夏が来れば想い出す

夏が来ました。
皆さんにとっての夏の想い出といえば、何でしょうか。

幼いころの記憶をたどっていくと、川遊び、蝉取り、クーラーはありませんでしたから扇風機に張り付いていた夏休みの午後、ラムネの青く透き通った瓶、わらび餅売りのおじさん、練乳たっぷりのかき氷。

先日、農協に野菜を買いに行った折、途中歩いたいたち川沿いでそんな幼いころを想いだすようなミンミンゼミの大合唱に遭遇しました。

小さかった私の周りにあったごく限られた世界は、いつの間にか想像も全くできなかった世界へと広がっています。

先日のビブリオンで学んだ出エジプト記19章4節の御言葉が深く心にとどまりました。

あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れてきたことを見た。

8歳の夏、神社で蝉の大合唱の中網を持っていた私は、当時全く知らなかった「よこはま」という場所で蝉の声を聞きながら英児先生と川沿いを歩いている。

ああ、主が鷲の翼に載せて私をここまで運んできてくださったのだなあと静かに感謝した海の日の午後です。(小山晶子牧師夫人)

※ 本日、朝8:30からTVK(テレビ神奈川)ライフ・ラインで小山晶子牧師夫人のインタビューが放映されます。
https://www.tv-lifeline.com/2021/07/25/no-1672/

ヘブル 2章

「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(2:14,15)

ヘブル書2章には明確に救いとは何かが記されています。

どうしてイエス・キリストは人となり、死ななければならなかったか。

天使たちを助け出すためではなく、人を救うためだったからこそ、すべての点で私たちと同じようにならなければならなかったと聖書は言います。

自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。」(18節LB)

こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。」(1節)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

ヘブル 1章

「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。」(1:1,2)

旧約聖書を読むと、神が様々な方法で語られたことがわかります。

主であるわたしは変わることがない。」(マラキ3:6)

とありますから、今も同じように神が語られることもあります。

しかし、終わりの時代である今、究極的な啓示は、神の御子、イエス・キリストによって与えられました。

ですから、私たちは今、イエス・キリストによって解釈する必要があります。

御子は、神を完全に反映し、神の性質を刻印しています。御子は、ご自分が言うことですべてをまとめられます。力強い言葉です!」(3節MSG)

ピレモン

「私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。」(6節)

パウロの切なる祈り、それは、パウロとピレモンが共有している福音、「信仰の 交わり」が、意味のあるものであって欲 しいということです。

「交わり」とは、仲間、パートナーとなるということです。

神の国がこの地に現されるために、私たちは協力し合う必要があります。

協力し合うためには、違いを認め合う必要があります。

それぞれに、神のご計画がある ことを認めて、違いを尊重することがで きなければ、協力し合うことはできませ ん。

「自分と違う」と思っても、互いの存在を尊重しあうことはできると思います。

「信仰の交わり」の目的は、「キリスト」です。

私たちの「信仰の交わり」が、キリストを指し示すものとなっているかどうか、それが、私たちがいつも問う必要があることです。

テトス 3章

「また、だれも中傷せず、争わず、柔和で、すべての人にあくまで礼儀正しい者となるようにしなさい。」(3:2)

信仰生活で大切なことは、

人の悪口を言ったり、けんかをしたりせず、やさしい態度で、すべての人に礼儀正しく接する」(LB)

ことです。

その理由は神の救いです。

神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」(5節)

私たちは自分が努力して、頑張って、救われたのではなく、神の恵みによって救われたのだと言うことをいつも心に留めたいと思います。

使徒ペテロは言いました。

私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」(使徒15:11)

テトス 2章

「また、あなた自身、良いわざの模範となりなさい。人を教えることにおいて偽りがなく、品位を保ち、非難する余地がない健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて何も悪いことが言えずに、恥じ入ることになるでしょう。」(2:7,8)

パウロはテトスに、教会のリーダーたちが今まで何をしてきたか、どのようにしてきたかについては語りません。

それよりも、品格(キャラクター)の形成に関する内容が綴られます。

あなたは、教えられた真理にふさわしい生き方を人々に教えなさい。」(1節LB)

年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。」(2節)

年配の女の人には、神に仕えている者にふさわしくふるまい、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。」(3節)

若い人には、あらゆる点で思慮深くあるように勧めなさい。」(6節)

テトス 1章

「監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。」(1:7-8)

テトスはエーゲ海に浮かぶクレテ島の教会の指導者として働き、教会のリーダーを任命するという責任を担っていました。

ここでは、リーダーの資質について記されています。

これらの資質のポイントは、家庭で、学校で、職場で、それぞれ置かれているところにおいて、決して口だけのものであってはいけないと言うことです。

キリスト者としての生き方は、教会の中だけではないということです。

2テモテ 4章

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(4:2)

使徒パウロが若い伝道者であるテモテに命じたことは、みことばを宣べ伝えることでした。

キリスト教会の主日礼拝の中心が、みことばを宣べ伝えること、聖書のメッセージなのはこれが理由です。

使徒パウロは、エペソの長老たちにこう言いました。

ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。」(使徒20:26,27)

「神のご計画のすべて」とは、聖書全体ということです。

創世記から黙示録まで、教会は余すところなく聖書のみことばを宣べ伝える責任があります。

誰もが耳に心地よい話ではなく、健全な聖書の教えを語り続ける使命があります。

オリーブの木のこと

栄シャローム福音教会の玄関に、鉢に植わった二本のオリーブの木があることを皆さんはご存知でしょうか。

来年は献堂20周年ですが、まさに献堂と同時期に購入したものです。

残念ながらこの約20年間、一度も実を実らせたことがありません。

花は咲くのですが、いつも花で終わってしまうという残念なオリーブの木。

そのうちの一本がとうとう今年に入って完全に茶色く枯れてしまったのです。

もう、捨てようと思いました。

玄関から駐車場のわきへ移し、数日後の普通ごみの日に捨てようと考えていました。

1m以上あるので切って捨てなきゃと思い数日後木を見に行ったところ、なんと新芽が。

それもあちこちに生えてきているのです。

それはセピア色の写真に突然鮮やかな緑色が描き足されたような不思議なコントラストでした。

まるでオリーブの木が『私はまだ生きてるの、捨てないで』と訴えてるようでした。

亀のジェニーといい、このオリーブの木といい、ブドウの木といい、ここにいる子たちはみんな時間をかけて成長するようです。

シャローム!
(小山晶子牧師夫人)