「ほむべきかな主。主は私の願いの声を聞かれた。」(28:6)
聖書の神は、私たちの祈りを聞かれるお方です。
私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業をなされるお方です。
しかし神は、自動販売機やジーニーのように、私たちの祈りを聞かなければならないというわけではありません。
神は神です。
ただ、神は私たちの祈りを聞かれることを選ばれます。
ただし、ダビデが「私に沈黙しないでください」(1節)と訴えたように、時には、聞いておられないのではと思うことがあります。
ダビデも、周りの状況を見る時に、そう思わずにはいられませんでした。
しかし、主を見上げる中で、ダビデの視点は変えられます。
「主は私の力 私の盾。私の心は主に拠り頼み 私は助けられた。私の心は喜び躍り 私は歌をもって主に感謝しよう。」(7節)。