民数記 35:1-36:13

「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。」(35:33)

殺人で流された血は土地を汚します。憎しみと復讐の連鎖はこの地を地獄と化します。しかし、神の御子イエス・キリストは、十字架にかかり、その血潮を流されることを通して、この憎しみと復讐の連鎖を断ち切りました。イエス・キリストの血潮は、土地を汚すどころか、すべてをきよめました。イエス・キリストの十字架の御業は、この地を癒やします。キリストにある神の愛と赦しによって、この地は回復します。キリストの福音を伝えることは、この地の回復に参与することでもあります。

民数記 33:1-34:29

「モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。」(33:2)

33章は、「何処から旅立って何処に宿営した」という記録が3節から49節まで続きます。なぜ、神はそんなことをいちいち記録するようにモーセに命じたのでしょうか。

第一に、

この記録は私たちに神が私たちの人生の全旅程をご存知であるということを教えてくれます。

そして第二に、

この記録は、神が必ず導いてくださるということを私たちに教えてくれます。

神は私たちの人生の全旅程をご存知であり、どこに宿営するかもご存知です。そして、どこに導くかもご存知です。神は必ず私たちを約束の地に導き入れてくださいます。ですから、たとえ理解できなくても、日々、すべてをご存知な神に信頼し、ついていこうではないでしょうか。

民数記 31:25-32:42

「その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆との間に二分せよ。」(31:27)

旧約聖書の戦いに関する記事は難解です。ただここでは、神が戦いに出て行った戦士たちと、戦いにいかなかった人たちと、二分するように言われていることに心を留める必要があります。働く者が報酬を受けることは当然のことですが、分配する責任もあります。富の分配を意識しない資本主義は崩壊します。ダビデも、戦いに行かなかった人に分捕り物を分けないと言った意地の悪い人たちにこう言いました。

「兄弟たちよ。主が私たちに賜わった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」(1サム30:23,24)

ぱんぱん

いつもは土曜日に書くことの多いデイリーのコラムですが、今日は金曜日。あすはリラのコンサートが東京で行われるので一日早く書いています。昨日まで三日間御殿場で行われたユースキャンプに参加してきました。日曜日の礼拝時に、参加したメンバーがそれぞれ証をすることになっています。事故やけがもなく、全てが守られました。皆様のお祈りを心から感謝します! 私は中一になる春のキャンプでイエス様に出会いました。神様に愛されていることを小さいころから何度も聞いてきましたが、本当の意味で、ほんの少しですが実感できたのです。誰にも気づかれないような小さな出来事でしたが、私の人生にとっては、神様への生きた信仰となったこの瞬間が何よりも大きな出来事であったと思います。参加した子どもたちにとっても、そのようなかけがえのない時間であってほしいと心から祈っています。それにしても、年度末のせいかあわただしさに頭も心もぱんぱんです。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて次の作業に向かいたいと思います。 (小山晶子牧師婦人)

民数記 29:12-31:24

「八日目にあなたがたはきよめの集会を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。」(29:35)

「どんな労役の仕事もしてはならない」という安息日を守る理由は、神を神とするためです。ヘブル人は、一日は夕から始まると考えます。私たちは眠り、神が働かれます。私たちが目覚める時、神は神の創造の働きに、私たちが参与していくように呼び出されます。私たちは信仰によって、それぞれの働きによって応答します。ですから、まず、すべては神の恵みから始まります。私たちは、私たちが造ったわけではない世界の中で目覚めます。夕、神は私たちの助けなしに創造的な一日を始められます。朝、神がはじめられた一日を楽しみ、分かち合うように、その働きに参与するように私たちを招きます。私たちが眠っている間に、神は素晴らしいことを行われています。私たちの理解をはるかに超えたことが行われています。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

民数記 27:12-29:11

「第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。」(29:1)

イスラエルの人たちにとって、荒野での生活を保つために、こなさなければならない多くの仕事がありました。しかしこの章では、聖なる会合を開くことと、仕事を休むことが命じられています。荒野での四〇年間、彼らを肉体的、精神的、霊的に守ったのは、彼らが終わることのない仕事を休んで、集まって主を礼拝する時間を大切にしたからです。現代人も様々な仕事をこなすために時間に追われています。主の日に普段の仕事から離れて、集まって神を礼拝することが、私たちを肉体的、精神的、霊的に守ってくれます。主の日の礼拝を大切にしましょう!

民数記 26:12-27:11

「しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。それは主がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ。」と言われていたからである。彼らのうち、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。」(26:64,65)

約束の地を目の前にして、神は再度、イスラエルの民の人口調査を命じられました。1章で行われた第一回目の調査の時に数えられた者は、ヨシュアとカレブ以外はいませんでした。その理由は、ヨシュアとカレブ以外は神に従うよりも、自分たちの意見を優先したからでした。(14章参照)信仰生活は選択の連続です。神を信頼することを選ぶか、自分たちの意見を優先させるか、私たちは選択しなければなりません。イスラエルの民は話し合いの結果、荒野をさまようことになりました。話し合うことより、神のみこころを求めて祈ることが大事です。

民数記 23:27-26:11

「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。」(25:11)

ピネハスは、イスラエルから主の燃える怒りを離れさせるために、悪事に目をつぶることなく、処刑しました。イエス様の時代のパリサイ人たちが模範としていたのは、このピネハスでした。イエス様に出会う前の使徒パウロも、イスラエルの国の罪が赦され、ローマ帝国から解放されるために、神の律法に違反していると考えられる人たちを、このピネハスを模範として次々に粛清していきました。ピネハスの行動は、確かにこの箇所では称賛されています。しかし、今、すべての罪はイエス・キリストの十字架によって赦されました。神が求められているのは粛清ではなく、イエス・キリストを信じることです。

民数記 22:21-23:26

「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。」(23:19)

神と人間には大きな違いがあります。創造主と被造物と言う違い以外にも、今日の箇所では3つの違いが出てきます。まず、第一番目に

人は偽ることがあっても神は偽ることはありません。

第二番目に

人は罪を犯すので、悔いる必要がありますが、神は罪を犯すことはありませんので悔いることはありません

第三番目に

人は言ったことさえ実行できないところがありますが、神は約束されたことは必ず成し遂げられるお方です。

バラクは言いました。

「その神が、『祝福しなさい』とお命じになったのです。神の祝福を変えることはできません。」(20節LB)

詩篇133篇では、私たちが礼拝をするために共に集まるそのところにとこしえのいのち祝福が命じられると言います。

誰も変えることはできません。

民数記 21:4-22:20

「民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」」(21:5)

荒野を旅する彼らに、毎朝天からマナが降ってきました。しかし、彼らは驚くような奇跡のマナを、「みじめな食物」と呼びました。榎本師はこう言います。

 

「いつとはなしに神の言葉を求めなくなった。

あたかも生の秘密のすべてが聖書の中に隠されてあるかのごとくに思って、尋ね求めた時代、そうした初心がいつの間にか忘れられ、現実の生活の方が大きくなり、この現実を生きていくのにみ言葉がとるに足りない軽いものに思われるようになったとき、私たちは求めることを怠るようになる。

そして求めることを怠るとき、私たちは何ものも受けることが出来なくなり、この世の真中で飢えて死にそうになる。(中略)

神に帰る以外に私たちの真の解決はない。」