マタイ2:19-3:17

「ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。」(3章15節)

イエス・キリストが水のバプテスマ(洗礼)を受けられたことに関して、学者たちは様々な憶測をします。なぜなら、バプテスマのヨハネは「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けています」(11節)と言いましたが、イエス様は罪がないのに悔い改める必要があったのかと。しかし、イエス様が水のバプテスマを受けられたのはご自分の罪のためではなく、「すべての義を成就(完成)するため」(直訳)でした。

マタイ2:1-18

「そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、」(14節)

イエス様の時代に、エジプトのアレキサンドリアにユダヤ人共同体が存在していたことは周知の事実です。ディアスポラと呼ばれる離散ユダヤ人共同体とイエス様の接点をほのめかしているようにも感じられます。もっとも15節の「ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。」というマタイの解説は出エジプトの物語が背後にあることをほのめかしています。イエス・キリストがこの地上で成し遂げられたことは出エジプトであると。私たちを解放するためであると。

マタイ1:1-25

「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」(1節)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。心機一転、今年は、新約聖書を共に旅していきたいと思います。新約聖書を読み始める上での最初の難関は系図です。もっともこのイエス様の系図は普通ではありません。女性や外国人や道徳的に問題がある人が含まれています。この系図に、神の愛の大きさを垣間見ることができます。また、イエス・キリストはアブラハムとダビデの子孫であることは重要なポイントです。なぜなら、神はアブラハムとその子孫と契約を結びました。(創世記十五章)聖書が約束したメシア(キリスト)はダビデの子孫とあるからです。(イザヤ書十一章)