ふつうじゃない日々③  

みなさま、いかがお過ごしですか。先週の日曜日はとうとうオンライン礼拝のみとなってしまい、いったいこの状況がいつまで続くのだろう、と不安に思っている方もさらに増えてしまったのではないかと思います。そのせいでしょうか、今日は久しぶりに朝からずっと動悸が続いていて、頓服を飲むかどうかで悩んでいます。ヒゼキヤのように現実をちゃんと見据えながら神様に期待するものでありたいと願いつつも、見える状況に先々への不安は募るばかり。まさに、「あなたに呼ばわる」の状態です。
神よ、私たちの叫びを聞き、私たちの祈りを心にとめてください。
私たちの心が衰え果てる時、
わたしたちは地の果てからあなたに呼ばわります。
主よどうか私たちを及び難いほど高い岩の上に導いて
主よ今私たちはあなたの幕屋に
いつまでも住み身を避けたいのです。
聖書に出てくる信仰者もまた、死の危険や恐怖と隣り合わせの状況の中で強められ立ち続けました。きょうもその姿に学びたいと思います。
(小山晶子牧師婦人)

詩篇 41:7-13

「いつまでも、あなたの御前に立たせてください。」(41:12)
ダビデの心は複雑でした。彼を憎み、彼に対して悪を企む人たちがいたからです。ダビデは言います。
「私が信頼した親しい友が、私のパンを食べている者までが、私に向かって、かかとを上げます。」(9節新改訳二〇一七)
ダビデは、信頼していた人たちからも裏切りを体験しました。しかし、ダビデは言います。
「あなたは敵が私に勝ち誇ることをお許しになりませんでした。私は自分があなたの目にかなっていることを知りました。」(11節LB)
誰が悪口を言ったとしても、神が自分を喜んでおられることを知っていたのでダビデは揺らぐことがありませんでした。彼の究極的な願いはいつも神の臨在だったからです。神の臨在だけが彼の本当の必要を満たすことができることを知っていたからです。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 41:1-6

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」(41:1)

社会的弱者に心を配ることは意味があるというのが聖書が教えていることです。スポルジョン師は、

「捧げることによって彼らの富が失われると恐れる事は、なんと愚かなことか」

と言いました。イエス様はたとえ話の中で、神の審判の日のことを語っています。その日、王は言われます。

「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』・・・あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:35,36,40)

神はすべてをご存じです。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の ガイドライン (4月3日更新)

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、4月5日(日)の主日礼拝に関して以下のような対策をとらせていただきます。
1.主日礼拝は、第二礼拝(10 時半)のみ、YouTube のライブ配信でおこないます。
・第一(9 時)、第三(18 時)礼拝はお休みします。
・インターネット環境がない方には、DVD を配布します。
・献金は、郵便振替での献金を受け付けます。
加入者名:栄シャローム福音教会
口座番号:00250-0-7655
2.祈祷会(金曜日)も続けて、YouTube のライブ配信でおこないます。
・祈祷課題を教会にお知らせください。お祈りします。
3.平日のビブリオン(聖書の学び会)は、今しばらくお休みします。
今後に関しては、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebook(栄シャローム福音教会)で、随時お知らせします。※ 今週から受難週が始まります。イエス・キリストの受難を心に留めつつこの週を過ごしたいと思います。
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(1ペテロ2:24)
新型コロナウイルス感染の収束を祈りましょう。冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。 神様の守りと助けをお祈りしています。
「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、 また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、 わたしの民に対して疫病を送った場合、
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりく だり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち 返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの 地をいやそう。」(2歴代誌7:13,14)
https://www.youtube.com/channel/UClFWI5CeW9GSoyFA6kK6hhg

詩篇 40:9-17

「あなたを慕い求める人たちがみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主は大いなる方」と、いつも言いますように。」(40:16)

「主は大いなる方」です。主を大きくする時、問題は小さくなります。問題が大きく感じるのは、神様を小さくしているからです。私たちはいつも、主の偉大さを告白する必要があります。輝く日を仰ぐ時、月星眺める時、雷鳴り渡る時、森にて鳥の音を聞く時、そびゆる山に登る時、谷間の流れの声を聞く時、どんなに偉大なお方だろうと歌い続けることが大事です。そして、私たちは神の偉大な御業を自分だけのものとするのではなく、大きな会衆で分かち合う必要があります。(9、10節)その日を待ち望みつつ、主の偉大な御名を賛美しましょう。主は私たちの助け、私たちを救い出すお方です。

箴言 8:22-31

「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」(8:31、32)

箴言は人格化された知恵が紹介されています。

「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。」(22節)

とあるように、この人格化した知恵は、初めから存在したと言います。そしてこの人格化した知恵は、すべてのものが合うように、

「組み立てる者」(30節)

として存在していたと言います。この世界で生きていくために、私たちは、私たちを導く存在が必要です。神は私たちのために聖霊を与えてくださいました。聖霊なる神は、創造のときから知恵の霊として存在しておられました。創造の時と同じように、聖霊なる神は、私たちの人生を組み立ててくださいます。聖霊なる神は、喜んでその御業をなされています。

詩篇 40:1-8

「私は切に、主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け、助けを求める叫びを聞いてくださった。」(40:1)

原文のヘブル語は、単語を二つ並べると強調表現になるのですが、まさに、この詩のはじめは、「待つ」という言葉が二回続いています。つまり、まず「待ってる。私は待ってる!」という詩人の叫びが描かれています。私たちも新型コロナウイルスの収束を待っています。「いつまで?」と思います。イザヤ書にはこういう箇所があります。

「泣くのも悲しむのも、上から聖霊が臨まれるまでです。そして、悪い荒地が作物を成長せ、肥沃な地が森になります。」(32:15MSG)

「上から聖霊が臨まれるまで」、もちろん、何もしなくてもいいという意味ではありません。ダビデは、「主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。」と言います。つまり、主を求め、主に祈り、主に叫び続けることが大事なことです。主は、私たちの口に、「新しい歌」を授けてくださいます。