2サムエル19:1-8

「ヨアブは王の家に来て言った。「今日あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、そして妻や側女たちのいのちを救ってくれたあなたの家来たち全員に、あなたは今日、恥をかかせられました。」(19:5)

ダビデ王は、勝利した味方よりも反乱者であり敵であった息子のアブサロムの死を悲しみました。

そんなダビデの姿を見て、ダビデのために戦った人たちはどう反応していいか分からなくなってしまいました。

ヨアブはそんなダビデに、自分の感情を優先させるのではなく、自分のために戦ってくれた人々に感謝しなければ、もう誰もダビデの周りにはいなくなると注意しました。

時として指導者は、個人的な傷や悲しみに打ちのめされてしまう時があります。

そんな時、ヨアブのように叱咤激励してくれる人を必要としています。

たとえ自分の痛みや苦しみに悩んでいたとしても、支えてくれている人々に対して感謝を忘れることがありませんように。

2サムエル 18:24-33

「王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」」(18:33)

アブサロムは反乱者であり、ダビデを殺そうとしていました。

しかし、ダビデの息子アブサロムに対する愛は、それに勝る深いものでした。

アブサロムは私たちの型でもあります。

「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)

私たちも神に反乱し、神に敵対していました。

しかし、神の愛はもっと深いものでした。

神の御子イエス・キリストは、文字通り、私たちに代わって死んでくださいました。

神は私たちを赦し、回復を与えたいと願っておられます。

2サムエル 18:16-23

「アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。」(18:23)

ダビデ王のもとに、ヨアブは最初、クシュ人(エチオピア人)を伝令で遣わしました。

しかし、勝利の報告をどうしても伝えたかったアヒマアツは、ヨアブに頼み込んで、自分もダビデのもとに行くことを許可してもらいました。

後から出発したアヒマアツは、低地への道を走って行ったので、クシュ人を追い越したと聖書は言います。

つまり、クシュ人は丘を登り谷を下ったために、時間がかかってしまったのです。

スポルジョン師はこんなことを言っています。

私の霊の旅はどうであろうか。労苦を重ねて自らの行いという丘に登り、屈辱と自己の決断の谷に下っていないだろうか。それとも私は、『信じて、生きよ』との平坦な道を走っているだろうか。・・・この箇所を読んで気づくことは、もし人がささいな問題で争っているならば、他の者に追い越されるということである。

フラミンゴ

世の中がゴールデンなウイークを終え、日常が戻ってきた先週月曜日、10年ぶりに八景島シーパラダイスに行ってきました。

みなさんご存知のようにわたしは動物をはじめ生き物全般が好きなのですが、一番行きたい動物園は大抵月曜が休園日なのです。

久しぶりに行ったシーパラはあまり変わってなくて、しかも寒かったせいもあってかほとんど人もおらず、ゆっくり生き物を観察することができました。

神様の創造のバリエーションの豊富さに感動しっぱなしでした!

水族館から外に出るとミーアキャットやカピバラ、フラミンゴなどがいるエリアが。

ドアで仕切られているので一部屋づつ入って至近距離で動物たちを観察できるという夢のような場所です。

しゃがんでカピバラの写真を撮っていると右足に何かが擦れている感覚が。

「?」と思いそっと目をやると綺麗なピンク色のフラミンゴが頭や首をすスリスリしているのが見えました。

なんてかわいいんだ、、、触りたい。

でも、「フラミンゴを撫でないでね」という張り紙が。

しばらく悶絶タイムを過ごしたのち、フラミンゴは係のお姉さんに連れて行かれました。あーあ。

(小山晶子牧師人)

2サムエル 18:1-15

「戦いはこの地一帯に広がり、この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした。」(18:8)

「剣よりも密林」という表現に、神のご介入があったことが示唆されます。

アブサロムはハンサムでした。

聖書は言います。

さて、イスラエル中を探しても、アブシャロムほど男らしく顔立ちのよい人物はいませんでした。また彼ほど、そのことでほめそやされた者もいませんでした。彼は年に一回、髪を刈りました。髪の重さが二百シェケル以上にもなり、そのままでは歩くのさえ難しかったからです。」(14:25,26LB)

彼の髪は彼のプライドでもあったようです。

まさに

神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」(1ペテロ5:5)

ということなのだと思います。

今日は主の日。謙遜になって主を認め、共に主に礼拝を捧げましょう!

