詩篇 31:9-18

「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は、御手の中にあります。」(31:14,15)

ダビデは苦しみの中にありました。ダビデは言います。

「まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました。」(10節)

しかし、ダビデはそのような苦しみの中、

「捨て身で、私自身をあなたに投げます。」(MSG)

そして、言います。

「あなただけが私の神です。私の時はあなたの手の中にあります。」(LB)

新型コロナウイルスの影響がまだ収束しませんが、私たちは、主こそ神であることを認め、告白しようではないでしょうか。すべては神の御手の中にあることを認め、委ねようではないでしょうか。主は恵みによって、ご自身の信実によって私たちを救ってくださいます。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 31:1-8

「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を助け出してください。」(1節)

ダビデは告白します。

「主よ、あなただけが頼りです。どうか敵の横暴から私を守ってください。」(1節LB)

生きていく中で、神だけが頼りであることに気が付くことができるならば希望があります。使徒パウロもそうだったからです。
「自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。…やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。これからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。」(2コリント1:9,10LB)

神のもとに来る人を、神はがっかりさせることはありません。

「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」(箴言18:10)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会のガイドライン

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する栄シャローム福音教会のガイドライン

36日更新)

 

 

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、さらに1、2週間程度の自粛が要請されていることを考慮し、以下のような対策をとらせていただきます。

 

1.主日礼拝はおこないます。

・のどの痛み、咳、発熱(37.3度以上)など風邪症状のある体調のすぐれない方、遠方から公共機関を使用して来られる方は控えていただきたいと思います。

 

・主日礼拝は、YouTubeのライブ配信を致します。また、インターネット環境がない希望者には、DVDを配布します。

 

・教会堂に入る人は、あらかじめマスクの着用をお願いします。入口のアルコール消毒液で手を消毒するようにお願いします。握手は控えてください。帰る前に、手洗い、消毒をお願いします。

 

 

2.主日礼拝以外の3月中の集会は中止します。

 

・重症化しやすい高齢者、基礎疾患のある方、妊婦の方への配慮として、平日の集会(ビブリオン、祈祷会)は中止します。

 

・3月20日に予定していたユース・イベントも中止します。

 

・祈祷会(金曜日)はYouTubeのライブ配信を致します。

 

 

教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。

冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。

詩篇 30:8-12

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」(30:11)

神は私たちの人生を良い方に変えてくださるお方です。ダビデは叫びました。

「主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。」(8節)

「聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。」(10節)

神はダビデの叫びに答えてくださいました。ヤベツもまさに、そのことを体験した人の一人でした。

「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」

主を呼び求める者に、主は答えてくださいます。そして、

「十分に感謝することはできない」(12節MSG)

と言うようになります。

箴言 6:20-29

「それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。」(6:21)

箴言には姦淫に対する忠告が多く出てきます。結婚生活を破綻に導くだけでなく、人生をおかしくしてしまうからです。聖書はその問題は、「心」からはじまると言います。「夢想」(25節MSG)することからはじまると。ですから、イエス様も忠告されました。

「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)

姦淫は何もないところからは始まりません。不誠実さは心から始まります。ですから、聖書は言います。

「健全なアドバイスは灯台。

良い教えは光。

道徳訓練は人生の道。」(23節MSG)

これらの知恵の言葉を私たちの心に結びつけることが大事なことです。日々、誰のことばに耳を傾けるかが問われています。

※ 本日のSSCのビブリオンは、新型コロナウィルス対策のためにお休みします。各自、自宅で聖書を読み、お祈りください。
また、明日の祈祷会も教会のYOUTUBEでライブ配信をします。祈祷課題をお知らせください。
一日も早く新型コロナウィルスが収束しますように、共に、祈っていきたいと思います。

詩篇 30:1-7

「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(30:5)

ダビデが確信をもって「朝明けには喜びの叫びがある」と告白することが出来た理由は、神の御業を思い起こしたからでした。

「私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」(2,3節)

神は私たちの叫びを聞かれ、私たちの人生に驚くような御業をなされます。ですから、ダビデがそうしたように主に祈り求めましょう。主は癒してくださいます。聖書は言います。

「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」(ヤコブ4:2)

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)

詩篇 29:1-11

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」(29:11)

「主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。」(4節)とダビデは言います。今、私たちはこの力強く、権威がある神の御声を、聖書を読むことを通して聞くことができます。神の御言葉に力がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは力を受けることができます。神の御言葉に権威がありますから、聖書を読むことを通して、私たちは祝福を受けることができます。ですから、毎日、聖書を読み、神の御声を聞くことは信仰生活を歩む中で重要です。イエス様も言われました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)日々の糧を疎かにするならば、人は力を失います。同じように、神の御言葉を日々いただくことを疎かにするならば、私たちの霊性も力を失っていきます。

詩篇 28:1-9

「ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。」(28:6)

聖書の神は、私たちの祈りを聞かれるお方です。私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業をなされるお方です。神は、私たちの祈りを聞かなければならないという意味ではありません。神は神です。しかし、神は私たちの祈りを聞かれることを選ばれます。ただし、ダビデが「どうか私に耳を閉じないでください」(1節)「私に沈黙しないでください」(新改訳二〇一七)と訴えたように、時には、聞いておられないのではと思うことがあります。ダビデも、周りの状況を見る時に、そう思わずにはいられませんでした。しかし、主を見上げる中で、ダビデの視点は変えられます。「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」(7節)

卒業式も

新型コロナウイルスの影響を受け、次男の高校の卒業式に親は出席できなくなりました。現段階では卒業式そのものがなくなってしまうかどうかははっきりしませんが、いずれにせよ日本中に影響が出ています。正体がわからないがゆえの不安が、日本のみならず世界中を覆っているような気がします。数年前に肺炎を患った身としては、とにかくあの辛さを皆さんには体験させたくない、そんな思いでいっぱいです。こんな落ち着かない日々だからこそ、私たちが何に価値を置いて生きているのかがあらわにされるのだと思います。もちろん、情報は必要ですし大切です。でもこんな時だからこそ、私たちは自分が「生かされている」「すべては与えられた恵みである」ことを認める必要があるのだと思います。目に見えないウイルスを恐れ、心を奪われるのではなく、目には見えなくとも私たちを愛し、守ってくださり、今日まで支えてくださっている神様に心を向けたいと思います。大丈夫です。

『安かれ。我なり。恐るな。』

きょうもイエス様はあなたと共におられますから。

(小山晶子牧師婦人)

箴言 6:12-19

「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。」(6:16)

この箇所には、神の憎む行いが具体的に記されています。それをLBではこのように訳しています。

「神の嫌いなものが六つ、いいえ七つあります。高慢な態度、うそをつくこと、人殺し、悪だくみ、悪事に熱中すること、偽証、仲たがいの種をまくことです。」

意識してこれらのことを行っているならば明らかに問題です。しかし、たとえ無意識であったとしても主が憎むものであることに変わりはありません。自分は正しいと思っている時こそ、自分の不完全さや足りなさを忘れ、高慢な態度になっているかもしれません。これらの罪は大きなダメージを与えます。たとえば、「仲たがいの種をまくこと」によってどれだけ多くのコミュニティが傷ついてきたことでしょうか。私たちは祈りをもって主に立ち返り、赦しを求める必要があります。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。