詩篇 62:1‐12

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」(62:1)

「私の救いは神から来る。」という箇所をLBは

「救うことができるのは神だけですから。」

と訳しています。私たちは黙って神を待ち望むためには、「救いは神から来る」ということ、「救うことができるのは神だけ」ということを受け止める必要があります。使徒パウロは非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどの時、

「私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。」(Ⅱコリント1:9新改訳二〇一七)

ということを悟りました。パウロは黙ってというよりも、黙らされて、神を待ち望み、救うことができるのは神だけということを体験したのです。リック・ウォーレン師がこんなことを言っています。

「神は自ら助くる者を助けない。神は神を頼る者を助ける。」

今日は主の日。主に礼拝を捧げましょう。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の対応 (5/13)

主の御名を賛美します。皆様の祈りの中、私たちの教会では緊急事態宣言の間は、爆発的感染拡大の防止に協力し、続けて、以下の対策を行います。
1.主日礼拝は、第二礼拝(10時半)のみYouTubeのライブ配信でおこないます。
・第一(9時)、第三(18時)礼拝はお休みします。
・インターネット環境がない方には、DVDを配布します。
2. 献金は礼拝の一部であり、みことばへの応答と献身を意味します。重要ですので教会は以下の対策をとります。
1) 郵便振替
加入者名:栄シャローム福音教会 / 口座番号:00250-0-7655
振替用紙が必要な方はお知らせください。
振替用紙を使用される方は、直接、種別(什一、礼拝、イースター特別、感謝など)をご記入ください。
2) 教会の銀行口座への振り込み
三井住友銀行 店番号346 藤沢支店 普通 口座番号 1951775 栄シャローム福音教会
※ 銀行口座に振り込む場合は、種別(什一、礼拝、感謝など)を教会のメールアドレス(sakaeshalom@jcom.zaq.ne.jp)にお知らせください。
※ ご質問等ございましたら、お知らせください。
「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)
3.祈祷会(金曜日)はYouTubeのライブ配信を致します。
・祈祷課題をできるかぎり木曜日までに、教会にお知らせください。共に祈りましょう!
4.平日の集会、ビブリオン(聖書の学び会)は、お休みします。
5.5月31日の教会総会は、委任状提出による書面承認でお願いします。
・ご質問のある方は、ご連絡下さい。委任状の提出によって承認とさせていただきます。委任状と共に近況をお知らせください。
>今後に関しては、緊急事態宣言が解除した時点で・・・
1.礼拝堂での主日礼拝を再開します。
・3回(9時、10時半、18時)の礼拝に、可能な限り分散して三密にならないように出席をお願いします。出席者は、アルコール消毒、マスク着用をお願いします。
・少しでも熱がある方、咳、カゼ症状のある体調のすぐれない方、ハイリスクの方、公共の交通機関などを使用される方は今しばらく出席をお控えください。第二礼拝のライブ配信は継続します。
2.礼拝堂での祈祷会も再開します。但し、ライブ配信も継続します。
3.ビブリオンも、礼拝堂で、三密にならないように対策を講じつつ再開します。出席者は、アルコール消毒、マスク着用をお願いします。
冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。収束のため、祈り続けていきましょう。神様の守りと助けをお祈りしています。
※ 今後も、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebookで、随時お知らせします。YouTubeのチャンネル登録、出席票のご記入をお願いします。

箴言 12:8-17

「愚か者には自分の歩みがまっすぐに見える。しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。」(12:15)

愚か者の問題は、自分が一番正しいと思い込んでいることです。この世界に争いが起こる理由も、みんな自分が正しいと思い込んでいるからです。正しいと思っているから忠告を無視します。互いに自分が正しいと思っているから引くことが出来ずに、衝突してしまいます。自分が正しいと思っているので、「すぐかっとなり」(16節LB)爆発してしまいます。聖書は知恵ある人は、「人のことばに耳を傾けます」(LB)と言います。我以外皆師と、他者から学ぶことができます。学ぶ心があるので、「知恵ある人は侮辱されても冷静です」(16節LB)。
聖書は言います。

「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(1ペテロ3:9)

詩篇 61:1-8

「私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです」(61:4)

「幕屋」が意味していることは、神の住まいです。私たちはやがて、天の御国で神と共に住みます。しかし、それはこれから後の話というだけではありません。イエス・キリストは私たちに「御国が来ますように」と祈りなさいとおっしゃられました。これは神の住まいが天にあるように、この地にもあるように祈りなさいという意味です。イエス・キリストの誕生は、神の幕屋がイエス・キリストを通して人類に与えられたことを意味します。そしてイエス・キリストの十字架と復活は、この幕屋を地上にもたらしました。具体的には、詩篇22:3にこう書いてあります。

