使徒 11章

「ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じたときに私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」人々はこれを聞いて沈黙した。」(11:17,18)

私たちは自分たちが理解できる範囲内に神がなさることを限定すべきではありません。

私たちはペテロと同じように

私のような者が、どうして神のなさることを邪魔することができたでしょうか。」(協会共同訳)

という謙遜さが求められます。

少なくとも、

人々はこれを聞いて沈黙した。

とあるように、非難することは控える姿勢が求められます。

ここからキリスト教会は世界へと広がっていきます。

弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(26節)

とあるように、ここから「クリスチャン」と言う名称は始ります。

使徒 10章

「ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。」(10:44)

聖書が教える聖霊に満たされる方法の一つは、みことばを聞くことです。

今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」(33節)

とコルネリウスは言いましたが、そのような姿勢でメッセージを聞くことを通して聖霊は来られます。

異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。」(45節)とありますが、聖霊の賜物は、神の御言葉に耳を傾けるすべての人に注がれます。

そこに差別はありません。

使徒 9章

「彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(9:5)

キリスト者になる前のパウロ(サウロ)は、キリスト教徒を迫害していました。

ダマスコにある教会を迫害しに行く道の途中、イエス様が現れました。

あなたはどなたですか

と尋ねると、

わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

と答えられました。

パウロが迫害していたのは教会であり、キリスト教徒でした。

しかし、イエス様はご自身を教会と同一視されました。

教会を迫害するのは、イエス様を迫害するのと同じだと。

教会は不完全な人間の集まりですから、問題がないわけではありません。

しかし、イエス様はそんな欠けだらけの教会を、ご自分と同一視されたのです。

ですから、教会を軽視することは、イエス様を軽視することと同じです。

目に見える教会を愛することが出来なければ、目に見えない神を愛することはできません。

使徒 8章

「するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。」(8:31)

エチオピア人の女王カンダケに仕えていた宦官が、礼拝のためにエルサレムに上ってきたと言う意味は、彼がユダヤ教に改宗していたと言うことです。

彼の熱心さは、その帰りにイザヤ書53章を音読していたことからも伺い知ることができます。

しかし、彼は文字が読めても、その語る意味を理解することができませんでした。

なぜなら、

ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。」(8:35)

とあるように、聖書はイエス・キリストの福音を知らなければ理解できないからです。

しかし、聞いたことのない方を、どのようにして信じるでしょうか。

宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くでしょうか。

信仰は聞くことから始まります。

私たちは伝え続ける必要があります。

使徒 7章

「このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』」(7:37)

ステパノのメッセージは、

『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」(6:14)

という証言に対する弁明でした。

ステパノのポイントは、そもそもモーセが指し示したのがイエス・キリストであると言うことでした。

そして、ステパノはイスラエルの歴史を通してユダヤ人たちが、

いつも聖霊に逆らっています。」(51節)

と言う現実を突きつけました。

しかし、宗教指導者たちは悔い改めるどころか、激昂してステパノに石を投げつけて殺してしまいます。

彼らは自分たちは正しいと思っていたからこそ、ステパノの言葉が許せなかったのだと思います。

へりくだって、聖書のメッセージに耳を傾けることができますように。

使徒 6章

「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(6:4)

教会における人間関係の摩擦は、残念ながら避けられないものなのだと思います。

教会が誕生してすぐ信徒の中に対立が生まれました。

使徒(教職者)たちは、聖霊に満ちた評判の良い信徒リーダーたちにこの問題を委ねて、自分たちは祈りとみことばの奉仕に専心することにしました。

教職者が問題対応に追われ、祈りと御言葉の奉仕がなおざりになってしまうならば本末転倒です。

問題解決に教職者が適当とも限りません。

教会も人の集まりですから、気をつけないと、「祈りとみことば」の時間よりも、「会議」ばかりになりかねません。

教会はまず何よりも、祈りの場でなければなりません。

聖書の御言葉が語られ、聖書を共に読み、学ぶ場でなければなりません。

問題に対処することばかりに追われるならば、本来あるべき姿を見失ってしまいます。

「祈りとみことば」が教会のあるべき姿です。

使徒 5章

「しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。」(5:29,30)

申命記21:23にこう記されています。

木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。

つまり、ユダヤ人たちは、イエス様を呪われた者として裁いていました。

しかし、その理解は間違っていたことを復活は証明しました。

聖書は本当の意味をこう解説します。

キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。」(ガラテヤ3:13,14)
今日はイースターの主日。共によみがえりの主に礼拝を捧げましょう。

使徒 4章

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」」(4:12)

グローバル化の影響もあり、私たちは他宗教との共存を真剣に考えなければならない時代に生きています。

信教の自由は国家として保障され、互いに尊重される必要があります。

それは受動的にも保障されるべきですが、能動的にも保障される必要があります。

私たちは自分たちの信仰を公にすることも保障される必要があります。

他宗教を信じる人たちを尊重しつつも、私たちはイエス・キリスト以外には救いはないことを公にする必要があります。

イエス・キリストを信じなければ人は救われないということは聖書が語る真理であり、本質の部分です。

LBはこう訳しています。

この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。

使徒 3章

「神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。」(3:26)

神はありのままの私たちを愛し、受け入れてくださるお方です。

しかし、そこにとどまらず、私たちを罪の生活から引き戻し、祝福してくださるお方です。

この世の価値観に生きているならば、必ずふるいにかけて、神の国の価値観に立ち返るようにされるお方です。

そして神は言われます。

愛する皆さん。この地上では、あなたがたは旅人であり、一時の滞在者にすぎないのですから、あなたがたのたましいに戦いをいどむ、この世の快楽から遠ざかりなさい。」(Ⅰペテロ2:11LB)

神がまず、神の御子、イエス・キリストを遣わしてくださいました。

「神の国の価値観に生きることを選択できますように。」

今日はグッド・フライデー。

イエス様が私たちの罪のために十字架にかかられたことを覚えます。

使徒 2章

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(2:46,47)

初代教会の成長の秘訣は、まず第一に、心を一つにして教会に集まり、一緒に礼拝を捧げたことでした。

第二は食事をともにしたこと。

第三は神を賛美したこと。

その結果、彼らはすべての民に好意をもたれたとあります。

そして、神が、毎日救われる人々を仲間に加えてくださいました。

私たちは誰も救うことはできません。

救うことができるのは、救い主、イエス・キリストだけです。

ですから聖霊なる神が、己が好むところに吹くと言われてますから、聖霊に好まれる教会を目指していくならば、神が救われる人々を仲間に加えてくださるはずです。

ですから、まず教会に集まり、共に礼拝を捧げることを大事にしていこうではないでしょうか。

今日は洗足木曜日です。