今日は母の日です。すべてのお母さんに感謝します。

2サムエル 17:15-29

「ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである。」(17:27-29)

マハナイムはサウルの息子、イシュ・ボシェテの都があった場所でした。(2:8)

マキルは、サウルの息子であるヨナタンの息子、メフィボシェテを助けた人物です。(9:4,5)

ダビデのメフィボシェテに対する誠実な対応を見た人たちがダビデを助けたということが分かります。

ダビデたちの勝利の背後には多くの人たちの協力がありました。

それは、ダビデが誠実に生きてきたことに対する結果でもあったと言えます。

神にも人にも愛される生き方ができますように。

2サムエル 17:1-14

「アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。」(17:14)

不思議なことに、どんなに優れた助言がそこにあったとしても、それが実行されるとは限りません。

結局のところ、神が介入される時、人は何もできません。

最終的には神のみこころが行われます。

ですから、どんなにこの世界の情勢が不透明であったとしても、私たちは過度に恐れることなく、神に信頼することができます。

最終的な決定権は神にあるからです。

あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主のことば」(イザヤ54:17)

2サムエル 16:15-23

「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はすべて、ダビデにもアブサロムにもそのように思われた。」(16:23)

アヒトフェルは、アブサロムがダビデ王との和解を全く不可能とすることを助言します。

それは死と滅びの言葉でした。

しかし、ダビデにもアブサロムにも

アヒトフェルが語ることはすべて、神の口から直接授けられた知恵のように思われた」(LB)

と言います。

考えてみますと、アダムもエバも同じように、蛇にだまされました。

私たちは神のみことばを聞くことを学ぶ必要があります。

どんなに知恵のある言葉に聞こえたとしても、聖書の御言葉に反した教えであれば、それは神からのものではありません。

2サムエル 16:1-14

「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」(16:12)

逃げるダビデ王に、前の王のサウル家の一族の一人、シムイがののしります。

まさに泣きっ面に蜂。

ちいろば先生こと榎本師はこんなことを言っています。

「誤解や中傷は私たちの人生にはつきものである。それは決して特別なものではない。ところが私たちはこうした被害を受けるとき、なんとか早くそれが解消するようにとやっきになる。しかし、自分をのろう者を抹殺したからといって、それで問題が解決するわけのものではない。・・・神への信頼、神による勝利を確信する者だけが、耐えることができ、耐えることができる者だけが勝利にあずかることができるのである。」

呪いが不当であるのなら、神は必ず良いことをもって報いてくださいます。

私たちはその究極の姿をイエス様の十字架に見ることができます。

2サムエル 15:24-37

「そのときダビデは、「アヒトフェルがアブサロムの謀反に荷担している」と知らされた。ダビデは言った。「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」」(15:31)

アヒトフェルは、ダビデが信頼する自分の顧問、助言者でした。

そのアヒトフェルがアブサロムに加担していることを聞いて、ダビデたちがうろたえている様子が伺えます。

ダビデの祈りは、明らかに、アヒトフェルの助言を恐れています。

アヒトフェルは、どうしてアブサロムに加担して謀反を起こしたのでしょうか。

「ギロ人アヒトフェルの子エリアム。」(23:34)

「エリアムの娘バテ・シェバ」(11:3)

とあるように、アヒトフェルはバテ・シェバの祖父だったことが分かります。

ダビデ王は、このバテ・シェバと不倫をし、その夫ウリヤを戦いの中で殺害しました。

孫娘夫婦に災いをもたらしたダビデをアヒトフェルは赦せず、憎しみを抱いていたことが想像できます。

憎しみは人を破滅に追いやります。