1サムエル 8:1-9

「彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。」(8:6)

民が王を要求した本当の理由は、

「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」(5節)

とあるように、神の国の民という独自性を放棄して、他国民と同じになりたかったということでした。

いつの時代も、神のみこころよりも、時代の流れを優先することから問題が起こります。

サムエルはそのことを敏感に感じとって神に祈ります。

本来ならば神が王として治めることがみこころでした。

しかし、神は民の意志を尊重され、王を立てることを許可します。

神のみこころに反していても、人には自由意志があるからです。

ですから、恐れをもって神のみこころを求めることが大切です。

今日は主の日。共に、主のみこころを求め、礼拝を捧げましょう。

1サムエル 7:12-17

「サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。」(7:12)

エベン・エゼルの石、それは、また、

ここまで主が私たちを助けてくださった。

という記念碑的な石です。

人生は短距離走ではないので、時として、振り返ることも大切です。

ここまで主が私たちを助けてくださった。

と思い出す、エベン・エゼルの石をもつことは大事なことです。

使徒パウロもこのように言っています。

神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」(Ⅱコリント1:10)

救い出していただいた過去を思い出し、そのゆえに、現在、救い出してくださると確信し、未来も救い出してくださると希望を持つことです。

1サムエル 7:1-11

「箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」(7:2)

サムエルは、神の声を聴いたとはいえ、突然、祭司エリが亡くなり、若くしてイスラエルの指導的立場になりました。

それから二〇年、サムエルはただ一生懸命、自分の役割を果たそうと必死だったのではと思います。

沢村五郎先生は、サムエルが表舞台に登場するまで二〇年間かかった理由を、こう解説しています。

それは民に主を慕う何の渇望もなかったからである。いかに偉大な預言者があっても、渇望のない民に対しては、手の施しようがないのである。

サムエルは、「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」という状況まで、待つ必要があったと言うのです。

「神様がしてくださらなければ、どうすることもできない」という程の渇望をイスラエルの民がもつまで、待つ必要があったと言うのです。

「神への渇望」を持っているでしょうか。

1サムエル 6:13-21

「レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを主に献げた。」(6:15)

旧約聖書の時代、神の箱を扱うことができるのはレビ人たちに限定されていました。

イスラエルに戻ってきた神の箱に対して、神の律法に従いレビ人たちが対応した事は実はとても重要なことでした。

ところが、みことばを軽んじ、神を畏れない人たちが、神の箱の中を見たために、神に打たれ、死んでしまいました。

喜びが悲しみに代わってしまったのは、神に対して畏敬の念を失ってしまったからです。

祝福を受けた時は、なおさら私たちはへりくだって、神を畏れる必要があります。

自分の考えではなく、神のみことばに立ち返ることが大切です。

1サムエル 6:1-12

「注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」(6:9)

偶然か、神の手か、今日の箇所のように明確に分かることばかりではないと思います。

また、今日の箇所のように神を試すような行為自体も、聖書は禁じています。(マタイ4:7)

カンタベリー大主教だったウィリアム・テンプルは、このように言いました。

私が祈る時偶然が起こる。祈らないと、それは起こらない。

神の御力を疑い、神を試そうとしている限り、神の御業を体験することはできません。

謙遜に神を信頼し、祈るなら、神の栄光を拝します。

1サムエル 5:1-12

「それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員集め、「イスラエルの神の箱を送って、元の場所に戻っていただきましょう。私と私の民を殺すことがないように」と言った。町中に死の恐慌があったのである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。」(5:11)

ニーチェは「神は死んだ」と言いました。

現実は、ニーチェは死に、神は今も生きて働いています。

ボルテールは「もう百年も経てば聖書は博物館の中でしか見られなくなるだろう」と言いました。

現実は、聖書は今も読まれ、彼の家は聖書協会の倉庫として、聖書でいっぱいになっています。

イスラエルの民は愚かにも神を利用しようとし、神の箱を汚しました。

いつの時代も、人間の罪の愚かさのゆえに、神の名は汚されてきました。

しかし、神の栄光が地に落ちることはありません。

神は自立自存の神であり、対立を絶たれる絶対者です。

聖なる畏れをもって、偉大なる神に、賛美、栄光、誉れ、感謝を捧げましょう。

1サムエル 4:12-22

「彼が着いたとき、エリはちょうど、道のそばの椅子に座って見張っていた。神の箱のことを気遣っていたからであった。この男が町に入って来て報告すると、町中こぞって泣き叫んだ。」(4:13)

「神の箱」を戦場に持っていく行為自体が、神を利用しようとしたことの現れでした。

「神の箱」は利用するためではなく、神の臨在を覚え、礼拝を捧げるためにありました。

祭司は神を利用しようとする人たちから「神の箱」を守るべきでした。

しかし、祭司エリが反対したという記述はありません。

心配だったとはありますが、神でさえ利用しようとする自己中心的な民の姿勢に警告すらしていないようです。

神は礼拝の対象であり、私たちが利用できるジーニーではありません。

私たちが神に仕えるのであって、逆ではありません。

神を神としていないならば、その報いを受けることとなります。

悔い改め、主に立ち返り、神を神としてあがめましょう。

1サムエル 4:1-11

「サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、」(4:1)

ペリシテという海岸地方に住む人々が、イスラエルの民を攻めてきました。

民は、神のことばよりも自分たちの考え方の方が正しいという姿勢ですから、神のみこころを祈り求めることよりも、どうしたらいいか論じ合いました。

戦いが終わって陣営に戻ったイスラエル軍では、さっそく指導者たちが、なぜ主がイスラエルを痛めつけられたのかを論じ合いました。「契約の箱を、シロから運んで来ようではないか。それをかついで出陣すれば、主は必ず敵の手からお守りくださるだろう。」」(3節LB)

彼らが話し合い出した結論は、契約の箱をもってくることでした。

聖書に反し、「お守り」のように考えたのです。

結果は無残でした。

しかし、「サムエルのことばが」とあるように、神は語られていました。

民の問題は聞く姿勢がなかったことでした。

今日は主の日。共に、主の御言葉に耳を傾け、礼拝を捧げましょう。

1サムエル 3:15-21

「全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが主の預言者として堅く立てられたことを知った。」(3:20)

祭司エリも、エリの子どもたちも健在でした。

しかし、イスラエルの人たちはサムエルが主の預言者として立てられたことを認識したと言います。

ダンはイスラエルの北にある重要な町であり、ベエル・シェバは最南端にある町です。

すなわち、イスラエル全体がサムエルを認めたと言うのです。

なぜなら、神がサムエルと共におられたので、彼が語る預言は、神の権威と力があったからです。

人を高くするも、低くするも、神の御手の中にあります。

ですから聖書は言います。

あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:6)

1サムエル 3:1-14

「主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。」(3:10)

祭司エリの悲劇は

エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。」(8節)

とあるように、主の声を聴く術を知っていたのに聞いていなかったということです。

そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」(1節)

というのは、祭司エリの生き方自体に問題があったということです。

神の御声を聴くことは主に仕える者の基本です。

サムエルのように、

お話しください。しもべは聞いております

と日々祈り、聖書の御言葉を開くことは基本です。

エリの問題は、

息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。」(13節)

とあります。

神を恐れない者を聖務から外す決断も大切だったということだと思います。