詩篇 94篇

「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」(19節)

  LBでは、この箇所をこう訳しています。

「神様、何もかも信じられなくなって動揺している時、どうか私の気持ちを静め、新しい希望を与え、快活さを取り戻させてください。」

私たちは、いろいろなことで動揺したりします。ここでは、詩人は神を恐れないで悪いことをしている人たちが何の問題もなく生きていることに疑問を感じ動揺しています。しかし彼は理解できないことでなく、知っていることに目を留めました。

「耳と目をお造りになった神様が、なんで耳が聞こえず目が見えないものか。」(9節LB)

私たちに分からなくても、主は知っておられます。

「まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。」(14節)

「主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。」

詩篇 93篇

「主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはありません。」(1節)

 「御国が来ますように」と、クリスチャンは祈りますが、「御国」とは、「王国」、「王の支配」という意味です。王はもちろん、イエス・キリストです。イエス様の十字架に掲げられた罪状は、「ユダヤ人の王」でした。十字架と復活は、まさに、キリストにある王の支配がこの地上で始まったことを意味します。ですから、「御国が来ますように」という意味は、「神の主権を認めます」「神の統治を認めます」という意味です。もちろん、私たち人間が認めようと認めまいと、神はすでに王であり、すべてを治めておられます。しかし、完全な支配はまだ施行されていません。神様は人間の自由意志を尊重されておられるからです。しかし、神の主権を認めて、万事感謝と生きる人生は、神の永遠の御国にすでに生きています。

詩篇 92篇

「主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。」(1,2節)

  私たちが生きていく中で何が良いことなのでしょうか?この箇所ではっきりと私たちに教えられている良いことは、主に感謝することです。すべてのことについて、主に信頼して、主に感謝する人生を歩むことは良いことです。不平不満ばっかり言っている人生よりも、感謝している人生のほうが、良い人生です。いつも神様に感謝することができるように、朝ごとに、そして、夕ごとに、「ハレルヤ!主よ感謝します。」と言って起きる習慣、「ハレルヤ!主よ感謝します。」と言って寝る習慣を身につけることができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。

「主よ、あなたに信頼します。万事感謝と信仰をもって歩めますように。ハレルヤ。主よ感謝します。」

詩篇 91篇

「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」(1節)

  私たちの人生に大きな影響を与えるもの、それは、「恐れ」ではないでしょうか。「恐れるものは何もない」と言っても、問題に翻弄されているならば、ただの強がりでしかありません。この詩は、恐れへの勝利が記されています。

「あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも」(5,6節)

どうやって、そのように恐れに打ち勝つことが出来るのでしょうか?1節に、こう書いてあります。

「全能のお方のふところに住んでいます。」(LB)

全能なる神は、私たちの隠れ場、私たちの苦難の日の砦です。日々神様の御翼の陰に身を置くならば、私たちは何も恐れる必要はありません。

 「全能の神、主よ、あなたのふところに、私を引き寄せてください。」

詩篇 90篇

「あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください」(15節)

 私たちはまず、私たちの神は楽しませてくださる神であることを知る必要があると思います。聖書は言います。

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Ⅰテモテ6:17)

私たちの神はまた、回復の神でもあります。

「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」(ヨエル2:25)

私たちの人生に回復を与え、楽しませてくださる神はこうおっしゃられています。

「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。」(ヨエル2:13,14)

詩篇 89篇

「ほむべきかな。主。とこしえまでも。アーメン。アーメン。」(52節)

 この詩は、イスラエルの民がバビロンに捕囚されていた時に書かれました。イスラエルの人々の悩みの一つは、ダビデの王座は永遠だと神様が約束してくださったはずなのに、ダビデの子孫が今、王座にいないということでした。詩人は、やがてダビデの子孫としてイエス・キリストが永遠の王座につかれるということを理解することはできませんでした。しかし、詩人は理解できないことのゆえに、知っていることを犠牲にすることはしませんでした。この詩の最初と最後は信仰からにじみ出る賛美で始まり、賛美で閉じられています。私たちもまた、理解できないことのゆえに、知っていることを捨てないように気をつけましょう。主は、善い神であり、私たちの砦となってくださるお方であり、身を避ける私たちを知っていてくださるお方です。

「主よ、あなたを信頼します。」

詩篇 88篇

「主、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。」(1,2節)

  メッセージ訳では、「あなたは私のラストチャンス」と訳しています。神様が最後のチャンスだと。そして詩人は、ただ主を祈り求めます。神様は時として、私たちがそのような状況に追い込まれることを許されます。使徒パウロも同じ体験をしました。

「打ちのめされて、もうこれ以上生き延びるのはむりかと思い知らされました。」(8節LB)

彼は、自分の無力さを痛いほど思い知らされたというのです。しかし、それで終わりません。パウロは続けて言います。

「しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神様にお任せしたからです。救い出すことができるのは、神様だけです。」(9節LB)

神様は私たちが神様だけを頼るようにされます。

「神様、あなただけを求めます。」

詩篇 79篇

「私たちの救いの神よ。御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名の
ために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」(9節)

 詩人は、自分が神の助けを受けるにふさわしいものでないという自覚がありま
した。もっとも神の義の前では、誰一人ふさわしい人はいません。すべての人は
神の目には罪人です。ですから、詩人の希望は、神の御名、すなわち、神のご性
質にありました。神のお名前が、「救いの神」であるがゆえに、神のご性質が、
あわれみ深く、恵み深くあられるがゆえに、私たちを助け、救い出し、私たちの
罪をお赦しくださいと祈ることができました。イエス・キリストの十字架を見上
げる時、私たちは、このことを意識する必要があると思います。神の御名の栄光
のために、私たちは助けられ、救い出され、罪赦されたのです。ですから、私た
ちはすべての栄光を神にお返しします。
「イエス様、あなたの十字架の御業を感謝します。」

5月の日曜日 May Sundays

 5日(日)  エペソ4:1-:10 「クリスチャン・ライフ101」 小山英児牧師 

9時(HC)、10時半(HC)、18時(HC)              (HC)=聖餐式

 12日(日) – 母の日- エペソ6章 「家族の和解」 小山晶子牧師夫人

9時、10時半、18時

 19日(日)  ペンテコステ特別礼拝 

9時、10時半 (18時の礼拝は、鶴見でもたれる合同聖会に合流するため休み)

 26日(日)  エペソ4:11 -:16 「脆弱性対策」 小山英児牧師

9時、10時半、18時

詩篇 78篇

「彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。」(7節)

  この詩篇は、イスラエルの歴史が歌われています。歴史は神のストーリー(His-story)です。4節にこう書いてあります。

「この真実の解き明かしを聞いたら、あなたがたもまた、栄光に輝く神様のわざを子孫に説明し、そのめざましい奇蹟を語り伝えて欲しい。」(LB)

私たちは、神様のすばらしい御わざを、自分のうちにだけとどめるのではなく、次から次へと語り伝えるように召されています。

「こうしていけば、各世代の人々は、神様のおきてを守り、神様に希望を見いだし、その栄光に輝く奇蹟を忘れることはないのです。」(7節LB)

神様のすばらしいわざを聞くことを通して、私たちは神様に希望を見出すことが出来ます。次世代に対して私たちが希望をもつためには、次世代の人々が神様に希望を見出すことができるように、神様のすばらしいみわざを私たちが伝えていく責任があります。