詩篇 28:1-9

「ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。」(28:6)

聖書の神は、私たちの祈りを聞かれるお方です。私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業をなされるお方です。神は、私たちの祈りを聞かなければならないという意味ではありません。神は神です。しかし、神は私たちの祈りを聞かれることを選ばれます。ただし、ダビデが「どうか私に耳を閉じないでください」(1節)「私に沈黙しないでください」(新改訳二〇一七)と訴えたように、時には、聞いておられないのではと思うことがあります。ダビデも、周りの状況を見る時に、そう思わずにはいられませんでした。しかし、主を見上げる中で、ダビデの視点は変えられます。「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」(7節)

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