やる気スイッチ

クリスマスマーケットの準備のため二階の事務室で探し物をしていてふと思いました。

この部屋に様々存在している無数の紙たちは今も本当に必要なのだろうか?

20年近く前の手紙やダイレクトメールはさすがにもういらないだろうから、これらを少し処分して部屋をもう少し使いやすくしたい!

わたしのやる気スイッチがその瞬間激しくオンとなり、時間も忘れて掃除を始めてしまったのです。

気づけば夕方。

そこでようやく「なぜわたしは今この部屋にいるのか」ということを思い出し、慌ててHOPブースの準備に取り掛かりました。

皆さまがこの文章を読む頃にはクリスマスマーケットが無事終わっていると思いますが、栄区の6教会が協力して行われる素晴らしい伝道の機会に共に参加できることをとても嬉しく感謝しています。

水にパンを投げるような働きかもしれませんが、いつの日かそれを見出せる日が来ることを願って、忍耐強く続けていければと思います。

来週はクリスマス特別礼拝。

今年も残りわずかとなりました。

限られた地上での人生、いのちの日数を正しく数えることができますように。

(小山晶子牧師夫人)

黙示録 16:1-21

「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである」(16:15)

ヨハネの黙示録は、これから起こることのインフォメーションを与えるためだけに記されたわけではありません。

大地震を含むすべての災いは、その後に登場するイエス・キリストの序章です。

「キリストが再び来られる」ということを伝えるために、これらの災いは存在しています。

ここに、メッセージがあります。

「世界が揺れ動いた時こそ、わたしが現れる時です」ということです。

大患難時代、キリストは裁くためにやってきます。

しかし今、私たちが生きている恵みの時代では、キリストを信じる者のために来られます。

問題のただ中において、キリストを体験することを「臨在」と呼びます。

キリストはまずクリスマスに、この世に誕生されました。

今日は主の日。アドベント3週目。

共に主なる神に感謝と礼拝を捧げましょう!

黙示録 15:1-8

「私は、火が混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った人々が、神の竪琴を手にしてガラスの海のほとりに立っていた。」(15:2)

「ガラスの海」とは、英語では「クリスタル」の海と訳していますように、「輝き」を意味しています。

つまり、栄光に輝く、神の臨在を指しています。

「立琴」は、ここでは賛美を意味しています。

つまり、そこでは不平不満はなく、感謝と賛美に満たされるということです。

その日、私たちの「どうして?」は消え去り、ただ、神を賛美するだけになると言います。

私たちの人生には、いろいろな「どうして?」があります。

その質問の答えを一生懸命考えても、そんなに助けにならないかもしれません。

しかし、その時、神の栄光の臨在の前に、ただ立琴を持って立っている自分に気がつくというのです。

「ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。」(1テサ5:11)

黙示録 14:14-20

「また私は見た。すると見よ。白い雲が起こり、その雲の上に人の子のような方が座っておられた。その頭には金の冠、手には鋭い鎌があった。」(14:14)

この箇所は、地上における最後の審判として行われる大戦争、俗に言う「ハルマゲドン」の戦いを指すものと考えられています。

ハルマゲドンの戦いは地の全面に戦禍が及ぶ大戦争であること、そして、この戦争による死傷者の多さを黙示録は預言しています。

人間の歴史は、残念ながら戦争の歴史でもあります。

沢村五郎師はこんなことを言っています。

「神を離れた人類はただ自分のためにのみ生きようとします。自らが生き、得、栄えるために、自分と対立する相手を倒そうとして戦争と闘争を繰り返してきました。人類の歴史は争いの歴史です。地上の最後の歴史は戦争をもって終わるのです。」

心に留めるべき内容だと思います。

黙示録 14:1-13

「また私は見た。すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた。また、子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。」(14:1)

子羊はイエス・キリストを指しています。

この世界が、反キリストと偽預言者に完全に支配されたかのように見えた中、キリストとともに、14万4千人のクリスチャンが登場します。

彼らは三つの特徴があります。

第一番目に、彼らの額には子羊であるキリストのしるしがつけられていました。

その人たちの内にしるしのように、イエス・キリストが聖霊なる神として住んでくださるということです。

第二番目に彼らは、「新しい歌を歌った」とあります。

聖書は「新しい歌」を大事にしています。

なぜなら、イエス様は生ける神なので、その関係は日々、新しい、新鮮なものだからです。

第三番目に、彼らの特徴は「傷のない者」だと言います。

イエス様はそのために十字架にかかって死んでくださったのです。

黙示録 13:11-18

「また私は、別の獣が地から上って来るのを見た。それは、子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた。」(13:11)

