詩篇 81:8-16

「ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」(81:13,14)

神のため息が聞こえそうな箇所です。どうして私たちは、神に聞き従って生きるのがそんなに難しいのでしょうか。どうして、神の道に生きるのがそんなに大変なのでしょうか。神は言われます。

「あなたの口を大きくあけよ、わたしがそれを満たそう。」(10節)

イエス様は言いました。

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)

イエス様は私たちの人生を祝福に導きたいのです。しかし、羊が羊飼いに聞き従わなければ、緑の牧場にたどり着くことはできません。日々、主の前に静まって聖書を開き、神のみことばに耳を傾けることができますように。

箴言 16:18-27

「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」(16:18)

聖書は、

「高慢は、すべて悪である。」(ヤコブ4:16口語訳)

と言います。神よりも自分のほうが優れていると思い込むことが悪のはじまりだからです。だから聖書は言います。

「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、」(1テモテ6:17口語訳)。

メッセージ訳では今日の箇所をこう訳しています。

「第一にプライド、それからクラッシュ‐エゴが大きければ大きいほど落ち方は激しい。」

私たちは謙遜になって、神のみことばを聞く者とならなければなりません。

「神のみことばを聞く人は祝福されます。主に信頼する人は幸せです。」(20節LB)

詩篇 81:1-7

「苦しみの中であなたは叫びわたしはあなたを助け出した。」(81:7)

神は私たちの叫びに答え、私たちを助け出してくださる主です。どんなに難しい問題があったとしても、私たちは祈りに変えることができます。私たちが祈る時、主は言われます。

「わたしはあなたの肩の重荷を下ろす。あなたを重労働から解放する。」(6節LB)

「わたしはあなたを悪い場所から脱出させる。」(MSG)
詩人は、誰に歌うかをはっきりとさせます。

「神こそ私たちの力です。」(1節LB)

私たちが歌うお方は、私たちの力、私たちを解放し、助けてくださる力ある神です。この詩篇には、多くの楽器が登場します。タンバリン(打楽器)、竪琴(弦楽器)、角笛(吹奏楽器)。私たちはあらゆる楽器を用いて主なる神に賛美を捧げるように命じられています。

まじめなはなし

いつまでつづくんでしょう。
先日の祈祷会の最中、こう問いかける私に対して神様はとてもはっきりと応えてくださいました。
「人がわたしに降参するまで」。
それは、打ち消すことができないほど明確な言葉でした。ああ、まだしばらく続くのだなあと打ちのめされたような気持になりました。神様の語りかけを反芻する中で一人の人物を思い出しました。エジプトのパロです。どんなに厳しい状況になっても決して神様に屈しないという態度。神よりも偉大だ、と言わんばかりの「人間力」という言葉で解決してしまおうとする姿勢。「罪」という言葉は的外れ、という意味ですが神様を無視した生き方はどんなに素晴らしく装っても「罪」です。人が神様を無視し続ける限りこの状況は変わらないどころか悪化していくでしょう。わたしたちキリスト者も襟を正し、破れ口に立ってとりなし、私たち自身もまた主の前に悔い改める必要があると思います。厳しい言葉を綴ってしまいましたが、受け止めていただければと願います。
(小山晶子牧師婦人)

詩篇 80:8-19

「万軍の神主よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。」(80:19)

「御顔を照り輝かせてください。」という箇所を、メッセージ訳では、

「あなたの祝福の微笑みが微笑みますように。」

と訳しています。マザー・テレサは、

「微笑みは愛のはじまり」

と言っています。

「ぶどうの木」(8.11節)はイスラエルの民を指しています。

神はエジプトからイスラエルの民を連れ出し、約束の地に植えられ、世話をされました。しかし、石垣は崩され、荒らされてしまいました。(12節)それで、詩人は叫び祈ります。

「私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。」(18節)キリスト教会もまた、石垣が崩され、荒れているような状況にあります。詩人が叫んだように、教会の回復のために祈りましょう。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!

詩篇 80:1-7

「万軍の神よ、私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」(80:7)

困難を感じる時、神の臨在を感じるほど慰めを受けることはありません。詩人は嘲られ、虐げられていました(6節)。詩人は言います。

「悲しみと涙が私たちの食べ物なのですか。」(5節LB)

どんな困難も、マイナスも、神はプラスに変えてくださいます。私たちは、詩人の祈りを自分の祈りにすることができます。「御顔」は「臨在」と訳される単語です。神の臨在の光を体験するためには、光が当たる位置にいなければなりません。自分が輝きを失っていると感じるならば、神との距離が今どうなっているかを自分自身で振り返ることも大切なことだと思います。私たちは主の臨在が必要です。
「万軍の神よ、私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください!」

箴言 16:8-17

「正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。」(16:8)

この世は「正直者が馬鹿を見る」と言われます。しかし、聖書は言います。

「正直に商売すること、それは主の決めた鉄則です。」(11節LB)

この世の価値観ではなく、神の国の価値観に生きることが求められています。モーセは、エジプトの王子として裕福な生活をしていました。しかしモーセは、

「はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。」(ヘブル11:25,26)

神が私たちに与えてくださるものは、この世が私たちに与えるものよりもはるかに勝っています。ですから聖書は言います。

「人をだまして大もうけするより、わずかずつでも正直に稼ぐほうがましです。」(LB)

詩篇 79:1-13

「私たちの救いの神よ、私たちを助けてください。御名の栄光のために。私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。御名のゆえに。」(79:9)

ソロモンが建てた神殿は、イスラエルの民の罪のゆえに、神の栄光は去り、バビロン帝国によって破壊されます。詩人は神の御名が汚されたことに心を痛めます。そして、神に尋ねます。「主よ、いつまでですか。」(5節)「救いの神よ、あなたの御名があがめられるために、私たちを助け、この罪を赦してください。」(9節LB)残念ながら、神の御名がいろいろなところで汚されています。聖書が神のみことばであることを否定したり、キリストの神性を否定したり、キリストの復活を否定したりして、神の御名が汚され、教会は力を失い、神の御名が汚されています。私たちは、心を合わせ、御名の栄光のために、主の助けを求めます。主よ、私たちをあわれみリバイバル(信仰復興)を与えてください。

詩篇 78:56-72

「主はしもべダビデを選び羊の囲いから召し出された。」(78:70)

ダビデは羊飼いでした。忠実に羊の世話をしていたダビデを神は選び、王としてご自分の民を牧するようにされました。聖書は言います。

「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(2歴代誌16:9)

神は全地を隅々まで見渡しておられます。聖書は言います。

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:6)

イエス様は言われます。

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)

与えられた一つ一つのことを誠実に行い続けることができますように。

詩篇 78:40-55

「神が安らかに導かれたので彼らは恐れなかった。」(78:53)

罪とは神に逆らうことです。何度も反抗し、神を悲しませることです(40節)。

「こうして、自らの手で、神の祝福をとどめてしまったのです。」(41節LB)

罪は神の祝福をとどめます。すべての祝福の源である神に逆らい続けることだからです。しかし、あわれみ深い神は、イスラエルの民を導き、エジプトの奴隷生活から脱出させてくださいました。ここに神の恵みの世界があります。受ける価値のないものが受けることが恵みです。私たちも神の恵みのゆえに、神の導きの中、生きることができます。神の恵みのゆえに、私たちは恐れる必要はありません。

「神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し」(52節)とあるように、神ご自身が私たちの羊飼いとなって、私たちを導いてくださいます。