箴言 10:11-20

「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」(10:12)

私たちの人生を破壊するのは憎しみの力です。ハ・ヨンジョ先生はこのようなことを言いました。

「サタンは私たちに憎しみと怒りを植えることによってこの世を地獄にしようとし、神様は私たちの心に愛と赦しを植えてこの世を天国にしようとしている。」

神の御子イエス・キリストは、不当にも訴えられ、嘲られ、十字架につけられました。憎しみを抱いたとしても、決して不思議な状況ではありませんでした。しかし、こう言われました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

憎しみは憎しみを生み、憎しみの連鎖はこの世を地獄にするだけです。イエス・キリストの十字架と復活は、まさに、この憎しみの連鎖を打ち破るためでした。神の愛はこの世を天国へと変えます。

詩篇 49:1-20

「たましいの贖いの代価は高く永久にあきらめなくてはならない。」(49:8)

この世の人生が終わる時、イエス・キリストの十字架の贖いの御業のゆえに、神は私を受け入れてくださいます。

「たましいは余りにも高価なので、この世の富をいくら積んでも買い戻せません。」(8節LB)

しかし、キリストは私たちの身代わりとなって十字架にかかられ

「完済した!」

とおっしゃられました。ですから、キリストを信じるだけで神が受け入れてくださいます。神のひとり子という贖いの代価は、人間の努力では決して払えるものではありません。ですから、使徒ペテロも言います。

「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18,19)

キリストの尊い血潮のゆえに神に受け入れていただいていることを認識し、感謝できますように。

詩篇 48:9-14

「神よ。私たちは、あなたの宮の中で、あなたの恵みを思い巡らしました。」(48:9)

私たちは日常の生活の中で、不安や恐れを思い巡らすことはよくあると思います。しかし、神の恵みを思い巡らすことはなかなかないのではないでしょうか。「神の宮」とは、神がおられる場所です。もちろん、教会を意味すると思いますが、このように教会堂に集まることが出来ない状況で、日々の祈りの場所と理解できると思います。大事なことは神の恵みを数えることです。宗教改革の指導者の一人カルヴァンは、歩く総合病院のような人だったそうです。二五種類ほどの病気をもっていて、体が痛くて夜も眠れなかったそうです。眠れないので祈るしかなく、祈るとインスピレーションをいただき、深い霊性の本を書くことができたと言います。苦痛の中にあっても、神の恵みを思い巡らす時、神の恩寵の世界が必ず開かれます。

ふつうじゃない日々⑤  

ご存知の方もいると思いますが、わたしは決まった行動パターンを守らないと落ち着かない、という特性を持っています。それが特に顕著なのがマレッジタイム(夫婦で過ごす時間)における行動パターンです。みなとみらいに行き、何を買うでもなく、同じ道、同じ店を通って帰る、というもの。それを外れてしまうと非常に心地が悪く頭が混乱してしまうのです。夫はどちらかというと新たなものを開拓し、
柔軟に対処できる人なので、何年も同じパターンを繰り返す私と一緒に行動することはとても忍耐のいることだと思うのですが、このことを理解して一緒に歩いてくれます。思いがけず家族で家にいる時間が増え、ストレスを抱えている方もいるかもしれませんが、「あの時間がなかったら今の良い関係はなかったね。」といえるような、それぞれの家族にとっての今後につながる関係構築の時間になることを祈ります。

箴言17章1節には

「一切れのかわいたパンがあって、
平和であるのは
ごちそうと争いに満ちた家にまさる」

とあります。(小山晶子牧師婦人)

詩篇 48:1-8

「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。」(48:1)

聖書の神は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方です。

「どれほどことばを連ねても、たたえ尽くせません。」(LB)

この偉大なお方、

「神ご自身が、エルサレムの守りに就きます。」(3節LB)

と言います。エルサレムに住むことが幸いと言うよりも、神がエルサレムに住まわれることが幸いと言うことです。偉大な神は、住まわれる神です。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)

子なる神イエス・キリストは、私たちの間に住まわれています。そして、聖霊なる神は私たち一人一人の内に住まわれています。

「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(ローマ8:26)

今日は主の日。共に三位一体なる神をほめたたえましょう。

箴言 10:1-10

「不義によって得た財宝は役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。」(10:2)

十章からは「ソロモンの箴言」とありますが、テーマに沿ってと言うよりは、ランダムに箴言が収集されています。それぞれ、選択肢は明確です。

知恵か愚かさか、

善か悪か、

いのちか死か。

選ぶの私たちであり、それに伴う結果があります。

2節をLBは、こう訳しています。

「悪いことをしてもうけた金はすぐになくなります。どこまでも正しく生きることが幸福のかぎです。」

その理由は3節にあります。

「正しく生きている人を、主は飢えさせません。悪人は、せっかくもうけた金を主に取り上げられます。」(LB)

