ずっと気になっていた道路沿いのジャスミンの茂みを、二週間前のビブリオン後姉妹方と共にとうとう思い切って伐採しました。ものすごい葉の量で根本もどこかわからない中格闘すること数十分、見えてきたのはわずか三株の茶色い枝の塊のようなものでした。花の香りは好みが分かれるところだと思いますが、私はジャスミンの香りが大好きです。この香いいな、と思った香水や芳香剤にはたいていジャスミンの香りが入っていますし、古代エジプトではすでに栽培されていたということもエジプト好きの私にとっては重要な好きポイントです。さて、根元まで刈り込まれた教会のジャスミンがその後どうなったか気になって昨日見に行ってみました。驚くことに新芽が枯れた枝のようなところからたくさん出てきていたのです。『エッサイの根株から若枝が出て、、、』という御言葉を思い出しました。新芽が出る様は新しい始まりを予感させる、希望を感じる場面であることを、
ジャスミンを通して感じた、梅雨の晴れ間の午後の出来事でした。
(小山晶子牧師婦人)
詩篇 78:32-39
「彼らは思い出した。神が自分たちの岩でありいと高き神が自分たちを贖う方であることを。」(78:35)
神は私たちが唯一信頼できる揺るがない岩であり、私たちを贖うお方です。神は、神の民のために超自然的な御業をなされるお方です。しかし、詩人は言います。
「これらすべてにもかかわらず彼らはなおも罪を犯し神の奇しいみわざを信じなかった。」(32節)
神が彼らを懲らしめると、人々は神に立ち返りました(34節)。しかし、それも口先だけで、心からのものではありませんでした(36節)。それでも、神は彼らをあわれまれました(39節)。聖書が教える神の解決策はこれです。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。」(エゼキエル36:26)
人は、新しい霊、聖霊に満たされる必要があります。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!
詩篇 78:17-31
「神は上の雲に命じて天の戸を開き、彼らの上に食べ物としてマナを降らせ天の穀物を彼らに与えられた。」(78:23,24)
今日の箇所は、エジプトから約束の地に向かうイスラエルの民のことが記されています。イスラエルの民は岩が裂けて水が湧くという奇跡を体験したのにも関わらず、「欲に任せて食べ物を求め」(18節)、言いました。「荒野で食事を備えることが神にできるのか。」(19節)神はこれを聞いて怒られました。「これは彼らが神を信じず御救いに信頼しなかったからである。」(22節)。それでも神は天の糧、マナをイスラエルの民に与えられました。神の奇跡は不信仰な民にも現わされました。しかし、不信仰を是としたわけではありません。神を信頼しようとしない民に対して、神は怒られます。
「皆さん。心が悪に染まって信仰をなくし、生ける神から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。」(ヘブル3:11)
詩篇 78:9-16
「昼は雲で彼らを導かれた。夜は夜通し炎の光で。」(78:14)
神は私たちを導かれる神であり、私たちが必要な導きを与えてくださる神です。詩篇78篇はイスラエルの歴史が綴られています。イスラエルの問題は、この事実を忘れてしまったことにあります。
「彼らは神の契約を守らず神のおしえに従って歩むことを拒み、神の数々のみわざを忘れてしまった。神が見せてくださった多くの不思議を。」(10,11節)
神との約束を守らない、神の教えに従って歩むことを拒む、これは、神のみわざを忘れてしまった証拠でもあります。私たちは、イエス・キリストの十字架の御業を忘れてしまっていないでしょうか?自分の身代わりとなって、十字架で死んでくださったイエス・キリストを忘れていないでしょうか?
