「しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」」(26:29)
パウロの伝道の原点には、「みな私のようになってくださることです」とあるように、キリスト者として生きることの幸いがあります。
パウロは、鎖につながれていました。
それでも、私のようになって欲しいと、キリスト者として生きることの素晴らしさがその発言から滲み出ています。
キリスト者として生きることは、パウロのように試練がなくなるわけではありません。
楽ができるとは言いません。
しかし、退屈することはない、充実した意義深い人生です。
キリストと顔と顔を合わせるその日まで走り続ける、信仰の冒険の人生です。
そして何よりも、助け主である聖霊様がいつも一緒です。