テレホンカード

久しぶりに開けた引き出しの中からテレホンカードが出てきました。

携帯電話の普及ですっかり使わなくなっていましたからちょっぴりなつかしい気持ちになりました。

そういえば以前は好きなアイドルや動物の写真が印刷されたテレカを集めている人がいたり、もっと前だと切手収集やウルトラマン消しゴムの収集、牛乳瓶の蓋収集などなど、かなり多くの人が何かしら「集める」ということをしていたのではないかと思います。

なぜ人は「集める」ことが好きなのでしょう?

人によってもちろん理由は様々だと思いますが自分自身を振り返ってみるとわたしは「聖書時代の考古学に関係するものを集める」ことが大好きです。

それは書籍、写真、ランプなどの「物」などあらゆるジャンルに及びます。

聖書の世界に近づけるツールを見つけるとわくわくします!

もしも世界中にあるものの中でどれでも一つ、コレクションとして持ち帰ってもいいと言われたら、、、

私は迷わず大英博物館にあるラキシュ攻略の壁画を選びます。

ああ、もういちど、みにいきたいなあ。

イースターおめでとうございます。

(小山晶子牧師夫人)

詩篇 107篇

「波が凪いだので彼らは喜んだ。主は彼らをその望む港に導かれた。」(107:30)

「その望む港」、彼らの望み/願いの港にたどり着くためには、人生の海の嵐を乗り越えていく必要があります。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から導き出された。」(28節)

とありますように、大事な点は誰に向かって叫ぶかです。

小坂忠先生の歌にこのような歌があります。

目指す光もなく  闇をゆく船は

心安まる時がない  夜が明けるまでは

やがて朝がきて  鳥が歌い出しても

光もたないその心に  歌は生まれない

君の行く道を  照らす光はあるか

心安らぐその港に  君が帰るまで

イエスは光  闇を照らし  君を導く

(イエスは光)

今日はイースター(復活祭)。

主は確かによみがえられました。

私たちの行く道を照らし、心安らぐ港に導いてくださいます。

このお方に、共に礼拝を捧げましょう。

詩篇 106篇

「主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相謀って逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。それでも、彼らの叫びを聞いたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みにしたがって、彼らをあわれまれた。」(106:43-45)

106篇には、旧約聖書に出てくるイスラエルの民のこれまでの歩みがわかりやすく記されています。

神を、時には信頼し、時には裏切り、また悔い改めて立ち返る、といった身勝手な振る舞いに、私たちは心を痛めます。

自分の姿と重ね合わせてしまうからだと思います。

慰めは44節です。

それでも、あなたはひたすら待ち続けました。彼らが立ち返り、御父の助けを求め叫ぶのを。そして、あなたは彼らの叫びを聞いたときあなたは怒りを鎮め、契約を思い出されました。そして、再び彼らに心を向けました。あなたの豊かな、溢れるような、限りない愛で。」(TPT)

詩篇 105篇

「主に感謝し、御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。」(105:1)

詩篇105篇は、神がなされた救いの御業が歌われています。

私たちは、神の御業を全ての人々に伝えるように命じられています。

神の不思議な御業を音楽に翻訳しなさい。」(2節MSG)

とありますが、神の御業を歌にして、人々に知らせるようにと言います。

今日は聖金曜日、キリストが十字架にかかられたことを覚える日です。

キリストは私たちの罪のために十字架にかかり死なれました。

私たちの代わりに罪の呪いを受けてくださいました。

キリストの十字架の御業のゆえに、キリストを信じる者が罪に定められることはありません。

主がなされた救いの御業を思い出し、歌にし、一人でも多くの人に知らせることができますように。

詩篇 104篇

「そこを船が行き交い、あなたが造られたレビヤタンも、そこで戯れます。」(104:26)

「レビヤタン」は神話上の怪物と理解されたり、恐竜と理解されたりしますが、ギリシア語七十人訳では「ドラゴン」と訳しています。

いずれせよ、神はそのような怪物でさえも造られたと言います。

すなわち、神の力を上回る存在はないということです。

驚くことは、そのような偉大な神のひとり子、イエス・キリストが人となってこの地に来られ、弟子たちの足を洗われたという事実です。

今日は洗足木曜日、最後の晩餐の時のことを覚える日です。

弟子たちの足を洗った神のひとり子の愛の深さ、恵みの深さに心を留めたいと思います。

そして同時に、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:15)と言われたことも心に留めたいと思います。