「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」

賛美と礼拝は、神のリビングルームです。私たちが、賛美と礼拝を神に捧げる、そのただ中に、神はおられます。

詩篇 60:5-12

「神によって、私たちは力ある働きをします。」(60:12)
「神によって」は「神の中で」(in God)とも訳せます。自分をどの位置に置くかが、私たちの人生に影響を与えます。ダビデは、自分を神の中に置くことによってベストを尽くすことができました。自分を神の中に置くことを意識することは汎神論とは違います。神の臨在を意識して生きていくということです。これが、私たちが力強く生きていくために重要です。人にはできないことも神にはできます。神の中に生きているならば、私たちの能力を超えたすばらしいことを期待することができます。それは、自己満足の世界ではなく、神の御国をこの世界に体現していくことです。イエス・キリストの十字架と復活を通して、神の御国がこの世界にはじまっていることを体現する人生です。

詩篇 60:1-4

「あなたはあなたを恐れる者に旗を授けられました。弓から逃れた者をそこに集めるために」(60:4)

約束の地に向かうイスラエルの民にアマレクの戦士たちが闘いを挑んだ時、ヨシュアたちは戦いのために出て行き、モーセはアロンとフルと共に丘の上に登りました。モーセが手に持った杖を差し伸べている間はイスラエル軍が優勢になりましたが、腕を下げると、アマレク軍が優勢になりました。モーセの手が重くなったので、アロンとフルはモーセの手を支え、そのようにしてイスラエル軍はアマレク軍を打ち破りました。この時、聖書はこのように記録しています。

「モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ(「主は勝利の旗」の意)」と呼びました。(出エジプト17:15LB)

ですから、

「あなたはあなたを恐れる者に旗を授けられました。」

という意味は、主を恐れる者に勝利を与えられるという意味です。

主を恐れる者に、主は勝利を保証されます。

箴言 11:29-12:7

「人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。」(12:3)

この世を見ると、悪いことをして成功しているように見える人がいます。しかし、悪をもって身を堅く立てることはできません。悪いことをしていて、人生が安定することはありません。たとえ、しばらくのあいだ大丈夫に見えても、正義は必ず追いついてきます。それは、砂の上に人生を築き上げるようなもので、必ず、崩れ去るときが来ます。正しいことを行うことだけが、しっかりとした土台に築き上げることができる方法です。正しい人の根はゆるぎません。しかし、この世で生きていく中で正しく生きることがばからしく見えるときがあります。ですから聖書は言います。「

正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク 2:4)

詩篇 59:9-17

「私の力よ私はあなたを見続けます。神が私の砦だからです。」(59:9)

ダビデが逆境の中で発見したことの一つは、人生の力、力の源である主を見続けるということです。そして、朝ごとに私たちの力、神を賛美することです。私たちが逃げてよい逃げ場は、賛美を住まいとしておられる神だけです。神のもとへ身を避けるなら、ダビデと同じように歌うようになります。

「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。」(59:16,17)

あいする母上

きょうは母の日。
わたしたちはみんなお母さんから生まれてきました。今この地上にお母さんがいる人もいない人も、全ての人には自分を産んでくれた「お母さん」という存在がいます。有名な十戒には、人間関係における戒めに関しての一番はじめにこう記されています。
『あなたの父と母を敬え。(出エジプト20:12)』。
3年前の今頃、わたしは鬱がひどくなりほとんど何もできなくなりました。「おかあさん」ならできて当たり前のことができなくなった時、自分は存在するだけで周りに負担をかけてしまう、そう思いました。でもその時初めて『私の目にはあなたは高価で尊い』という御言葉を本当の意味で理解することができたのです。何かできるから、ではなく存在そのものを神様は愛してくださっている。わかっていたようで実はわかっていませんでした。立派な父だから、素敵な母だから敬え、と聖書は語っていません。ただ「敬え」と命じています。そのことに心を留め、すべての「お母さん」に心からの感謝を表す一日にしたいと思います。
(小山晶子牧師婦人)

詩篇 59:1‐8

「どうか目を覚ましここに来て見てください。」(59:4)

神は私たちの力、砦、苦しむ時、そこにある助けです。しかし、神を信頼することは容易な人生へのレシピではありません。逆に、いろいろな反発を体験することさえあります。この詩の作者、ダビデは脅威の中にありました。表題を見ると、「ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに。」とあります。このような状況下でダビデがまずしたことは祈ることでした。ダビデは神の救いを確信します。「私には咎がないのに」(4節)と言うように、ダビデには身に覚えがないのに、ダビデは攻撃を受けていました。私たちも、時として、身に覚えがないのに逆境を体験することがあります。ですから、ダビデのように苦難の時に主を呼び求めることが大切です。

「主よ、目を覚まして、よくごらんください。そして助けの手を差し伸べてください。」(LB)

今日は主の日。主に礼拝を捧げましょう。