忘れとった、、、

今年十一月号の「ちから誌」から一年間の予定で聖書考古学の記事を書いています。楽しく書いていたら編集部の方から「もうすこしまじめに」←(言い方はもっと優しかったです)との注意を受け、一月からは少しまじめな感じの内容に変えたのですが、そこでいったん意識を使い果たしたのか充電に時間がかかり、さっき気付いたのですが次の号の締め切りが一週間以上も過ぎてしまっていたのです。忘れとった、、、という気持ちのまま今この文章を書いていますが、実はタイトルだけは少し前に考えていました。ただ伝えたいことが多すぎて、決められた文字数でそれを書くのは長く書くよりも難しいのです。真面目過ぎずふざけ過ぎずクリスチャンでない方にもわかりやすく。かなりハードルは高い働きですが、神様から大いに知恵をいただきながら一文字一文字紡いでいきたいと思います。ほめられると頑張れるので感想など編集部に送っていただけると嬉しいです!『アブラハム、墓を買う』というタイトルを見たら、ああ、これね、と思い出してくださいませ。   (小山晶子牧師人)

ゼカリヤ書 5:1-8:23

「あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。」(6:11‐13)

ゼルバベルと共に指導的役割を担ったのが大祭司ヨシュアです。この箇所はメシア預言と呼ばれるもので、やがて大祭司ヨシュアのようにメシアが現れ、神殿を建て直すという預言です。神殿とは天と地が重なり合う場所であり、実は、キリストご自身が十字架の御業によって永遠の神殿となられました。そのような意味で、今、キリストが建て直す神殿はキリストの教会です。私たちは幕屋やエルサレムに神殿を建て直すことではなく、キリストのからだを建て上げることに心を注ぎます。

今日は主の日。アドベント二週目。共に礼拝を捧げましょう。

ゼカリヤ 1:1-4:14

「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」(4:6)

バビロン捕囚からエルサレムに帰って来た時のリーダーが、ゼルバベルです。彼はエルサレムを再建しようと努力しますが、邪魔が入ります。(エズラ四、五章参照)彼は、自分の力のなさに落ち込んだと思います。しかし、神はそんな彼に、「あなたの力ではなく、聖霊によって成し遂げる」と語り、彼はそれで立ち上がります。キリスト教会のはじまりも、まさに、この世的に言えば権力も能力もない、一握りの人々からはじまりました。しかし、聖霊なる神が臨んでくださることによって、全世界へ広がっていきました。聖霊なる神の力は、今も、求める人々に注がれます。私たちもこの地上の信仰のレースを、権力によらず、能力によらず、神の霊によって走り抜くように召されています。

ハガイ1:1-2:23

「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。」(1:8)

ハガイはエズラ記5章にあるように、捕囚から帰ってきた人々に神殿の再建を成し遂げるように、励ましのメッセージを語るために遣わされた人です。捕囚地からエルサレムに帰還したユダヤ人たちは神殿再建を始めたものの、邪魔が入り中断してしまいました。それで、ハガイは主のことばを伝えます。

「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。(中略)それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。」(4‐6、9節)

神の国をまず求めましょう。

ダニエル 11:36-12:13

「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。」(11:36)

前節まで中間時代のシリアのエピファネスのことに言及していたのに、突然、この世の終わりに登場する偽キリストの話になります。このように時間的に両方が混ざることは聖書の預言にはよく見られます。偽キリストの特徴は、

「どんな神よりも自分は偉いと主張して、まことの神さえも冒涜」(LB)

することです。そしてキリストではなく、自分を拝ませるのです。しかし、

「それも彼の時が終わるまでだ。」

と聖書は言います。神を恐れずに、自分をあたかも神のようにふるまって、なお栄えているように見えても、それは、長続きはしません。

「神の計画は揺らぐことがないから。」(LB)

と聖書は言います。神を神と認め、神の主権を認めて生きることが問われます。

ダニエル 11:2-35

「思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。」(11:35)

11章2節から35節まで、中間時代(旧約聖書と新約聖書の間)のことが預言されています。3節の「ひとりの勇敢な王」は、アレキサンダー大王のことと考えられます。彼の死後、北のセレウコス朝シリアと南のプトレマイオス朝エジプトの戦いの中にユダヤ人たちは翻弄されます。しかも、シリアのエピファネスは、31節にあるように再建された第二神殿に異教の祭壇を築き、神殿を汚します。敬虔なユダヤ人は迫害され、殉教します。詳しい内容はマカバイ記に記されていますが、マカバイ記は聖書には含まれていません。聖霊に導かれて書かれた神のみことばではないからです。ただ、マカバイ記を読むと新約聖書が律法、割礼、安息日、食物規定をどうして否定的に言及しているかが分かります。

ダニエル 9:20-11:1

「すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」」(10:18,19)

ダニエルだけでなく、聖書に出てくる神が用いた人は皆、モーセもエレミヤもイザヤも、自分はふさわしくないと感じました。しかし神はいつも、私たちに使命を与えるだけでなく、それを成し遂げることができるように私たちに触れ、力づけて、整えてくださるお方です。神が私たちを整える方法の一つは、私たちにみことばを語ることです。ダニエルは神のみことばによって、奮い立つことができました。神は今日、私たちに言われます。
「神はあなたを非常に愛しておられる。だから、恐れるな。気を落ちつけて、しっかりするのだ。」(LB)

ダニエル 8:15-9:19

「私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。」(9:18)

ダニエル書9章のダニエルの祈りは、私たちの祈りの模範の一つです。彼が自分の国のため、同胞のために祈る姿勢を、私たちは学ぶ必要があると思います。彼は私たちが神に祈り求めるのは、

「私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです」

と告白します。LBではこう訳しています。

「助けていただくに値する者だからお願いしているのではありません。私たちのどうしようもない罪にもかかわらず、あなたはあわれみに満ちたお方なので、お願いしているのです。」

私たちはただ、イエス・キリストの真実のゆえに、イエスの御名の中で祈ります。

フランシスコ教皇

フランシスコ教皇来日のニュースは、連日かなり詳しく報道されていましたが、先週月曜日の東京ドームで行われたミサに実は私も参加してきました。恐らく人生で教皇を生で見る機会はこれが最初で最後だろうという考えのもと、ダメもとで申し込んだら家族4人全員参加できることになったのです。生れてはじめてカトリックのミサに参加し、一つとても感動したことがあります。それは「ミサ」のために5万人もの人々が集まったということです。もちろん教皇が来ることが非常に特別なことであるとは思うのですが、はたして今の日本のプロテスタント教会が、礼拝を捧げるために一致し、東京ドームを埋め尽くすほどの人でいっぱいになるだろうか?考えてしまいました。原爆や原発に関する発言も教皇は数多くしておられましたが、権力を正しく使い自分の役割をよく知っておられるなあという印象を持ちました。ミサ中の説教で聖書の御言葉がしっかり語られていたことにも感動しました。東京ドームに行ったのは23年年ぶり。ビリーグラハム大会以来でした。(小山晶子牧師人)

ダニエル書 7:1-8:14

「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(7:13,14)

「年を経た方」とは父なる神、「人の子のような方」とは子なる神、イエス・キリストです。ですから、イエス・キリストが雲に乗って来られ、父なる神のもとに進み、永遠の主権が与えられ、神の御国が確立するという預言です。イエス様も十字架にかかられる直前に、大祭司に言いました。

「今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ26:64)

キリストの十字架と復活と昇天によって、この預言は成就しました。

今日は主の日。アドベント一週目。共に礼拝を捧げましょう。