詩篇 57:7-11

「神よ私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。私のたましいよ目を覚ませ。琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。主よ私は国々の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。」(57:7-9)

神は礼拝者を捜しておられます。イエス様も言われました。

「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」(ヨハネ4:23新改訳二〇一七)

それは、ダビデのように、気分が良くても悪くても、心を揺るがすことなく、主をほめたたえ、礼拝する者です。個人的にだけでなく、国々の間でとあるように、公共の場でも堂々と主の御名をあがめることです。なぜなら、

「あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(10節新改訳二〇一七)

詩篇 57:1-6

「私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。」(57:2)

誰に呼び求めるかはとても大事なことです。私たちが呼び求めるお方は、いと高き方、神です。力ある偉大なる創造主です。「光あれ」と言われ、光を創造されたお方です。このお方は、キリストを信じる者に関わってくださり、すべてを成し遂げてくださいます。聖書は言います。

「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(ピリピ1:6新共同訳)

神は私たちに始められた善い業を成し遂げるために必要なすべても備えてくださっています。ですから、この神を信頼して、

「わたしをあわれんでください」

と呼び求め、

「滅びが過ぎ去るまで御翼の陰に身を避け」(1節新改訳二〇一七)

ていきましょう。

「私は、天におられる神、奇跡を行ってくださる神に叫びます。」(LB)

詩篇 56:1-13

「神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。」(56:4)

「みことばを、ほめたたえます。」というのは、聖書が礼拝の対象という意味ではなく、聖書のみことば、特に神の約束のゆえに、神をほめたたえるという意味です。私たちの信仰の土台は、聖書のみことば、神の約束です。感情ではなく、聖書のみことばが何と言っているかを優先させます。「肉なる者」という日本語は一般的ではありませんが、人のはかなさを象徴しています。預言者イザヤは、こう表現しています。

「すべての人(肉なる者)は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。」(イザヤ40:6,7)

ダビデは大変な状況、大変な問題に直面してきましたが、この視点をもっていたので、乗り越えることができたことを心に留めたいと思います。

箴言 11:9-18

「直ぐな人の祝福によって、町は高く上げられ、悪しき者の口によって、破壊される。」(11:11)

私たちの人生は、自分の家族や自分のコミュニティだけでなく、自分の町、自分の国にも影響を与えます。11節をリビングバイブルではこう訳しています。

「神を信じる市民が良い影響を与えているうちは町は栄え、悪者たちによって道徳が腐敗すると、町はたちまち衰えます。」

具体的に箴言が教えることは、

「人を中傷して回る者」(12節)は愚かであり、「賢い人は不必要なことは話しません」(LB)と言います。もちろん、それは今話題のSNSも含まれると思いますが、

「信頼できる人はうわさ話を口にしません。」(13節LB)

いずれにせよ、

「人に親切にすると心が豊かになり、思いやりのないことをすると気持ちがすさみます。」(17節LB)

「悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。」(18節LB)

ふつうじゃない日々⑦ 

教会のジャスミンが満開になりました。香りが強く、ほんの1,2本花瓶にさしてみると部屋中にジャスミンの香りが満ちています。教会横の道路側にある花壇も、これでもか、というくらい花が咲き誇っています。便利なものや物欲が取り去られていったとき、私たちの心を満たし、なごませてくれるものは神様から与えられた一般恩寵なのだなあと今更ながら感じる日々です。無機質な画面から流れてれてくるものをいくら眺めても、それは決して私たちの心を引き上げてはくれません。でも外に出て空を見上げ、川の流れに耳を澄まし、木々や草花が風に揺れるささやくような音をききながら小さな生き物に目を留める時、その一つ一つのあまりにも素晴らしい調和に驚きの連続です。なんて美しい世界に生かされているんだろう。人間の活動が制限され、本来の自然を取り戻しつつある場所。そんな話を耳にすると悪いことばかりではないなあと思うのです。このゴールデンウイークは、神様の芸術に目を留めることを楽しんでみてはいかがでしょうか。    (小山晶子牧師婦人)

詩篇 55:12-23

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(55:22)

