pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

ローマ 8章

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(38,39節)

神は私たちを愛しています。何も、神の愛から私たちを引き離すことはできません。失敗も、態度も、罪も、頑なさも、神があなたを愛することを止めることはできません。神がどれほど自分を愛しているかを本当に知ったならば、あなたの祈りの生活は変わることでしょう。今まで以上に確信をもって祈ることができるでしょう。

ヨハネ 14章

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(13,14節)

私たちがしなければならない部分は求めることです。神様がされる部分は、それを行われることです。しかし、祈りが答えられる究極的な目的は、神が栄光を受けられることです。祈りが答えられることによって神が栄光を受けられるならば、私たちが祈り求めることはどんなに大切なことでしょうか。神の栄光のために祈り求めましょう!

ヨハネ 14章

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(12節)

祈りは、神のこの地上に対する目的を成し遂げるための神の方法です。イエス様は、ご自身を信じる者は、イエス様よりもさらに大きなわざを行いますと言いました。どうしたら、そんなことが可能なのでしょうか?祈りを通してです。祈りは、もっとも望みのない場所に神の力を解き放ちます。誰も行くことが出来ない場所にも、祈りは入り込むことができます。祈りは不可能を可能にします。「わたしが父のもとに行くからです。」という意味は、イエス様は天においても、地においてもいっさいの権威を受けられたいうことです。イエス様は天と地の主です。祈りましょう!

詩篇 37章

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(4節)

主をおのれの喜びとする人の祈りを、神は喜んで答えてくださいます。神が何でも答えてくださると言うならば、何を祈るでしょうか?心の願いを求めましょう。聖書は言います。

「主は、敬虔な心で信頼を寄せる人々の願いを、かなえてくださいます。」(詩篇145:19LB)

神は必要を満たされるだけではありません。

「願いを、かなえてくださいます。」

と言います。どうしてでしょうか?なぜなら、もし、敬虔な心で神を信頼し、神をおのれの喜びとしているならば、その人の願いは神のみこころに沿っているからです。

ヨハネ 16章

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(23,24節)

祈りは神が選ばれたあなたの必要を満たす方法です。ある人々はこう考えます。「神様は私の必要を知っているのだから、求める必要はない。私が必要な時に与えてくれるはずだ。」これは正しくありません。聖書は、ある事柄に関しては、神は私たちが祈るならば与えられると約束されたことを教えています。今、欠けているものは、単に、そのことを神様に求めていないからではないでしょうか?「わたしの名によって」と言うのは、イエス様の名前が魔法の言葉と言う意味ではありません。イエス・キリストとの関係の中でと言うことです。

ピリピ 4章

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(6,7節)

不安というのは、神ではなく、恐れに焦点を合わせることです。そして、不安は何も解決しません。不安はただ問題を大きくするだけです。不安になればなるほど、平安を失っていきます。聖書は祈りが信仰への小道だと言います。祈りだけが、物事を適切な視点に置くことができる方法だからです。
もっとも祈りは願いだけではありません。「感謝をもってささげる祈り」もあります。「すべての事について、感謝しなさい。」とあるように、プラスに見えることも、マイナスに見えることも感謝できますように。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

(リック・ウォーレン師の『祈りの四〇日』から)

祈りの四〇日

二〇一四年八月十二日、創世記一章から一日一章続けてきたデイリーデボーションも、先週、十一月十六日で六六巻終わりました。二〇一八年の新年からまた、仕切り直していきたいと思います。それまで、リック・ウォーレン先生の「祈りの四〇日」という四〇日間のデボーションから共に祈りを黙想していきたいと思います。

ヨハネ 15章

「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(15,16節)

どうやってあなたは親友とつながり続けますか?会話です。私たちは自分を愛してくれる人と話すことが大好きです。友達に何を話しますか?何でも。それが友というものです。祈りは神との会話です。そして、神はあなたが持つことが出来る最高の親友です。実際、神があなたを友として選ばれました。神はあなたの祈りに疲れることはありません。
(リック・ウォーレン師の『祈りの四〇日』から)

ヨハネ 15章

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(5‐7節)

祈りは神のアイディアです。神はあなたを祈るために造られました。祈りはあなたを神との関係に留めます。それはぶどうの木の枝のようです。祈りをもって神につながり続けましょう。それが生きるための唯一の道です。
(リック・ウォーレン師の『祈りの四〇日』から)

マラキ 4章

「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(6節)

これが、旧約聖書の一番最後の言葉です。旧約聖書の目的は、神の基準を提示して、私たち人間が自分たちの力でその基準に到達することができないことを示すためにあるからです。ですから、旧約聖書で終わってしまうと、のろいで終わります。しかし、新約聖書の終わりはこう記されています。

「主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」(黙示録22:21)

恵みで閉じられています。聖書は言います。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(Ⅱコリント5:21)

「イエス様、あなたが私の罪のために十字架で死に、葬られ、三日目によみがえられ、すべての呪いを打ち砕いてくださったことを感謝します。」