箴言 15:21-30
「正しい人の心は、どう答えるかを思い巡らす。悪しき者の口は悪を吐き出す。」(15:28)
言葉は、何でも思ったことを吐き出せばよいというわけでありません。聖書は言います。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)
もちろん、そのためには、「よく考えてから話」(28節LB)すことを身に着ける必要があります。メッセージ訳が、「祈りをこめた答えは、神に忠実な人々からくる。」と訳しているように、「よく考えてから」とは、祈りの中で話すという意味だと思われます。そのような神に忠実であろうとする人の祈りを主は聞かれます(29節)。
詩篇 78:1-8
「彼らが神に信頼し神のみわざを忘れずその命令を守るために。」(78:7)
4節にこう書いてあります。
「この真実の解き明かしを聞いたら、あなたがたもまた、栄光に輝く主のわざを子どもたちに説明し、そのめざましい奇跡を語り伝えなさい。」(LB)
私たちは、神のすばらしい御わざを、自分のうちにだけとどめるのではなく、次から次へと語り伝えるように召されています。
「こうすれば、すべての世代の人々が神のおきてを守り、神に希望を見いだし、その栄光に輝く奇跡を忘れることはありません。」(7節LB)
神のすばらしいわざを聞くことを通して、私たちは神に希望を見出すことが出来ます。次世代に対して私たちが希望をもつためには、次世代の人々が神に希望を見出すことができるように、神のすばらしいみわざを私たちが伝えていく責任があります。
詩篇 77:10-20
「私は主のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。」(77:11)
この箇所には、神との生き生きとした関係の回復のための3つの秘訣が記されています。
第一番目は、「主のみわざ(不思議)を思い起こす」ということです。(11節)
第二番目は、「主の働きを口ずさむ(黙想する)」ことです。12節の前半にこう記されています。「私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし」。
第三番目は、「主のみわざを歌う」ことです。12節の後半にこう記されています。「あなたのみわざを、静かに考えよう。」「静かに考えよう」と訳されたのと同じ言葉が、詩篇145:5にも用いられています。新共同訳ではこのように訳しています。
「あなたの輝き、栄光と威光/驚くべき御業の数々をわたしは歌います。」
「静かに考えよう」とは対照的な訳ですが、神様の御業を歌う、賛美の歌を歌うことが、私たちの信仰生活に命を与えます。
詩篇 77:1-9
「私は神に声をあげて叫ぶ。私が神に声をあげると神は聞いてくださる。」(77:1)
神との関係の中に生きることは、決して苦難のない人生を意味しません。詩人の心は乱れて、
「もう祈りのことばさえ出てこないのです。」(4節LB)
とまで言います。私たちは問題のないふりをする必要はありません。詩人は、
「私は声がかれはてるまで主を呼び続けます。」(1節LB)
と言いました。
「もう好意を向けてくださらないのでしょうか。」(7節LB)
と嘆きました。詩篇の多くは嘆きの歌です。主に嘆くことは悪いことではありません。ただ、詩人は確信していました。
「神は聞いてくださる。」(1節)
と詩人は信仰宣言をしています。聖書の神は、私たちの心の叫びを聞いてくださる神です。
食べたい気持ち
自粛生活はひとまず終わったものの、以前とは違う生活は相変わらず続いています。エスカレーターでは数段前の人と間隔をあけ、入店の際には除菌や検温。隣のカウベルも持ち帰りを始めました。海外への渡航も国内の移動もまだまだ以前のようにはいきません。いろんなことを考え始めるとなんだか寝付けなくなってしまい、仕方ないので「コロナが終わったら食べに行きたいもの」を考えてみました。まずはやっぱり明石焼き。夏なので鱧の梅肉ソースいいなあ。観音屋のチーズケーキ、下村の焼きアナゴ、寿司清のお寿司。考え始めるとおなかがすいてさらに眠れなくなり、そうか、県をまたいだ移動が解除されたら帰省すればいいんだという結論に達しました。
獄中で自由を奪われて過ごしていたパウロは行きたくてもいけない、というもどかしさの中で手紙を書きました。そこまで厳しい監視下にはないにせよ、私たちもその苦しさは体験したのではないかと思います。気持ちを追体験するうえで、今がパウロの獄中書簡(ピリピ、コロサイ、エペソ、ピレモン)を読む良いチャンスかもしれません。 (小山晶子牧師婦人)
箴言 15:11-20
「悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」(15:15)
私たちは多かれ少なかれ、育っていく中で「こうすると何か悪いことが起こる」という迷信に影響を受けてはいないでしょうか。どんなに小さな出来事でも、悩み始めると雪だるま式に大きくなっていきます。何の根拠もない迷信に影響されて日々を過ごすことほどもったいない生き方はありません。『根拠のない』迷信に汚染されていないでしょうか。聖書が明確に私たちに語っていることは、神が私たちを愛し、気にかけ、必要を備え、将来と希望の計画を持っておられることです。イエス・キリストが私たちの心に住んで下さるなら、私たちの心に楽しみがあります。キリストと共にある人生は毎日が宴会です。
「私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。」(詩篇23:5)
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!