箴言 20:15-30

「「悪に報いてやろう」と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」(20:22)

「やられたら、やり返す」というのが一般的なものの考え方だと思います。

しかし、聖書は神を待ち望むように諭します。

具体的には、ローマ人への手紙でこのように勧められています。

「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(12:19-21)

憎しみの連鎖は何も生み出しません。

イエス様の十字架は、まさに善をもって悪に打ち勝った神の勝利です。

箴言 20:1-14

「怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない。」(20:4)

誰の人生にも冬のように不毛な時期があります。

人生の冬の時期に大切なことは耕すことだと言います。

人生において耕すことが意味することは様々あると思います。

冬のような時期こそ、実力をつけるチャンスです。

新しいことを学ぶチャンスです。

冬の時期に何をしたかが、収穫の時期に明らかにされます。

いずれにせよ、祈ること、聖書を読むこと、聖書を黙想することは、私たちの霊的生活を耕します。

これらは、冬の時期だけでなく、習慣化することが大切です。

聖書は言います。

「眠りを愛するな。貧しくならないために。目を開け。そうすればパンに満ち足りる。」(13節)

休息をとることは重要です。

しかし、眠ったような信仰生活を続けるならば、私たちの心は飢餓状態に陥ります。

祈ること、聖書を読むこと、聖書を黙想することを継続し、耕し続けることが重要です。

収穫の時は必ずやってくるからです。

たねやさんのくりきんとん

先週木曜日、滋賀県にある守山キリスト福音教会の上田勇矢先生がこちらに一泊されました。

奥様の佐和さんは市議会議員に先月初当選したエネルギッシュな牧師夫人で、何を隠そう若かりし頃のわたしの教会学校の生徒でもあります。

今回は勇矢先生お一人での滞在でしたが、佐和ちゃんがセレクトしてくれたクラブハリエのバームクーヘンとブラウニー、たねやさんの栗きんとんをお土産に持ってきてくれました。

たねやさんのことは以前にもここで書いたことがあるほど大好きな和菓子やさんですが、まあこの栗きんとんが絶品でした!

上品なこし餡に包まれた栗きんとん。

全然あんこに負けない栗の力強い味。

びっくりしました。

クラブハリエはたねやさんの洋菓子部門ですが最近出来立てのバームクーヘンも味わえるテーマパークができたことをニュースで知りました。

皆さん、来年の単ペン大会は滋賀で行われることをご存知でしょうか?

2024年8月13日〜15日です。

たねやさんは会場に近いですしテーマパークも近いそうです。

対面での単ペン大会は何年ぶりでしょうか。

みなさんのご参加をお待ちしています。

(小山晶子牧師婦人)

箴言 19:18-29

「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」(19:21)

私たちは生きていく中で、いろいろな計画をし、様々なオプションを考えます。

しかし、神の目的が最終的に遂行されます。

だからと言って、何も計画をしなくていいと言っているわけではありません。

聖書は言います。

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ2:13)

私たちのうちに働いて志を立てさせるのもまた神だと言います。

近代宣教の父、ウィリアム・ケアリは言いました。

神に大いなることを期待せよ。神のために大いなることを計画せよ。」

先日、ある牧師がこんなことを言っていました。

ビジョンは大きく、働きはコツコツと」。

重要な点は、自分の計画に固執しないことです。

いつでも神の計画を優先させる姿勢が大事です。

夢は大きく、ただし、いつでも手放せる柔軟さも大切です。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

箴言 19:1-17

「貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。」(19:17)

バングラデシュの貧しい子どもたちのための施設ホーム・オブ・ピースの理事長アルバート先生は、よくこの御言葉を引用されます。

私たちはイエス様の十字架を覚える時、神に対して返すことができないほどの負債を感じます。

ですから、神に貸すというイメージで施すことはないと思います。

しかし、聖書は言います。

「困っている人への憐れみは、神へのローンである、そして、神はそのローンを全額返済してくださる。」(MSG)

返すことができない貧しい人たちを支援することは天に宝を積むことです。

イエス様が言われました。

「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイ6:20,21)

箴言 18:1-24

「主の名は堅固なやぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される。」(18:10)