「別の獣」とは「偽預言者」(19:20)のことです。

彼は、「子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた」と言います。

子羊はキリストの象徴であり、角は権威の象徴です。

つまり、キリストに属しているふりをするのですが、実際はサタンの代弁者だと言うのです。

「竜のようにものを言った」とありますが、「竜」は12:9にありますようにサタンです。

「サタンのようにものを言う」とはどういうことでしょうか。

それは第一に、批判ばかり言うことです。(12:10)

第二番目は、キリストではなく、自分に頼らせようとする言い方です。

第三番目は、人を陥れるためには平気でウソをつく言い方です。(ヨハネ8:44)

私たちは欺かれないために注意する必要があります。

黙示録 13:1-10

「耳のある者は聞きなさい。」(13:9)

神からの使命を受け取るためには、どうしても、神のみことばである聖書と格闘する必要があります。

黙示録を学びながら、気づくべきことがあります。

それは、第一番目に、サタンは、私たちを疲れさせ、力を失わせようとしているということです。.

第二番目に、この世には、沢山の偽キリストたちが、私たちが答えを聖書ではなく、誰かに聞くように仕向けているということです。

私たちは忙しい時代に生きていますが、静まって聖書と向き合う時間をもっているでしょうか。

神のみことばに希望があります。

イエス様は今生きておられますから、聖書のみことばを通して、必ず私たちに語りかけてくださいます。

聖書は言います。

「耳のある者は聞きなさい。」

なぜなら、

「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(ローマ10:17)

黙示録 12:7-18

「私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。」(12:10)

サタン、その名前の意味こそ、「告発者」、私たちを責めるものです。

サタンは、私たちの弱さを知っていて、私たちの過去の過ちなどを利用して、私たちを責めるのです。

私たちがいつまでも、過去の失敗に引きずられるように、私たちの思いを支配しようとします。

私たちは、サタンに惑わされないように、私たちの思考を転換する必要があります。

「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(ローマ12:2)

私たちは、神の国の考え方、聖書の考え方に、転換する必要があります。

お好み焼き

冷凍しておいた豚バラスライスを使おうと思い、木曜日の夕飯は久しぶりにお好み焼きを作ることにしました。

わたしの場合、お好み焼きはお粉はあまり使わず、たくさんのキャベツと自然薯をすったものをメインに作ります。

それで、キャベツを買いに近所のスーパーへ行ったのですが値段を見てびっくり仰天しました。

ひと玉300円以上するのです。

庶民飯の代表格であるお好み焼きが、、おお、イクスペンシブ!

その上よく見るとおたふくソースも青のりも値上がりしています。

長男がトルコの空港で見たビックマックセット4200円には敵いませんが物価の高騰に感覚がまだまだついていけません。

このように移ろいやすいこの世の経済生活や私たちを取り巻く環境には戸惑うこともありますが、私たちキリスト者にはたとえこの天地が滅びても変わることがない聖書の御言葉が与えられています。

イエス様はこうおっしゃいました。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ福音書6:33)」

主に信頼する人は失望させられることはありません!

 (小山晶子牧師夫人)

黙示録 12:1-6

「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた。」(12:5)

女はイスラエル、男の子はイエス・キリストのことです。

今、私たちはアドベントを過ごしていますが、イエス・キリストはこの世界に生まれました。

2節に

「女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。」

とあります。

キリストが誕生するまで、イスラエルの国は多くの苦難を通りました。

しかし、「その日」はやってきました。

同じように、私たちも叫び声をあげるような日を過ごさなければならないかもしれませんが、「その日」は来ます。

苦難の金曜日の先には復活の日曜日があります。

悲しみが喜びに、嘆きが歌に変わる日曜日はやってきます。

今日は主の日。アドベント2週目。共に主なる神に感謝と礼拝を捧げましょう!