この詩は、ダビデが、彼の息子、アブシャロムに反乱を起こされたときに書いたと言われます。彼の側近であったアヒトフェルが、この時、彼に敵対しました。ダビデにとって、息子だけでなく、側近の反乱は、精神的にもショックだったと思われます。しかし、そんな状況の中で、彼は立ち止まり、言います。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」

神に重荷をおゆだねする時、平安が来ます。ですから、預言者イザヤもこう言います。

「主を信頼し、いつも主のことに思いをはせる者を、主は何の心配もないように守ってくださいます。どんなときでも、神である主に信頼しなさい。あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。」(イザヤ26:3,4LB)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の対応 (5/2更新)

新型コロナウイルスの爆発的感染拡大を防ぐため、緊急事態宣言の期間、ステイホーム週間に協力し、続けて以下のような対策をとらせていただきます。

1.主日礼拝は、第二礼拝(10時半)のみYouTubeのライブ配信でおこないます。
・第一(9時)、第三(18時)礼拝はお休みします。
・インターネット環境がない方には、DVDを配布します。

2. 献金は礼拝の一部であり、みことばへの応答と献身を意味します。重要ですので教会は以下の対策をとります。
1) 郵便振替
加入者名:栄シャローム福音教会 / 口座番号:00250-0-7655
振替用紙が必要な方はお知らせください。
振替用紙を使用される方は、直接、種別(什一、礼拝、イースター特別、感謝など)をご記入ください。
2) 教会の銀行口座への振り込み
三井住友銀行 店番号346 藤沢支店 普通 口座番号 1951775 栄シャローム福音教会
※ 銀行口座に振り込む場合は、種別(什一、礼拝、イースター特別、感謝など)を教会のメールアドレス(sakaeshalom@jcom.zaq.ne.jp)にお知らせください。
※ ご質問等ございましたら、お知らせください。
「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

3.祈祷会(金曜日)はYouTubeのライブ配信を致します。
・祈祷課題をできるかぎり木曜日までに、教会にお知らせください。共に祈りましょう!

4.平日の集会、ビブリオン(聖書の学び会)は、今しばらくお休みします。

教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。
新型コロナウイルスからの解放のための祈り
(https://www.24-7prayer.com/downloads/coronavirus%20prayer%20japanese.pdf)
を祈り続けましょう。
「手を洗おう。家にいよう。」冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。神様の守りと助けをお祈りしています。
カレンダーを郵送していますが、今後の状況を見極めての活動となりますのでご了承ください。
※ 今後も、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebookで、随時お知らせします。YouTubeのチャンネル登録、出席票のご記入をお願いします。

詩篇 55:1-11

「主よ彼らの舌を混乱させ分裂させてください。私はこの都の中に暴虐と争いを見ています。」(55:9)

残念ながら、私たちが生きる都市の中に、悪の力が働いているのを見ます。詩人は言います。

「ああ私に鳩のように翼があったなら。飛び去って休むことができたなら。ああどこか遠くへ逃れ去り荒野の中に宿りたい。嵐と疾風を避けて私の逃れ場に急ぎたい。」(55:6-8)

どこか安全な場所に逃避したいという誘惑は理解できるのではないでしょうか。しかし、私たちは、逃げずに、悪に立ち向かわなければなりません。聖書は言います。

「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)

ダビデは、主の介入を祈り求めています。祈りは善をもって悪に打ち勝つために、不可欠です。祈りの手を挙げ続けましょう!

詩篇 54:1-7

「まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。」(54:4)

どんな時でも、どんな状況でも、神が自分を助ける方であることを告白することは大切なことです。「まことに」と訳された言葉は、一般的に「見よ」と訳される言葉です。聖書は、問題に目を向けるのではなく、私たちを助け、支えてくださる神を見るように訴えます。神に目を向けることができるのならば、最後には、詩人と共に賛美することができます。

「わたしは今、神を礼拝する準備ができています。とても準備ができています。神様、ありがとう。あなたはとても良いお方です。」(6節MSG)

神に目を向ける時、私たちの嘆きは確信に変わります。私たちは孤軍奮闘しているわけではありません。神を見上げるならば、神が私たちと共におられ、私たちを助け、支えてくださっていることを知ることができます。