ヨハネ 18:15-27

「しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。」(18:18)

聖書を読んでも匂いを感じることはないかもしれません。

しかし、今日の場面は匂いがあります。

それは炭火の匂いです。

ペテロは自分がイエス様との関係を否定してしまったことと、炭火の匂いがリンクするようになったと思います。

ヨハネの福音書の21章で、ペテロは再び、炭火の匂いを嗅ぐことになります。

復活されたイエス様が、夜明けに岸辺に立っていました。

イエス様のところに行くと、

「そこには炭火がおこされていて、」(21:9)

とあります。

そこで、イエス様はペテロに、「わたしを愛していますか。」と尋ねられます。

イエス様はペテロを赦し、遣わしたのです。

そして、失敗は終わりではないことを示されたのです。

そして、砕かれたペテロは、聖霊様の力で、イエス様を大胆に証していくようになります。

ヨハネ 18:1-14

「一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。」(18:2)

イエス様がおられる場所を人は知ることができるということです。

どこに行けばイエス様に出会えるか、イエス様を裏切ろうとしていたユダさえも、その場所を知っていました。

イエス様は言われました。

「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:20)

使徒パウロは、このように説明しています。

「また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:22,23)

教会はキリストのからだであり、教会のただ中に、かしらなるイエス様がおられます。

ヨハネ 17:20-26

「わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」(17:23)

イエス様の言葉は明白です。

私たちの神の家族、教会としての一致は、未信者に対するもっとも大きな証となるということです。

自分のプライドや好みを捨て、神の目的に集中することは私たちの責任であるということです。

私たちが互いに愛し合うならば、私たちがイエス様に属していることを世に示します。

そして、人生を変えるキリストの力の証となるということです。

それは、断じて思想統制のようなことではありません。

イエス様が示した模範は、互いの足を洗いあうことでした。

つまり、「クリスチャンが一つになる」という意味は、

「本質は一致、本質以外は多様性、すべてのことは愛をもって」

ということです。

危なかった

先日偽ヤマト運輸からメールが届きました。

住所の不備があり、届ける予定の荷物が届けられないので至急このQRコードから正しい住所を記入してほしいとのこと。

時々ヤマト運輸からは荷物が届きますし、荷物の番号も書かれていたので、慌てて住所と電話番号を入れ、矢印をタップしたところであれ?と我に帰りました。

次のページには再配達のためには一件につき100円の手数料がかかるためクレジットカ―ド番号とセキュリティ番号を書く必要があるというのです。

ページを消去し、来たメールを再度確認しますが特に怪しいところはなくますます?となってしまいました。

ちょうどそこへ英児先生が来たので事情を話すとあ、それ詐欺メールだよ、と。

少し前に英児先生にも来ていたのです。

危なかった、、、それにしてもどうしてこの世には平気で人を騙す人がいるのでしょう。

つい最近も身近でそういうことがあったばかりなので本当に悲しくなります。

「人は一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている」

「人は種を蒔けばその刈り取りをすることになる」

ということを知らないことは恐ろしいことだと思います。

そして、神様に何も隠す必要がない人生を送れる幸いも同時に感じています。

(小山晶子牧師夫人)

ヨハネ 17:9-19

「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」(17:11)

イエス様の弟子たちのための願い、それは一つになることです。

キリスト教会が分裂し、反目してしまうならば、神の御国はこの地に現れることはありません。

イエス様はこのように言われました。

「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(13:35)

アウグスティヌスの言葉と言われていますが、

「本質は一致、本質以外は多様性、全てのことは愛をもって」

という姿勢が大事なのだと思います。

今日は主の日、共に主なる神に礼拝を捧げましょう!

ヨハネ 17:1-8

「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」(17:3)

17章は「大祭司の祈り」と呼ばれます。

イエス様は、イエス様を信じるすべての人に「永遠のいのち」を与えると約束されました。

3節にこれが本当の「永遠のいのち」とイエス様が言われ、こう続けます。

それは、「唯一のまことの神」と神が遣わされた「イエス・キリスト」を「知ること」であると。

「知ること」と訳された単語は現在形で、継続的な認識、発展的な認識を示します。

また、単なる知的作業という意味ではなく、体験的に知るという意味が含まれています。

ですから、本当の「永遠のいのち」は、父なる神と子なる神キリストを体験的に知り続けるという関係的な知識というニュアンスがあります。

「永遠」と訳された単語は、「時代」という単語から来ています。

ですから、「永遠のいのち」は、「来るべき次の時代に属する命」と理解することができます。

ヨハネ 16:25-33

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(16:33)

「わたしにあって」と「世にあって」という2つの領域があります。

「世にあっては苦難があります」とイエス様が言われたように、「世の中」という領域において、私たちは常に苦難があります。

しかし聖書は、この世に勝利された「イエス・キリストの中」という領域に生きることを勧めます。

「イエス・キリストの中」という領域、それは常に神の臨在の中に生きていることを意識するということです。

私たちはこの「世の中」に生きていますが、神の臨在の中に生きています。

そして、神の臨在の中で私たちは平安を持つことができます。

また、神の臨在の中に生きることは、イエス様と共に、世に勝利することです。

なぜなら、イエス様はすでに世に勝利されたからです。

ヨハネ 16:16-24

「今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(16:24)

メッセージ訳では、こんな訳をしています。

「わたしの名によって、わたしの御心に従って求めなさい。そうすれば、父なる神は必ずあなたに与えてくださいます。あなたの喜びは、ほとりに溢れる川となります!」

多くの人は、自分のために祈り求めることはあると思います。

しかし、どうでしょうか。

イエス様のみこころにしたがって求めたことはあるでしょうか。

イエス様のみこころにしたがって求めるためには、イエス様のみこころが何であるか、知る必要があります。

イエス様のみこころを知るためには、聖書を読む必要があります。

なぜなら聖書に、イエス様のみこころが記されているからです。

イエス様の名によって、イエス様のみこころに従って祈るならば、父なる神は必ず答えてくださいます。

ヨハネ 16:1-15

「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」(16:7)

イエス様の眼にみえる存在が、助け主、聖霊の臨在によって埋め合わされるとイエス様は言われました。

「助け主」と訳された単語を、メッセージ訳では「友」、パッション訳では「神の励まし手」と訳しています。

聖霊様は、私たちを友のように助け、励まし、支えてくださるお方です。

イエス様が「去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。」と言われた意味は、私たちの罪のために十字架で死ななければということだと思われます。

ですから、聖霊様の働きを信じる教会は、イエス・キリストの十字架の死と復活を強調します。

ヨハネ 15:18-27

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。あなたがたも証しします。初めからわたしと一緒にいたからです。」(15:26,27)

27節をLBではこう訳しています。

「あなたがたもまた、わたしのことをすべての人に語らなければなりません。」

イエス様は、イエス様のことをすべての人に語るように命じられました。

私たちが語るように命じられていることは、イエス様についてです。

助け主、真理の御霊が臨まれるとき、

「あなたがたもまた、わたしのことをすべての人に語らなければなりません。」

とイエス様は言われました。

イエス様のことを語るためには何よりもイエス様が約束された助け主、真理の御霊が必要です。

聖霊様が語られるから、私たちも語ります。

権力によらず、能力によらず、神の霊によって語ります。

ですから、今日も、聖霊様を歓迎しましょう!