堅固なやぐら」と訳された言葉を、LBでは「絶対安全なとりで」、新共同訳では「力の塔」と訳しています。

古代社会では、城壁の中に、都市を作りました。

そして、その城壁の側に、見張りのために、高い塔を作りました。

その塔から、遠くを見ることができました。

敵が近づいてくることもたやすく見ることができました。

戦いが起こったとき、塔はとても有益でした。

塔に向かって、槍を投げても、簡単には届くことはありませんでした。

しかし、塔から槍を投げるなら、地上の敵には脅威となりました。

ですから、危険が迫った時、塔は避難することができる場所としては最適でした。

私たちも「力の塔」があります。

人生の戦いの中で、私たちが走っていくことができる避け所があります。

私たちの避け所は主の御名です。

箴言 17:13-28

「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。」(17:22)

笑いは健康に良いと言われます。

あまりにも何ごともまじめに考えすぎると病気になってしまいます。

どこかで、神の御手にすべてを委ねて、喜びに満たされる必要があります。

「心が陽気になれば体も健康になり、気がふさげば病気になります。」(LB)

自分自身のことも笑えるようになる必要があります。

笑いは、ワークアウトのようなもので、私たちのたましいを訓練し、健康に保ちます。

聖書は私たちに「喜ぶ」ことを教えます。

「喜び」は私たちの選択です。

ヘレン・ケラーは言いました。

「私は、キリストにあって幸せです。」

日々、キリストにある幸いを告白することは、とてもいい健康法です。

箴言 17:1-12

「貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。」(17:5)

貧しい人に対する態度は、神に対する私たちの態度を反映すると言います。

神が人を創られたと本気で信じているならば、どんな人であっても嘲ることはできません。

被造物を嘲ることは、造られた創造主を嘲ることになるからです。

ですから、聖書は言います。

「神は人の不幸を喜ぶ者を罰します。」(5節LB)

神は自分だけではなく、すべての人を創られました。

神は私たちが愛に生きることを願われています。

「愛のある人は人の過ちを水に流し、いつまでもこだわる者は親友までも失います。」(9節LB)

「いったん火のついた争いごとは、なかなかおさまりません。だから、初めから争いはしないことです。」(14節LB)

新約聖書では、使徒パウロがこのように言っています。

「自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ロマ12:18)

箴言 16:20-33

「親切なことばは蜂蜜。たましいに甘く、骨を健やかにする。」(16:24)

聖書は言葉の大切さを語ります。

「親切なことばは蜂蜜。たましいに甘く、骨を健やかにする。」(LB)

ですから、聖書の御言葉に通じることを聖書は勧めます。

「みことばによく通じた者は幸いを見出す。主に拠り頼む者は幸いである。」(20節)

日々、聖書の御言葉を読み、祈り、黙想し、御言葉を心に蓄える人は祝福されます。

また、

「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」(25節)

とあるように、私たちは自分の経験や悟りに頼らないように気をつける必要があります。

「親切なことば」は恵み深いことばとも訳せます。聖書は言います。

「友よ、創造的に生きよう。もし誰かが罪に陥ったなら、許す心をもってその人を回復させ、批判的なコメントは自分のために取っておくことだ。その日のうちにあなたがその赦しが必要になるかもしれないから。」(ガラテヤ6:1MSG)

箴言 16:1-19

「主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(16:7)

メッセージ訳ではこのように訳しています。

「神があなたの人生を祝福するならば、敵でさえもあなたと握手するようになる。」

一般的に、私たちが出会う二〇%の人は無条件で私たちの意見を肯定し、好意を持つと言われます。

しかし、二〇%の人は無条件に私たちの意見に反対し、嫌うと言われます。

残りの六〇%の人は、どちらにもなり得ると言います。

それで、すべての人に好かれようとすると、私たちは傷つくことになると言うわけです。

聖書は、だから、人の顔を見るのではなく、神の御顔を仰ぐように勧めます。

「主を喜ばせようとすれば、その人の最大の敵も、主が味方に変えてくれます。」(LB)

すべての人に好かれることに心を向けて不安定になるのではなく、主を喜ばせることに心を向けて生きることが大切です。