詩篇 119篇73-80(י)

「どうか、あなたを恐れる人々とあなたのさとしを知る者たちが私のところに帰って来ますように。」(119:79)

73節からは「ヨード」(י)から始まるアルファベットの詩です。

主は陶器師のように私たちを造り、私たちを整えてくださるお方です。(73節)

その御手で私たちの品格(キャラクター)を確立させようと、人生の様々なプレッシャーを御手のように用いて、私たちを形づくられます。

ですから、私たちは励まし合う信仰の仲間たちが必要です。

詩人も祈ります。

あなたに信頼し、従っている人々を、もっと仲間に加えてください。みなであなたの教えについて語り明かします。」(79節LB)

御言葉に聴従した人でなければ分からない世界があります。

だから、人は御言葉に生きることを通して励ましを与えることができます。

あなたを恐れる人々は私を見て喜ぶでしょう。私がみことばを待ち望んでいるからです。」(74節)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 119篇65-72(ט)

「主よあなたはみことばのとおりにあなたのしもべに良くしてくださいました。」(119:65)

65節からは「テート」(ט)から始まるアルファベットの詩です。

英語のGOODに相当する「トーヴ」(טוֹב)が四つの節(六五、六八、七一、七二)の冒頭に置かれています。

「良い」、「幸い」、「恵み深い」と一般的に訳されますが、新改訳二〇一七では形容詞は「いつくしみ深く」、動詞は「良くしてくださる」と訳しています。

神のご性質そのものが「良い」お方であり、神がなされることは「良い」ことであるということです。

ですから、詩人は証します。

私の問題は最善となりました。それらは、私があなたの教科書から学ぶことを強いたのです。」(71節MSG)

私たちには理解できない出来事の中にあっても、神が最善以下はなさらないと信頼することができます。

なぜなら、神は良い神であり、良いことをなされる神(68節)だからです。

詩篇 119:57-64(ח)

「主は私への割り当てです。私はあなたのみことばを守ると申し上げました。」(119:57)

57節からは「ヘート」(ח)から始まるアルファベットの詩です。

主よ。地はあなたの恵みに満ちています。あなたのおきてを私に教えてください。」(64節)の「恵み」と訳された単語、「へセド」(חֶסֶד)は、「慈しみ」「憐れみ」と訳されますが、今年のキーワード、「神の信実の愛」を意味します。

契約を守る、約束を必ず果たされるという意味で、神の信実の愛に地は満ちていると詩人は詠います。

詩人はまずこう告白します。

なぜならあなたが私を満ち足らしてくださいましたから、神よ、私はあなたが言われたことを全て行うことを約束します。」(57節MSG)

ただ神に満足を見出す時、ただ神だけが生きる支えであることを見出す時、私たちは神の信実の愛がこの地に満ちていることに目が開かれ、感謝に溢れるようになります。

詩篇 119:49-56(ז)

「主よ。夜にはあなたの御名を思い起こし、あなたのみおしえを守ります。」(119:55)

49節からは「ザイン」(ז)から始まるアルファベットの詩です。

誰の人生にも夜があります。

しかし、その中で、主の御名を思い起こすことができるかどうかが大きな違いを生みます。

「思い起こす」という意味の動詞「ザーカル」(זכר)が49,52,55節と三回繰り返されていますが、最初の49節だけは、神に対して「思い起こして」欲しいという訴えです。

それは、神が忘れるということではなく、神の御言葉を信頼して生きているものの切なる叫びです。

神に仕えている私への約束を、お忘れにならないでください。それこそ頼みの綱なのですから。困難なとき、どれほど力づけられたかしれません。全く息を吹き返す思いでした。」(49,50LB)

あなたのおきては、地上の人生の旅路にある私にとって、喜びと歌の原動力なのですから。」(54節LB)

詩篇 119篇41-48(ו)

「私は愛するあなたの仰せを求めて両手を上げあなたのおきてに思いを潜めます。」(119:48)

41節からは「ワウ」(ו)から始まるアルファベットの詩です。

ヘブル語には、「ウェ」(そして)という接続詞の他に「ワウ」で始まる単語が存在しません。

それで、この段落の全節が接続詞「ウェ」で始まっています。

つまり、41節もこう訳すこともできます。

そして、あなたの信実の愛(へセド)が私に来ますように。主よ。あなたの救いが。あなたがおっしゃられたように。

メッセージ訳はこう訳しています。

神よ、あなたの愛が私の人生を形造りますように、救いと共に。ちょうどあなたが約束されたように。

接続詞の前が、どんな状況であっても、神のみことばは、神の信実な愛が必ず私たちの人生に来て、私たちの人生を形造ることを約束しています。

ですから、両手を上げること、まず、神に明け渡すことです。

詩篇 119篇33-40(ה)

