使徒 19章

「彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。」(19:2)

聖書は

聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。」(1コリ12:3)

と言いますから、主イエスの名によってバプテスマを受けた人は聖霊を受けているはずです。

しかし、

パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。」(6節)

とあるように、聖霊に満たされることを謙遜に求める姿勢も必要です。

なぜなら、私たちは聖霊に満たされる必要があるからです。

聖霊に満たされる方法は、祈り求めることです。

イエス様が言われました。

天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」(ルカ11:13)

また、この箇所のように、手を置いて祈ってもらう(按手)ことを通して、聖霊が臨む世界があります。

使徒 18章

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」」(18:9,10)

新約聖書のパウロ書簡の中で、もっとも長いコリント人への手紙第一、第二の教会の始まりをここに見ることができます。

「恐れないで」ということは、この時、パウロが恐れていたことが分かります。

実際、パウロ自身がこう告白しています。

あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(1コリ2:3)

その結果、

私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。」(1コリ2:4)

と言います。

パウロが学んだこと、それは、

私が弱いときにこそ、私は強い」(2コリ12:10)

ということだと言います。

主の力は弱さの内に現れます。

使徒 17章

「エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していたが、ある者たちは「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言い、ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。」(17:18)

エピクロス派は、神がたとえ存在していたとしても、遠い存在で、私たち人間とは関係がない存在と考えました。

その結果、自らの幸福の追求こそが、人生の目的と考え、波風を起こすようなものは極力避けるようにと教えました。

これに対しストア派は、基本的に汎神論で、「神」と「世界」は事実上同じことと捉えました。

自然の秩序と調和して生きる、目の前のことに一喜一憂せずに、自然の流れに従うようにと説きました。

28節の言葉はそんなストア派の哲学者の言葉です。

パウロが説いたのはエピクロス派の教えでもストア派の教えではありません。

イエス・キリストの復活です。よみがえられたキリストに希望があります。

使徒 16章

「さて、祈り場に行く途中のことであった。」(16:16)

パウロたちが向かおうとしていた「祈り場」は、ルデヤが導かれた川岸の「祈り場」です。

しかし、パウロたちが実際に行った「祈り場」は「真夜中の牢獄」(25節)でした。

ライト教授は、

「イエスに従う者は、世界が苦しんでいる場所で祈りの民となるように召されています。」

と言います。

「世界が苦しんでいる場所」、まさに真夜中の牢獄の中で、パウロたちがそうであったように、祈りつつ、神を賛美する歌を歌う、これが、キリスト者のあるべき姿だと言うのです。

聖書が私たちに教えている真理の一つは、「祈り場」に奇跡が起こるということです。

川岸の「祈り場」でルデヤが信仰を持ったように、真夜中の「祈り場」で地震が起こり、看守とその家族が信仰を持ちました。

神は「祈り場」を用いて御業を行われます。

力は神のものですが、祈りの特権がキリストを信じる者たちに与えられています。

オープンチャーチ、、、

新型コロナの影響でオープンチャーチを自粛してはや三度目の秋。

教会としての伝道活動が制限される中で、日本では教職者の高齢化問題も加わり閉鎖する教会が相次いでいます。

建物がなくなってゆく現実は寂しさとつらさを感じつつも、「建物=教会ではない」ということを再認識させられます。

私たち一人一人が「教会」であるということを普段意識して生活しているでしょうか。

教会は天と地がつながる場所であり、神様の御心が行われる場所。

それは神の神殿である私たちを通して聖霊様の働きにより広げられていくのだと思います。

神様の素晴らしさ、イエス様の十字架と贖い、聖霊様の助けを伝えることができればと願います。

それぞれ遣わされている場所があり、あなたが伝えるのを待っている人がいるとしたら?あなたにしか伝えられない人がいることに気付くことができればと願います。

3日はそのようなリトリートの時間となればと思います。

思い切り賛美を捧げ、聖書のメッセージに耳を傾け、宣教への想いを新たにしていきたいと祈りつつ準備していますのでみなさん是非是非ご参加ください!!!!

(小山晶子牧師夫人)

使徒 15章

「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」(15:11)

使徒15章は、使徒たちと長老たちが集まって協議した(6節)エルサレム会議です。

初代教会はモーセの律法を救いの条件とする保守的なグループと、異邦人に対してモーセの律法を救いの条件としない革新的なグループとに二分していました。

最終的には、15節以下にあるように聖書的根拠をもって、

異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。」(19節)

ということとなりましたが、保守層への配慮も加えられます(20節)。

「多くの論争があった後」(7節)とありますが、論争の原因は、神の恵みを忘れてしまうことから起こるのだと思います。

だから、ペテロは人々に思い起こさせました。

わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(共)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

使徒 14章

「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」(14:3)

イコニオン(今のトルコ内陸の主要都市)という場所で、

二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じた」(1節)

と言います。

ところが、

神のことばを軽んじるユダヤ人たちは、根も葉もないことで二人を中傷し、人々の不信をかき立てました」(2節LB)。

福音が前進する時、内外に迫害があることも覚悟する必要があります。

ですから、パウロとバルナバの姿に私たちは学ぶ必要があります。

それにもかかわらず、二人は長い間そこに滞在し、大胆に宣教を続けたのです。主は、すばらしい奇跡を行わせ、二人のことばが真実であることを証明なさいました。」(3節LB)

主によって大胆に福音を語り続けること、そのことを通して神の恵みが証しされます。

使徒 13章

「ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。」(13:36)

ダビデは、彼の生きたその時代の文脈で神のみこころに仕えました。

神がダビデをその時代に誕生させ、その場所に置かれたのは偶然ではありません。

ダビデは彼が召されたことを成し遂げました。

私たちは皆、それぞれ独特な時代の文脈で神のみこころに仕えるように召されています。

神のみこころは、永遠であり、変わることはありません。

しかし、「彼の生きた時代に」という部分は変化します。

私たちは聖書的であると同時に、現代的である必要があります。

その時代、その時代のやり方があります。

真理を妥協することなく、今を生き、明日に向かって備える必要があります。

聖書は言います。

ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。」(エペソ5:17)

使徒 12章

「すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。」(12:23)

新約聖書には何人もヘロデが登場します。

クリスマスに出てくるヘロデ大王。

そして、イエス様の裁判の時に登場する、ガリラヤ地方の為政者だったヘロデ・アンティパス。

ここに出てくるヘロデはヘロデ大王の孫にあたるヘロデ・アグリッパ一世です。

彼の父はヘロデ大王とハスモン家のマリアンメとの間に生まれたアリストブロス。

アリストブロスは紀元前七年に処刑されます。

それで彼は幼少の頃よりローマに送られ、育ったため、ローマ皇帝や高官たちと関係がありました。

人々はそんな彼を称賛しました。

「集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。」(22節)

と。

しかし、

「彼は虫に食われて、息絶えた。」

と言います。

その理由は

「神に栄光を帰さなかったから」。

すべての栄光は神のものです。

聖なる畏れは大切です。

使徒 11章

「ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。」(11:20)

ユダヤ人たちは、

ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。」(19節)

とあります。

ユダヤ人以外の人たちと一緒に食事をしたことで、使徒ペテロが非難されたことを知っていたからかもしれません。(3節)

しかし、そんなユダヤ主義の壁がユダヤ人以外の人たちによって破れます。

「キプロス人とクレネ人」がユダヤ人以外の人たちに、「主イエスの福音を宣べ伝えた」のです。

神は予期せぬ人たちを用いて、福音を広げられることを私たちは知る必要があります。

そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。」(21節)

このようにして民族宗教の枠を超えました。

弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(26節)