1コリント 2:6-16

「いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。」(2:16)

今日の箇所をLBでは次のように意訳しています。

「いったい、どうすれば彼らに聖霊がわかるというのでしょう。彼らは、主の思いを知ったこともなく、それを主と論じあったこともなく、また、祈りによって神の御手を動かしたこともないのです。しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。」

人はそれぞれ自分の世界観の中で物事を考え判断します。その世界観は自分が育って来た環境や教育などが大きく影響を与えます。聖書に書いてあることに抵抗を感じる理由は、そのような世界観がないからです。もっとも聖書に書いてある世界観は字面を読むだけではわかりません。イエス・キリストを信じ、聖霊を歓迎しなければ理解できない世界があります。

ミクタム設立40周年

先週木曜日、ミクタム設立40周年記念感謝祭に参加してきました。教会に最近来られた方々にとってはあまり馴染みがないかもしれませんが、ミクタムはもともと一般の音楽シーンで活躍していた小坂忠さんがクリスチャンとなり、キリスト教会の音楽レベルを上げたいというビジョンもって始めた働きです。ギターやドラム、ピアノさえも弾くことがはばかられていたような40年前。どれほど困難な働きだったかと思いますが、次世代につながる開拓者としてのいばらの道を歩み続けてくださったことにただただ感謝の思いでいっぱいです。小学生のころから見ていた「忠さん」。その忠さんの背中を見ながら今回コーラスをさせていただきました。昨年、かなり進行した癌が見つかり、長期の入院を余儀なくされた忠さんは、細く小さくなっていました。でも賛美を歌い始めた途端、太くて力強い声が会場中に響きわたり、神様の圧倒的な臨在で満たされ、私自身泣きそうになるのをこらえながらの奉仕となりました。神様は昨日も今日もいつまでも変わることがありません。わたしは奇跡を信じます。   (小山晶子牧師夫人)

 

1コリント 1:18-2:5

「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(1:23,24)

英国人の学者が、米国の学会に出張中、英国対豪州のラグビー・ワールド・カップの決勝が開催されました。米国人はラグビーに興味がないため、テレビ中継はありません。それで、英国が優勝したことを英国にいる娘から電話で聞きました。その喜びを分かち合いたくてホテルのロビーに行きましたが、そこには何も知らない米国人しかいません。それで、早めに学会の会場に行き、ワールド・カップのことを知ってる人を待ちました。最初に来た人は豪州人でした。豪州人にとってはつまずき、米国人にとっては愚かでしょうが、信じる英国人にとっては…。福音は信じる者には神の力です。今日は主の日。共に礼拝を捧げましょう!

1コリント 1:1-17

「さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」(1:10)

様々なクリスチャンがいることは素晴らしいことです。形式や儀式を通して神との関係を築く人もいれば、形式ばらない現代風の雰囲気で神との関係を築く人もいます。学術的に聖書を学ぶ人もいれば、デボーション的に聖書を読む人もいます。様々な教会があるので、様々な人々に伝道することができます。問題は、自分とは違うアプローチをしている教会や信仰者を比較し、見下し、裁くことから始まります。自分が絶対と思わずに、互いの違いを認め、キリストにあって一致する姿勢が必要です。

「本質は一致、本質以外は多様性、すべてのことは愛をもって」

が原則です。

ローマ 16:1-27

「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。またその家の教会によろしく伝えてください。」(16:3-5)

プリスカとアクラは、とても興味深い夫婦です。彼らは新約聖書の六箇所で言及されています。彼らは天幕づくりの仕事をしていて、パウロは彼らと一緒に仕事をしたと言います。彼らはまた、アポロがまだ駆け出しの頃、教え、助けました。彼らはどこにいても、パウロの働きを支え続けました。教会はいつの時代も、彼らのような神によって立てられた、誠実な信徒たちによって支えられてきました。

「主よ、誠実にミニストリーを支え続けてくださっている、すべての信徒の方々に、祝福がありますように。」

※ 本日のSSCの祈祷会は、ユーオーディア30周年記念賛美の夕べに合流するためお休みです。

ローマ 15:14-33

「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。」(15:30)

使徒パウロは祈りの力を信じていました。神の国の働きが前進するためには、祈りが必要であることを自覚していました。シュラッターという学者はこう言います。

「パウロはエルサレムに向かう自分の旅は真剣な、困難な業ではあるが、よき結果は祈りにより努力して手に入れねばならないことを最初から、はっきりと気づいていた。」

神は私たちの祈りに答えなければならないわけではありませんが、私たちの祈りに答えられる神です。神は私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業を現そうとされる大いなる神です。教会のために、牧師のために、伝道者のために、切にお願いします。共に力を尽くして神に祈ってください!

ローマ 14:19-15:13

「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」(15:5-7)

ここに、ローマ人への手紙の結論があります。ローマにはいくつかの家の教会がありました。しかし、彼らは仲違いしていました。それで、互いに同じ思いを抱くことができるように、心を一つにし、声を合わせて、父なる神に栄光を帰すことができるようにとパウロは祈るのです。神の栄光がこの地に現されるためには、キリストのからだである教会が、キリストが私たち一人一人を受け入れてくださったように、互いに受け入れ合う必要があります。

ローマ 14:1-18

「主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。」(14:14)

ユダヤ教ではコーシェル、イスラム教ではハラールという食べて良い食品があります。それ以外は、宗教的に不浄な食物として、食べてはいけないとされます。しかし聖書は、

「それ自体で汚れているものは何一つありません」(新改訳二〇一七)

と言います。あくまでも、配慮の問題だけだと言います。食物規定よりも気をつけなければならないことは、批判し合うことだと言います。使徒パウロの嘆願は切実です。

「キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。」(14:15)

ローマ 13:1-14

「「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」(13:9,10)

聖書の言う愛は「欲望」という自己中心の愛とは違います。相手の必要を認めて与えていく、満たしていくのが、聖書の言う愛です。ですから隣人に対して害を与えるようなものは、聖書の言う愛ではありません。また、何でもしてあげることが愛とも限りません。「愛は律法を全うします」を新改訳二〇一七では、「愛は律法の要求を満たすものです」と訳しています。相手のことを思い、行動することが愛であり、これが実は旧約聖書の律法の要求を満たすものだったのです。

「愛はいつも善をもって悪に打ち勝つ。」

(Love will always overcome evil with good.)」

(スティーフ゛ン・カーティス・チャッフ゜マン)

己を知る

ADHD(注意欠陥)と診断されてから約一年。デイリーのこの場所に病気のことを公表することは勇気のいることでしたが、様々な方がこれを読んでくださっていて、もし、同じようなことで悩んでいる人がいるなら力になれるかもしれないと思い、ちょくちょく書かせていただいています。努力でカバーできることと、周りの助けが必要なことがあって、そのラインがはっきりしてきたことで気持ちが楽になりましたが、物をなくすことが多く、特にいつも携帯電話を探している自分にはほとほと困っています。また、なんでも真に受けてしまうことや、相手の感情がうまく読み取れないこと、聴覚、嗅覚が人一倍強いことで過敏に反応してしまうところなど困ることもあるのですが、調べたところADHDに人に向いている職業の一つが「音楽家」とのことで、そういう意味では神様が与えてくださった特性が生かされていてリラの活動があるのだとも思います。己を知ることで、マイナスに見えていたことがプラスであったことも知ることができて、感謝する日々でもあります。
(小山晶子牧師夫人)