詩篇120:1-7

「私が平和を──と語りかければ彼らは戦いを求めるのだ。」(詩篇120:7)

一二〇篇から一三四篇までは、「都上りの歌」と表題が付けられています。「巡礼の歌」(A Pilgrim Song)とも訳されますが、エルサレム巡礼の時に歌われたと考えられています。詩人はシャローム「平和」を望んでいるのに、今、自分の周りには「平和」を憎み、「戦いを好みます。彼らのどなり声に、私の声もかき消されてしまいます。」(LB)と訴えます。聖書が言う「平和」は、単に戦争のない静的状態ではありません。健全で、いのちに溢れた動的状態です。月本氏によると旧約聖書の二三七の用例から同義語、類義語を拾い上げると、ツェデク「義」と結びつき、神のエメト「真実」とへセド「慈愛」に基づきます。それで、「地上における平和は、究極的に、ヤハウェによってもたらされる、と信じられ、またそう願われた」と言います。「私はイエス様が必要」と認めることが、教会に足を運ぶ一歩となります。

詩篇119:169-176

「私は滅びる羊のようにさまよっています。どうかこのしもべを捜してください。私はあなたの仰せを忘れません。」(119:176)

「タウ」(ת)から始まるアルファベットの詩。

詩人は、自らの力で神の御言葉に生きていくことはできないと自覚していたのだと思います。自らをあてどもなくさまよう羊として描き、捜し求める「羊飼い」の存在なしに不可能であることを示唆します。しかし、詩人は「羊飼い」の声は認識できると言います。イエス様も、こう言いました。

「門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。」(ヨハネ10:3,4)

「羊飼い」の声は聖書を読むことを通して聞こえて来ます。

詩篇119:161-168

「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平安がありつまずきがありません。」(119:165)

「シン」(ש)から始まるアルファベットの詩。

主の御言葉を愛する者には豊かな「シャローム」(שָׁל֣וֹם)があります。まず、何よりも神との平和(シャローム)が約束されています。

「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

そして、心の平安も約束されています。

「志の堅固な者を、あなたは全き平安(シャローム・シャローム)のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」(イザヤ26:3)

神の御言葉を何よりも愛し、慕い求めることから「シャローム」は始まります。

「あなたが啓示されたことを愛する者たちのために、すべては合致します」(MSG)

箴言 26:23-27:4

「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石を転がす者は、自分の上にそれを転がす。」(26:27)

いわゆる「まいたものを刈り取る」という原則は箴言に出て来る内容です。LBではこう訳しています。

「罠をしかければ自分がかかり、人に向かって石をころがすと、石が戻ってきて、その下敷きになります。」

何でも因果応報と考えて、何か悪いことをしたから悪いことが起こっていると考えることが間違いであることはヨブ記が教えている内容です。しかし、使徒パウロもこのように言っています。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:7-9)

詩篇119:153-160

「私の言い分を取り上げ私を贖ってください。あなたのみことばにしたがって私を生かしてください。」(119:154)

「レーシュ」(ר)から始まるアルファベットの詩。

「私の言い分を取り上げ」は、「私の争いを争って(רִיבָ֣ה)」が直訳です。「贖う」(גאל)は「買い戻す」(レビ二5:24)ことを意味する単語ですが、ここでは明らかに「虐げや苦難から個人を解放することを意味」(月本)します。神は私たちのために戦い、解放してくださる救い主です。ですから使徒パウロは言います。

「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)

メッセージ訳ではこう訳しています。

「私の味方になって、ここから私を出してください。私の人生を戻してください。あなたが約束されたように。」

詩篇119:145-152

「私は心を尽くして呼び求めます。主よ私に答えてください。私はあなたのおきてを守ります。」(119:145)

「コフ」(ק)から始まるアルファベットの詩。

「私は呼び求めます」(קָרָ֣אתִי)と詩人は繰り返し(145,146節)訴えます。主の御名を呼び求め続けることは、神の御言葉を守ることと離して考えることはできません。ですから、メッセージ訳ではこのように訳しています。

「神様!答えてください!私は何でもあなたが仰ることを行います。」

神は私たちの祈りに答えてくださるお方です。そもそも、神ご自身がこう言われました。

「『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』」(エレミヤ33:3)

主を呼び求めましょう!

詩篇119:137-144

「主よあなたは正しくあられます。あなたのさばきは真っ直ぐです。」(119:137)

「ツァデー」(צ)から始まるアルファベットの詩。

神は義(צַדִּ֣יק)なるお方であり、そのなされることも義です。そして神の言葉も義(144)です。

「あなたが生きるようにと言われた道(方法)はいつも正しい。」(MSG)

だから、詩人は歌います。

「私は取るに足りない存在で、人からさげすまれていますが、戒めだけは大事に守っています。」(141節LB)

詩人は、弱く、小さな存在であるがゆえに、軽んじられているように感じていました。しかし、それでも神の御言葉を大切にし、生きていくことを宣言します。これが信仰者の歩みです。

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

箴言26:13-22

「薪がなければ火が消えるように、陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。」(26:20)

前半部分は、怠け者の言い訳。

「怠け者は「道に獅子がいる。広場に雄獅子がいる」と言う。」(13節)

そもそも何でもかんでも恐れていては何もすることはできません。このような言い訳をする理由は「面倒がる」(15節)からだと言います。恐ろしいことは、「彼らは大学の教授陣よりも自分たちの方が賢いと考える」(16節MSG)と言います。
後半は、噂話(ゴシップ)の問題です。噂話は、自分で広げることだけでなく、聞こうとすることも問題だと聖書は言います。それは「腹の奥に下って行く。」(22節)と警告しています。火に薪をくべないこと。争いがやむように、平和をつくる者となること。それが聖書が教える知恵です。

今日、十月三十一日は宗教改革記念日です。世界中のキリスト者がキリストにあって一致することができますように。

詩篇119:129-136

「みことばの戸が開くと光が差し浅はかな者に悟りを与えます。」(119:130)

「ぺー」(פ)から始まるアルファベットの詩。

「戸」と訳された単語は「扉、門、開くこと」(פֵּ֖תַח)を意味します。ですから、七十人訳では「あなたの言葉の開示」と訳しています。メッセージ訳ではこう訳しています。

「あなたの言葉が開かれ、光を輝かせ、普通の人が意味することが分かりますように。」

聖書の御言葉が聖霊によって開かれる時、普通の人でも神が何を語っているのか理解することができます。多くの人が直面する問題は意味が理解できないと言うことではなく、生きることが難しいと言うことです。詩人の苦しみもそうでした。

「彼らがあなたのみおしえを守らないからです。」(136節)

神が与えられる御言葉はすべて「奇跡(ミラクル)の言葉」(129節MSG)です。