えた。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはならない』と書かれています。」」(23:5)

パウロは最高法院に連なる人だったので、アナニアが大祭司だと知らなかったはずがありません。

今日のパウロの発言は皮肉です。

パウロは大祭司アナニアに対して辛辣です。

「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる。あなたは、律法にしたがって私をさばく座に着いていながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」(3節)

「白く塗った壁」、それは偽善者、腐敗したペテン師ということです。

大祭司はサドカイ人であり当時の特権階級でした。

パウロが属していたパリサイ人は、サドカイ人が神の律法を守らず、堕落していたことに反発を感じていました。

ですからパウロの発言は激しい論争をもたらしました。

歴史はこの後五十年も経たないうちにサドカイ人の権威が失墜することを伝えます。

神はすべてをご存じです。

使徒 22章

「パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになった。そこでパウロは言った。」(22:7)

パウロはディアスポラ(離散民)と呼ばれる、キリキア出身のユダヤ人でした。

キリキアは今のトルコに位置し、当時の公用語はギリシア語で、パウロもギリシア語を話していました。(21:37)

しかし、教育はエルサレムで受けました。(3節)

パウロはギリシア語とヘブル語をうまく使い分けていました。

パウロの祈り、それは同胞のユダヤ人たちが救われることでした。

パウロにとってこの暴動は、図らずも同胞のユダヤ人に対する伝道の機会となりました。

この時、パウロが語ったことは、ギリシア的哲学論争でもユダヤ的神学論争でもありませんでした。

パウロはただ自分のイエス・キリストとの体験を語ったのです。

自分が体験したことを誰も否定することはできません。

ですから専門的な教育を受けていなくても誰でも福音を伝えることはできます。

使徒 21章

「彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。」(21:14)

パウロの行動を誰も理解することができませんでした。

エルサレムに行くことは危険が伴うことであると誰もが認識していました。

預言者でさもそのことを告げました。

それで人々は、

エルサレムには上って行かないようにと懇願した。」(12節)

と言います。

しかし、パウロは頑として聞かなかったと言います。

あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」(13節)

パウロの行動を誰も理解できませんでしたが、人々は

「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。

と言います。

時に、主の僕がしていることが理解できなくても、「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐむことも大切なことです。

使徒 20章

「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(20:32)

エペソ教会の長老たちに、パウロは教会全体に気を配ることを命じます。

神がご自分の血をもって買い取られた」(28節)

からです。

教会を否定し、曲がったことを語って自分の方に引き込もうとする人たちが起こるから、しっかりと聖書の御言葉の土台に立つようにパウロは警告します。

そして今、私はあなたを神の御手と神の恵みのメッセージに委ねますが、それはあなたが強くなるために必要なすべてのものです。神の祝福はすべて、神の恵みのメッセージを通して与えられるものであり、それは神の聖なる者たちすべてに与えられる霊的遺産として提供されるものです。」(TPT)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げ、主の御言葉に生きましょう。

使徒 19章

「しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。」(19:9)

パウロの宣教は

聞く耳のある者は聞きなさい。」(マルコ4:9)

というスタイルでした。

パウロはエペソにあるユダヤ人会堂に入って、

三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。」(8節)

とあります。

ところが、彼らが聞く耳がないと分かると、別の所で語り始めます。

しかしある者たちがパウロの話を非難し、人々の面前でキリストに逆らうことばを口にしたので、もう二度と相手にしないことに決め、会堂での説教はそれきりになりました。代わりに、クリスチャンたちを誘って、ツラノの講堂で別の集会を開き、毎日そこで語りました。」(9節LB)

このパウロの宣教方法によって、

アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。

と言います。

使徒 18章

「その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。」(18:1,2)

ギリシア哲学の中心地アテネから、不道徳な港町として有名だったコリントにパウロは行きました。

その時の様子をパウロはこう説明しています。

「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(1コリント2:3)

つまり、落ち込んでいたのだと思います。

そこで、ローマを追放されたユダヤ人たちの夫婦、アキラとプリスキラに出会いました。

アキラたちもローマを追放されて落ち込んでいたかもしれません。

しかし、この出会いが新たな宣教の窓を開くこととなります。

私たちには理解できないことがたくさんあります。

しかし、神は全てを益とされます。