詩篇 193篇

「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病を癒やし、あなたのいのちを穴から贖われる。主は、あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ、あなたの一生を、良いもので満ち足らせる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。」(103:2-5)

詩人は

あなたが私にしてくださった優しさの奇跡をどうして忘れることができるでしょうか」(TPT)

と言います。

私たちはつらかったことや傷つけられたことは忘れないという傾向があると思います。

けれども、詩人は、神がしてくださった「良い」ことに焦点を合わせるようにと言います。

私たちは何よりも、イエス・キリストの十字架の御業のゆえに、私たちの過去、現在、未来の罪を赦していただいたことを忘れてはいけないと思います。

否定的にならず、主の恵みを数え、主を恐れ、主をあがめることができますように。

詩篇 102篇

「このことが、後の世代のために書き記され、新しく造られる民が主を賛美しますように。」(102:18)

「このこと」とは、

なぜなら、主はシオンを建て直し、その栄光のうちに現れ、窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされないからです。」(16,17節)

という内容を受けていると思われます。

そもそも、この詩の表題は、

苦しむ者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの。

とあります。

詩人は言います。

さあ、こう伝えなさい。主は天から見下ろし、奴隷として死ぬ運命にある民のうめきを聞いて、解放してくださったと。」(19,20節LB)

私たちは次の世代が主を賛美することができるように、神の御業を語り継いでいかなければなりません。

主は今生きておられ、今も私たちの祈りに応えて、御業を行われます。

詩篇 101篇

「恵みとさばきを、私は歌います。主よ。あなたにほめ歌を歌います。」(101:1)

メッセージ訳では、この箇所をこう訳しています。

私のテーマソングは、神の愛と正義です。神よ、あなたに向かって私は歌っています。

神の国の国民のテーマソングは、「神の愛と正義」だと言います。

具体的には2節にこのように詩人は歌っています。

私は潔白な道を歩もうと心がけていますが、神の助けなしには何もできません。特に、御心にそった歩みをしたいとせつに願う家庭の中でこそ、助けていただきたいのです。」(LB)

まず、日常の生活の中でこそ、神の助けをいただきながら、神のみこころにそった歩み、自分ができる最善を行なっていくことが、「神の愛と正義」をテーマソングにして生きていく者の姿です。

お好み焼き

次男が大学の寮に入り、我が家は人間三人と猫二匹+亀一匹の生活がスタートしました。4月1日にあわただしく準備をして入寮し、ようやくほっと一息、、、ともいかず、なにかと忙しい毎日ではありますが、偏食だった次男がいないことで食事作りは少し楽になった部分もあります。特にお好み焼きができるようになって(ありがたいことに英児先生は週一でお好み焼きが食べたいと言ってくれるので)助かります。私が作るお好み焼きはたくさんのキャベツが入っているのですが、いまは春キャベツのシーズンで特に美味しくできるような気がします。種まくものに種を与え、地に実りを与え、私たちに食べるもの、飲むものを豊かに備えてくださる神様の恵みを、春はたくさん感じることができるのでウキウキします。新ニンジン、新ジャガイモ、新玉ねぎ、真っ赤ないちご。品種改良をすることはできても、人は無から有を作り出すことはできません。それができるのは創造主である神様だけです。主の偉大さを今週も体感することができますように!!今週は受難週です。 (小山晶子牧師夫人)

詩篇 100篇

「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」(100:4)
 
メッセージ訳では、この箇所をこう訳しています。

『ありがとう』というパスワードで、入りなさい

神の臨在の中に入るパスワードは「ありがとう」です。

私たちは、プラスに見えることも、マイナス見えることも、全てを益としてくださる神を信頼して、全てのことを感謝することを通して、神の臨在の中に入ることができます。

神の臨在の中に入るならば、

主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。その真実は代々に至る。」(5節)

という世界を体験します。

主なる神が、良い神であり、信実の愛で私たちを愛し続ける、真実の神であることを体験するようになります。

主の信実の愛とその真実はとこしえまで続きます。

今日は主の日、キリストがロバの子に乗ってエルサレム入城されたことを覚えるPalm Sunday(棕櫚の主日)。共に主に礼拝を捧げましょう。