1サムエル 19:8-17

「サウルは槍でダビデを壁に突き刺そうとした。ダビデがサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難を逃れた。」(19:10)

槍が投げられたらどうすればいいのか。

ダビデは逃げました。

このような内容は問題をただ回避しているような感じがして、納得がいかない人もいると思います。

しかし、ジーン・エドワーズの「砕かれた心の輝き」(三人の王の物語)という本の中にこんなことが書いてあります。

「あなたは、悪いサウル王に目を注いでいる。(中略)注意した方がいい。というのは、神はもう一人のサウル王にも鋭い視線を注いでおられるからだ。それは、あなたに槍を投げようと、あなたのそばに立っている人のことではない。・・・神はあなたの中にいるサウル王を見ておられる。」

神は私たちの心に潜むサウル王のような気質を取り扱うことに関心を持っておられます。

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

1サムエル 19:1-7

「サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」(19:1)

サウル王は、今までは内密にダビデを殺そうとしていましたが、公に殺害することを告げました。

サウル王の息子ヨナタンは父の命令に従いダビデを殺す手伝いをすることもできましたが、ダビデを助けました。

その理由を聖書は、ヨナタンがダビデを非常に愛していたからだと言います。

LBでは「深い友情で結ばれていた」と訳しています。

キリスト者もヨナタンのように和解の務めがあります。

こういうわけで、私たちはキリストの大使です。神様が、私たちの口を通して語りかけてくださるのです。キリストが懇願しておられるかのように、キリストに代わって、あなたがたにお願いします。どうか、差し出された愛を拒まず、神様と和解してください。」(2コリント5:20LB)

1サムエル 18:17-30

「サウルは、主がダビデとともにおられ、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを見、また知った。」(18:30)

サウル王がダビデを妬み、殺そうとすればするほど、ダビデは成功していきました。

サウル王の動機がどんなに悪意に満ちていても、神はそれらをダビデの成功へと導くものとしました。

サウル王はそのことを見ただけでなく、「知った」、すなわち体験したと言います。

その結果、残念ながらサウル王は、

ますますダビデを恐れるようになりました。それで、以前にも増して激しくダビデを憎むようになっていったのです。」(29節LB)

サウル王は、自分の罪を悔い改めて、神を恐れ、ダビデを認めるべきだったと思います。

神に反抗しても何もいいことはありません。

誰かを妬むのではなく、主の前にへりくだり、膝を屈めることができますように。

1サムエル 18:10-16

「サウルはダビデを恐れた。それは、主がダビデとともにおられ、サウルを離れ去られたからである。」(18:12)

サウル王がダビデに槍を投げた理由は、悪霊の影響でもありますが、恐れからだと言います。

人は恐れる相手を攻撃しようとします。

サウル王はダビデが戦いで死ぬことを期待して、悪意から指揮官に任命しました。

しかし、聖書は言います。

「主が彼とともにおられたので、ダビデは、行くところどこででも勝利を収めた。」(14節)

逆境は神が共におられることを示す時となりました。

ヨセフも兄たちから嫌がらせを受け、エジプトに奴隷として売られました。

数々の逆境も、神が彼と共にいることを証明するものとなりました。

やがてヨセフはエジプトの首相となり、自分を貶めた兄たちに言います。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)

1サムエル 18:1-9

「その日以来、サウルはダビデに目をつけるようになった。」(18:9)

サウル王は、何よりも民の意見を重んじていました。

その結果、ダビデの方が自分よりも評判が良いことに腹を立てます。

この時から、王の目は、ねたみを帯びてダビデに注がれるようになりました。」(LB)

つまり、サウル王はこの時からダビデと自分を比較して生きるようになってしまったのです。

比較の人生に平安はありません。

神は私たち一人一人をユニークに造られました。

一人一人に与えられている賜物も違えば、使命も違います。

私たちは皆、自分一人で完結するように造られていません。

互いに助けあって完結するように造られています。

私たちが比較している人の長所が、私たちの短所かもしれませんが、私たちの長所がその人の短所かもしれません。

私たちはねたみに縛られて自分を悲観したり、相手にかみついたりするのではなく、補完し合うことが大切です。

互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」(ガラテヤ6:2)