そんな日々を過ごしていた先週初めに次男の進学先から親あてにハガキが届きました。父兄や教会関係者の入学式出席を自粛してくださいとのことで、ああ、じゃあ前日の入寮日でお別れだなあとぼんやり考えていました。ところが週の半ばになって今度はメールが届きました。なんと入寮日を4月28日に、入学式は4月30日に延期する、というものでした。本格的に受験期間が始まってから約4か月。ようやく巣立つ日を指折り数えて待っておりました、、、。こんなことってあるんですね、、、。先週学生会でお別れ会までしてもらったのに。
『人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16の9)』
誰も経験したことのないような日々が続いています。まるで映画を見ているかのような感覚にとらわれることもありますがこれは現実に起こっていること。困難に直面し、自らのメッキや鎧が剥がれ落ちた時、本当の意味で私たちの本質、核となる部分があらわにされるのだと思います。(小山晶子牧師婦人)
箴言 8:12-21
「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(8:17)
この箇所の一人称単数の「わたし」は、12節にあるように「知恵」(WISDOM)です。「知恵」は13節にあるように、「主を恐れること」「悪を憎むこと」とあるように神との関係から始まります。神を意識することが知識の土台となります。そして、知恵はすべての人が見出すことができます。「わたしを愛する人をわたしも愛し/わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。」(新共同訳)ですから、ヤコブは言いました。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。
本日の主日礼拝は、第二礼拝(10時半)のみ、YouTubeのライブ配信でおこないます。
教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。神様の守りと助けをお祈りしています。
詩篇 38:1-12
「主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。」(38:9)
ダビデは自分の愚かさが招く苦しみを理解していました。ダビデは、
「それは私の愚かしさのためです。」(5節)
と告白しています。ダビデは自分の過ちだけでなく、反対者の罠にも対処しなければなりませんでした。
「私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。」(12節)
一難去らずにまた一難と、時には、どうしてこんなに痛めつけられなければならないのだろうと思います。ダビデはこのような中で、神がすべてをご存じであることに慰めを覚えます。神はそれでもなお彼を赦し、救い出してくださると信じていました。預言者エレミヤもこのように歌っています。
「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は偉大です。』」(哀歌3:22,23)
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の ガイドライン (3月27日更新)
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、神奈川県知事より今週末の外出自粛要請もありましたので(主日礼拝は断じて不要ではありませんが)、特に 3 月 29 日(日)の主日礼拝に関して、以下のような対策をとらせていた だきます。
1.主日礼拝は、第二礼拝(10 時半)のみ、YouTube のライブ配信でおこない ます。
・第一(9 時)、第三(18 時)礼拝はお休みします。
・インターネット環境がない方には、DVD を配布します。
・献金は、郵便振替での献金を受け付けます。
加入者名:栄シャローム福音教会
口座番号:00250-0-7655
2.祈祷会(金曜日)も続けて、YouTube のライブ配信でおこないます。
・祈祷課題を教会にお知らせください。お祈りします。
3.平日のビブリオン(聖書の学び会)は、今しばらくお休みします。
今後に関しては、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebook(栄シャローム福音 教会)で、随時お知らせします。
※ 教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。 冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。 神様の守りと助けをお祈りしています。
「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、 また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、 わたしの民に対して疫病を送った場合、
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりく だり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち 返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの 地をいやそう。」(2歴代誌7:13,14)
詩篇 37:32-40
「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。」(37:34)
主を待ち望むことなくして、主の道に留まることなくして、この地に居場所をみつける方法はありません。ですからダビデは言います。
「全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には未来がある。」(37節新改訳二〇一七)
聖書は言います。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル12:2,3)
私たちは未来があります。しかし、イエス様から目を話すならば、元気を失い、疲れはててしまいます。
※ 本日のSSCの祈祷会も、19時半よりYOUTUBEでライブ配信を行います。祈りの課題をお知らせください。
今度の日曜日(3/29)は、昨日神奈川県知事より今週末の外出自粛要請もあり、地域への証の観点からも、第一礼拝と第三礼拝はお休みとし、第二礼拝もYOUTUBEでライブ配信のみとします。インターネットの環境がない兄弟姉妹にはDVDを配布します。ご連絡ください。新型コロナウイルスの収束のため、続けて、祈っていきましょう!
