Ⅱサムエル 14章

「私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください。」(14節)

  人間は死亡率100%です。その時が来たら、地面にこぼれた水のように、もう集めることはできません。この章に出てくる女性は、ダビデに、彼の息子に対する苦々しい思いを持ち続けることを警告しています。和解の機会を逃してしまう前に、和解の計画を立てるようにと。家族が別れ別れになってしまうのは悲しいことです。私たちは見知らぬ人より、愛する人に対して厳しい目で見やすい傾向があります。神様は私たちが神様に敵対していた時に、私たちにイエス・キリストを与えてくださり、追放されたままにしておかないように、赦しと和解のご計画をお立てくださいました。

Ⅱサムエル 13章

「アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に悪賢い男であった。」(3節)

アムノン王子の根本的な問題は、悪賢い友人の助言を求めたことでした。詩篇1篇1節には、「幸いなことよ。悪しき人々の助言を拒む人・・・」(英訳)と書いてあります。私たちは、悪賢い助言を拒む必要があります。誰の助言に耳を傾けるかが、私たちの人生を左右します。神様はおっしゃられます。「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」(詩篇32・8)私たちは、誰かではなく、神のみことば、聖書のみことばに耳を傾けていく必要があります。残念ながらアムノン王子が自分の悩みを神に祈り求め、神のことばを聞こうとしたという記事はありません。友人の言葉が、神の言葉より影響力があるならば気をつける必要があります。なぜなら、友人も人であり、神ではないからです。

Ⅱサムエル 12章

 「ダビデはナタンに言った。『私は主に対して罪を犯した。』ナタンはダビデに言った。『主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。」(13節)

 罪は、当事者だけでなく、神に対して犯すものです。ダビデはそのことを認めて罪を告白し、赦しを体験しました。聖書は言います。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)罪を認め、告白する人には赦しが与えられるというのは、キリストの十字架の故ですが、素晴らしい真理だと思います。罪の結果は当然残りますが、赦されます。ダビデの悔い改めの歌を味わいたいと思います。「神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。」(詩篇51:12-:14新共同訳)

Ⅱサムエル 11章

「年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。」(1節)

戦いがある時、ダビデはいつも自分が先頭に立って出て行きました。しかし今、彼は大成功を収め、自分が出て行く必要もないと、エルサレムに残りました。確かに、ダビデが行かなくても勝利を取ることは可能かもしれません、しかし神様はダビデに先頭に立って行くように王として召したのです。ところがダビデは自分がいなくても大丈夫と、神様の召しを軽視したため、この後大きな罪を犯してしまいます。自分がいなくても何とかなると、神様の働きに参加することを軽視してしまう時がもっとも危険な時です。神様はご自分の益のために召しているのではなく、私たちの益のために、神様の働きに参加するように招いているからです。

Ⅱサムエル 10章

「ヨアブは言った。『もし、アラムが私より強ければ、おまえが私を救ってくれ。もし、アモン人がおまえより強かったら、私がおまえを救いに行こう。強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。』」(11、12節)

 私たちの人生にはそれぞれ戦いがあります。聖書にも「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」(ガラテヤ6:5)とあります。しかし、一人では負いきれない戦いもあります。ヨアブは、そのような時は、「助けに来てくれ」と頼みました。また、逆の立場なら「助けに行く」と約束しました。これがクリスチャンの姿勢でもあります。聖書は言います。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:2)

「自分の重荷は自己責任として負いつつも、手に負えない時は、助け合うことができますように。」

Ⅱサムエル 9章

「ダビデは言った。『恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。』」(7節)

 ダビデがメフィボシェテを探して呼び出した理由は、彼をいつも王の食卓に招くためでした。神様は、私たちのためにいつも食卓を整えていてくださるお方です。詩篇23:5,6には、こう書いてあります。「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」

神様は、私たちを祝福したいのです。どんな問題の中にあっても、それを乗り越える力を与えるために、みことばの食事を整えているというのです。神様は私たちに日々聖霊の油を注いで、力を与えようとしているのです。私たちは王の食卓に招かれています。

Ⅱサムエル 8章

「ダビデ王は、それをもまた、彼の征服したすべての国々から取って聖別する銀
や金とともに主に聖別してささげた。」(11節)

ダビデは神様のために神殿を建てることは許可されませんでしたが、神殿を建て
るための準備をし続けました。ダビデは、「自分が建てることができないなら、
自分は何もしない」とは言いませんでした。ダビデは自分の思い通りに神様が用
いてくれないからと怒りませんでした。彼は無責任に誰かがしてくれるとも言い
ません。自分の許された範囲で、一生懸命主に仕えました。事実、ダビデが準備
したから、その子、ソロモンは神殿を建てることができました。そのようにすべ
ての偉大な働きには表と裏があります。偉大な宣教の働きの陰には、祈りをもっ
て宣教師を支えて宣教の働きに携わった無数の人たちがいます。宣教師も宣教を
支える人も、主の目には同じように重要な宣教の働きに携わる人々です。

Ⅱサムエル 7章

「あなたの約束どおりに行なってください。」(25節)

ダビデは自分は立派な家に住んでいるのに、神様のためには何も造っていないことに心を痛め、神殿を建てたいことを預言者ナタンに相談します。神様は神殿を建てることを許可しませんでしたが、そんなダビデの家系から救い主が生まれることを約束します。ダビデはどこまでその約束の意味を理解していたかは分かりませんが、信仰をもって「あなたの約束どおりに行なってください。」と祈ります。聖書にはたくさんの約束が記されています。スポルジョン師はこんなことを言っています。「神の約束をもってうるさく迫れば、神が迷惑されるなどとは思うな。神はたましいが大声で泣き叫ぶのを好まれ、恵みを施すのを喜ばれる。あなたの求めるよりも、はるかに熱心に、神は聞こうとされる。太陽は照らすのに飽きることはなく、泉は流れることを煩わしいとは思わない。約束を守られるのは、神のご性格である。」

Ⅱサムエル 6章

「ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」(14節)

 ダビデは神様の前で人々と一緒に喜び踊りました。この箇所に、彼の神様に対する情熱を感じます。彼は王服を脱ぎ、一般の人々と同化して踊りました。日々、王としての役割は果たすけれども、神様の前ではみんな同じという彼のメッセージを感じます。実際、ダビデの姿は王様らしくないと嫌味を言ったミカルにこんなことを言います。「わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」(22節新共同訳)ダビデの賛美に対する姿勢を、心に留める必要があると思います。「神様に喜びを表すためなら、たとい気が変になったと言われてもかまわん。いや、ばかと思われてもよいのだ。」(21、22節)今日は主の日。私たちもそれぞれの立場という服を脱いで、主の前で、心から賛美を捧げましょう!

Ⅱサムエル 5章

「それで、ダビデはバアル・ペラツィムに行き、そこで彼らを打った。そして言った。『主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた。』それゆえ彼は、その場所の名をバアル・ペラツィムと呼んだ。」(20節)

バアル・ペラツィムは「打ち破られる主」という意味があります。私たちの神様は、打ち破られる、ブレイク・スルーの主です。目の前にどんな壁が立ちはだかっていても、神様は打破してくださいます。神様は、今日、私たちの直面している問題の壁を打ち破りたいと願っておられます。ダビデの問題を打ち破った神様は、今も変わらずに、同じように私たちの問題を打ち破ってくださいます。ダビデがこの打ち破られる主を体験することができたのは、彼が神様に伺うこと、つまり、祈ることを大切にしたからです。実際、この大成功を収めた後も、彼は自分の裁量ではなく、再度主に伺って行動しています。ここに鍵があります。