神はご覧になっておられます。ですから、たとえ今、悪人がもうけているように見えたとしても、主に信頼し、正しく生きるように心がけましょう。主は必ず祝福してくださいます。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会の対応 (4/17更新)

新型コロナウイルスの爆発的感染拡大を防ぐため、来月6日までの緊急事態宣言の期間、協力して続けて以下のような対策をとらせていただきます。

主日礼拝は、第二礼拝(10時半)のみYouTubeのライブ配信でおこないます。

・第一(9時)、第三(18時)礼拝はお休みします。

・インターネット環境がない方には、DVDを配布します。

l  献金は礼拝の一部であり、みことばへの応答と献身を意味します。重要ですので教会は以下の対策をとります。

1.郵便振替

加入者名:栄シャローム福音教会 / 口座番号:00250-0-7655

振替用紙が必要な方はお知らせください。

振替用紙を使用される方は、直接、種別(什一、礼拝、イースター特別、感謝など)をご記入ください。

2.教会の銀行口座への振り込み

三井住友銀行 店番号346 藤沢支店 普通 口座番号 1951775 栄シャローム福音教会

※ 銀行口座に振り込む場合は、種別(什一、礼拝、イースター特別、感謝など)を教会のメールアドレス(sakaeshalom@jcom.zaq.ne.jp)にお知らせください。

※ ご質問等ございましたら、お知らせください。

「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

祈祷会(金曜日)はYouTubeのライブ配信を致します。

・祈祷課題を教会にお知らせください。お祈りします。

平日の集会、ビブリオン(聖書の学び会)は、今しばらくお休みします。

教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。

新型コロナウイルスからの解放のための祈り

(https://www.24-7prayer.com/downloads/coronavirus%20prayer%20japanese.pdf)

を祈り続けましょう。

冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。神様の守りと助けをお祈りしています。

※ 今後も、教会のホームページ(sakaeshalom.org)、Facebookで、随時お知らせします。YouTubeはチャンネル登録をお願いします。

詩篇 47:1-9

「まことに神は全地の王。巧みな歌でほめ歌を歌え。」(47:7)

イスラエルの神は全地の王です。王が意味することは、次節にあるように、

「神は国々を統べ治めておられる。」

ということです。人々は自己中心的な統治者たちに疲れ果てていました。人々の願いは、神(ヤハウェ)ご自身が統べ治めること、王となられることでした。イザヤ書にこうあります。

「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。」(イザヤ52:7)

イエス・キリストが十字架にかかられた時、この預言が成就しました。神は神の御子が十字架にかかり死ぬことを通して王となりました。復活は罪と死の支配が打ち破られたことを証明しました。神を王としてほめ歌を歌うことは、神の御国をこの地に現す大切な方法です。

詩篇 46:1-11

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(46:10)

「やめよ」と訳された単語を、口語訳は「静まって」、新共同訳は「力を捨てよ」と訳しました。「戦うのをやめなさい」(TEV)と訳しているものもあります。いずれにせよ、私たちは日常を離れて、神を見上げる時間が必要です。いろいろな不安をやめる時間が必要です。日常のノイズから離れて静まる時間が必要です。一生懸命がんばっていることをストップする時間が必要です。そして、神が神であることを認める時間が必要です。自分を中心にして世界が回っているのではないことを認める時間が必要です。天地万物を造られ、支配されている神が生きていることを認める時間が必要です。

詩篇 45:10-17

「そうすれば王はあなたの美しさを慕うだろう。彼こそあなたの主。彼の前にひれ伏せ。」(45:11)

初代教会は、キリストと教会の関係を今日の詩篇に見るような花婿と花嫁の関係で理解してきました。キリストは教会を愛され、教会はキリストを主としてひれ伏します。それでは、キリストが慕う教会の美しさとは何のことでしょうか?それは自然の美しさ、外見の美しさということではないようです。

「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7)

と聖書は言うからです。実際、教会の歴史も、残念ながら決して美しいとは呼べないものです。それでもなおキリストが美しいと慕うのはどうしてでしょうか?それは、

「神がご自分の血をもって買い取られた」(使徒20:28)

からということもあると思います。

「栄光の望み」(コロサイ1:27)

聖霊が働かれているということもあると思います。驚くばかりの恵みであることには間違いありません。