詩篇 37:21-31
「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は転んでも、倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。」(37:23,24)
ダビデは悪しき者は「取る人」で、正しい人は「与える人」と言います。正しい者は、いつも情け深く人に貸し、その子孫は祝福を得ると言います。神は、そのような生き方を喜ばれると言います。だからと言って、そのような人でも転ぶことはあります。しかし、主がその人の腕を支えておられるから、倒れ伏すことはないと言います。いつまでも倒れたままということはないと言います。ダビデは、その子孫が食べ物を乞うことを見たことがないと言います。これは、世界中のキリスト者へのチャレンジでもあります。パウロは言います。
「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。」(2コリント8:14)
箴言 8:1-11
「知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」(8:11)
箴言における「知恵」は人格化されて語られます。「知恵」が単なる思考の問題ではなく「生き方」そのものに関わることを示しています。ですから、箴言は一貫して一時の快楽ではなく、「知恵」を求めることを勧めます。どんな宝よりも「知恵」を求めることを勧めます。それでは、どこでまことの「知恵」を見いだすことができるのでしょうか?新約聖書にその究極的な答えを見ることができます。
「キリストは神の力、神の知恵なのです。」(Ⅰコリ1:24)
もし、本物の知恵を求めるならば、私たちはイエス・キリストとの関係からはじめなければなりません。イエス・キリストとの関係は、どんな宝にもまさり、何も比べることはできません。
「主よ、あなたは銀よりも貴い。主よ、あなたは金よりも価値がある。主よ、あなたはダイヤモンドより美しい。比べうるものは何もない」
詩篇 37:10-20
「しかし、柔和な人は地を受け継ぎ、豊かな繁栄を自らの喜びとする。」(37:11)
「柔和な人」とはどういう意味でしょうか。詩篇37篇で言及されていることが「柔和な人」の特徴と言えます。柔和な人は、悪を行う者に腹をたてません。不正を行う者にねたみを起こしません。(1節参照)主に信頼して、善を行い、誠実を養います。(3節参照)なさけ深く、人に施し、悪を離れて、善を行います。(21,27節参照)その心には、神のみおしえがあり、よろけることはありません。(31節参照)LBでは、11節をこう訳しています。
「神の前に謙遜な人は、ありとあらゆる祝福を受け、心地よい平安に身をゆだねるのです。」
さらにダビデは言います。
「主は日々、主を信頼する人の善行をごらんになり、永遠のほうびをお与えになるのです。彼らは逆境のときにも、神に守られています。ききんの年にも満ち足りることができるのです。」(18,19節LB)
詩篇 37:1-9
「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。」(37:1)
まじめに生きることがばからしく思えてしまう時があることは、古今東西変わりません。
「怒るのをやめ、憤りを捨てなさい。くよくよ思い悩んではいけません。自分に害をもたらすだけです。悪者は滅ぼされますが、神に信頼する者には祝福が降り注ぎます。」(8,9節LB)
私たちは、この事実を聖書から聞く必要があります。神を無視して生きていくことは、滅びへの道を歩んでいるということに、気づかされる必要があります。
「不正な手段で金持ちになるより、わずかな持ち物でも満足し、主を信頼して過ごすほうがまさっています。」(16節LB)
正しく生きようとする方が、幸いな人生であることを、私たちは認識する必要があります。
「主は日々、主を信頼する人の善行をごらんになり、永遠のほうびをお与えになるのです。」(18節LB)
ふつうじゃない日々
先週半ば、長男の卒業証書が宅急便で送られてきました。
何とも味気なく悲しいので「ちゃ―んちゃ―ちゃちゃーんちゃーんちゃちゃちゃちゃちゃーちゃーちゃーん」と定番の曲を歌いつつ、リビングでささやかな授与式を行いました。
こんな終わり方になるなんて思いもよらなかったですが、卒業式に限らずそれぞれ今置かれている生活の様々な場面で、少なからず『普通ではない』状況に置かれて戸惑っている方が多いのではと思います。
ただ、今までとは違う状況に強制的に置かれることで、これまでとは違った視点でアイデアが生まれていることも最近よく耳にします。
今回の出来事が、私たちが周りを見ることなく走り続けた社会に、一石を投じる機会となったことは否めません。
それは教会も例外ではないと思います。
神様との時間を通して、キリスト者としての自らの役割をもう一度祈り、考える時間を持ちたいと思います。
家庭で、教会で、地域で、職場で、学校で、わたしたちは神様がそこに置いてくださった本来の役割を果たせているのでしょうか。
(小山晶子牧師婦人)