「ご覧ください。私はあなたの戒めを慕っています。あなたの義のわざにより私を生かしてください。」(119:40)

33節からは「へー」(ה)から始まるアルファベットの詩です。

40節以外は、ヒフィルと呼ばれる動詞の命令形が使われています。

命令形が神に向けられる場合は、ヘブル語では祈りを表します。

要するに詩人の祈りは、「神の御言葉に生きること」でした。

詩人は祈ります。

主よ。あなたのおきての道を教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守ります。」(33節)

神のみことばに生きる事が容易いことではない事を知っていたから、誘惑や葛藤がある事を知っていたから詩人は祈ったのだと思われます。

不正な利益を求めることなく、従順の道を選び取らせてください。あなたのご計画以外のものに目を奪われることがないようにしてください。私の心を奮い立たせ、ひたすらあなたを慕わせてください。」(36,37節LB)

神の御言葉に生きることは喜びです。

詩篇 119篇25-32(ד)

「あなたの戒めの道を私に悟らせてください。私があなたの奇しいみわざを語り伝えることができるように。」(119:27)

25節からは「ダレト」(ד)から始まるアルファベットの詩です。

26, 27, 29, 30, 32節は、「デレク(דֶּֽרֶךְ)」(道)という単語から始まります。

日本語で「道」という単語にいろいろな意味があるようにヘブル語の「道」にもいろいろな意味が含まれます。

振る舞いや、生き方も意味します。

キリスト教も「道」(使徒9:2,19:9参照)と呼ばれていました。

イエス様はご自身を定冠詞のついた「道」(ヨハネ14:6)と呼ばれました。

要するに、イエス様に従って歩むことが「あなたの仰せの道を走ります」ということだと思います。

ですから、詩人のように正直に祈る必要があります。

「あなたのお心に従いたいと思うように助けてください。そうすれば私は、あなたのおきてにさらに情熱を傾けることができるでしょう。」(32節LB)

詩篇 119篇17-24(ג)

「私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。」(119:19)

17節からは「ギメル」(ג)から始まるアルファベット詩です。

19節にあるように私たちは地上では旅人です。

この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。」(1ペテロ1:17)

とあるように、聖書はこの世のものに固執せず、寄留者として過ごすことを命じます。

この地上で神の国の民として生きる中で「そしりと蔑み」(22節)を体験することがあります。

信仰の先輩たちは、

地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。」(ヘブル11:13)

私はこの地上では旅人です。あなたの命令が私の地図であり、道案内なのです。」(19節LB)

とあるように、私たちは日々聖書を開き祈る必要があります。

私の目を開いて、おことばの中に隠されている、すばらしい祝福を見させてください。」(18節LB)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 119:9-16(ב)

「どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。私は心を尽くしてあなたを求めています。どうかあなたの仰せから私が迷い出ないようにしてください。」(119:10)

9節からは、ベット(ב)から始まるアルファベットの詩です。

「若い人」(9節)は謙譲語と考えられますので、老若男女、全ての世代に対するメッセージだと考えられます。

メッセージ訳では9、10節をこう訳しています。

若い人はどうやってきよい人生を生きることができるか。注意深く、あなたの御言葉の地図を読むことによって。私はひたむきにあなたを追求します。あなたが置いた標識を見逃さないようにしてください。

神は私たちの人生に様々な標識を置いてくださっています。

何歳になっても、神の標識を見落とされないようにするために、神の御言葉を注意深く、地図のように読み続けたいと願います。

詩篇 119篇1-8(א)

「幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。」(119:2)

詩篇の中で最も長い詩篇百十九篇は八節からなる段落ごとに、全ての節が同じアルファベットから始まります。

そして、アルファベット順になっています。

ヘブル語のアルファベットが二二文字なので、22×8で176節になります。

最初はアレフ(א)です。

「幸いなことよ」(アシュレー)という始まりは詩篇一篇と同じですが、神によって啓示された道を歩見続けることが祝福であることが告げられる祝福宣言です。

祝福された人生を歩むためには、神の御言葉が必要です。

それは、主ご自身を尋ね求めること(2節)、感謝すること(7節)でもあります。

神の御言葉が主ご自身を尋ね求めるようにさせないならば、何かが間違っています。

ちなみに神の御言葉を表す8つの単語「みおしえ(律法)」「さとし」「道」「戒め」「おきて」「仰せ」「さばき」が散りばめられています。