pastoreiji の紹介

キリスト教会の牧師をさせていただいています。アメリカのバイブル・カレッジを卒業。アメリカではカルバリーチャペルというグループの教会で同時通訳の奉仕をさせていただいていました。教会の牧師として14年目の時、サバティカルとして立教大学大学院、キリスト教学研究科で博士課程前期課程をさせていただきました。新約学(パウロ研究)をライフワークとして取り組んでいます。

2歴代誌 30章

「あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」(9節)
LBでは、今日の箇所をこのように訳しています。

「神様は、思いやりにあふれたお方ですから、もしあなたがたが立ち返るなら、そっぽをむいたままでおられることは決してありません。」

メッセージ訳では、最後の部分をこう訳しています。

「戻ってきなさい。そうすれば神様はあなたを両腕を広げて歓迎します。」

放蕩息子の帰りを待っていた父親のように、聖書が一貫して伝えている神様のイメージは私たちが立ち返るのを待っておられるお方です。
「しかし、ただ一つの望みが残っています。神様のあわれみは決してすたれない、ということです。(中略)神様の真実は限りなく、その恵みは朝ごとに新しくなります。」(哀歌3:21-23LB)

2歴代誌 29章

「また、彼らは玄関の戸を閉じ、ともしびの火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかったのです。」(7節)
南王国の問題の発端は、いけにえをささげることをやめてしまったことでした。

今、私たちが求められているいけにえとは、動物を捧げることではなく、礼拝を捧げることです。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

神に礼拝を捧げる姿勢は、私たちの人生の生命線です。

なぜなら、人間は神を礼拝するために造られたからです。

神を礼拝することが、人生に意味を与え、それが結果的に良いものを引き寄せます。

すべての良いものは、神から来るからです。

2歴代誌 28章

「アハズは主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って、アッシリヤの王に贈ったが、何の助けにもならなかったのである。」(21節)

ウジヤ、ヨタムの後を継いだアハズ王は、「主の目にかなうことを行なわず」(1節)、「イスラエルの王たちの悪い例にならって、バアルの偶像を拝んだ」(2節LB)結果、シリアに敗れ、北王国に敗れます。榎本師はこう説明します。「ウジヤ、ヨタムが築き上げたユダの国はこの一人の王の不心得によって、たちまち滅亡の一途をたどってしまったのであった。王たる者の責任の重大さを思わせられる。」彼の姿勢は、彼が当時の権力者、アッシリヤ王に贈り物をおくり、助けを求めた点に見出せます。アハズ王がおくった贈り物というのは、神のために捧げられた物でした。つまり、アハズ王は、神よりもアッシリヤ王を信頼したのです。しかし、何の助けにもならないばかりか、見事に裏切られ、そのアッシリヤ帝国に攻め込まれてしまいます。

2歴代誌 27章

「このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」(6節)

ヨタム王は、父ウジヤ王のように、主の目にかなうことを行う王でした。しかも、ウジヤ王のように傲慢になって自分の分を超えることもしませんでした。LBは、

「王は神様の道を踏みはずすまいと注意したので、勢力を増し加えました。」

と訳しています。

「神の道を踏み外すまい」

と注意すること、心に決めることは、私たちの人生の力となります。

 

当時、

「民はなお滅びに向かっていた」(2節)

とあるように、彼の周りには神に背を向け続けている人々がいました。長い物に巻かれることは容易いことです。彼は、注意して、その流れに逆らっても、

「神の道を踏み外すまい」

と生きたと言います。それが、彼の力の秘密であり、彼が勢力を増し加えた秘訣であったことを、私たちは心に留めたいと思います。

2歴代誌 26章

「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿にはいった。」(16節)

ウジヤ王は神を求めた間は栄えました。(5節参照)しかし、力をつけた彼は傲慢になってしまいました。祭司しか認められていない領域に、踏み込んでしまうのです。彼は自分の分を超えてしまったのです。使徒パウロは、こんなことを言います。

「自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」(ローマ12:3新共同訳)

チャレンジ精神も大事ですが、自分の分をわきまえるということも聖書的です。

「主よ。お与えください。チャレンジするべきことはチャレンジする勇気を。わきまえるべきことは謙遜に受け止める冷静さを。そしてそのどちらかを判別する知恵を、主よ、お与えください。」

2歴代誌 25章

「アマツヤは神の人に言った。『では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。』神の人は答えた。『主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。』」(9節)

アマツヤ王は戦いのためにイスラエルの人々を兵隊として百タラントで雇いました。しかし、神の人は、彼らを一緒に戦いに連れて行ってはいけないと言います。アマツヤ王は、それが百タラント(六千万円LB)を無駄にすることを意味したので、

「あの金が惜しい」(LB)

と主張しました。しかし、神の人は言います。

「神には、助ける力があり、つまずかせる力もあるからです。・・・主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」

時に、神は私たちに、より多くのものを与えるために私たちに手放すことを求められます。私たちがもったいないとしがみついているがゆえに、受けることができない、それよりも多くのものがあります。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

2歴代誌 24章

「ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたまことを心に留めず、かえってその子を殺した。その子は死ぬとき、『主がご覧になり、言い開きを求められるように。』と言った。」(22節)

祭司エホヤダはヨアシュを殺害しようとする者の手から彼を命がけで守りました。しかし、そのヨアシュ王は、命の恩人の子、ゼカリヤを助けるどころか殺害してしまいました。ある時、イエス様は言いました。

「こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。」(マタイ23:35共)

創世記に出てくるアベルから、ヘブル語聖書(旧約聖書)の最後の書に出てくるこのゼカリヤに至るまで、イエス様は預言者たちの死は忘れられていないと言います。「殉教者の血は、教会の種子」と呼ばれるように、無駄になることはありません。

2歴代誌 23章

「こうして、全集団が神の宮で王と契約を結んだ。そのとき、彼はこう言った。「ご覧のとおり、主がダビデの子孫について約束されたように、王の子が王となるのです。」(3節)

神の契約は、ダビデ王とその子孫に結ばれたものでした。興味深いことは、どんなにダビデの子孫を途絶えさせようという働きがあっても神の特別な守りがそこにあったということです。祭司エホヤダはヨアシュを隠し、ダビデの子孫が途絶えることはありませんでした。そして、イエス・キリストが永遠の王としてダビデの子孫から生まれます。神の私たちに対する約束も消え去ることはありません。たとえすべてが終わってしまったかのように見えても、神は不思議な方法で継続してくださいます。だから聖書は言います。

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)

2歴代誌 22章

「彼はアハブの家にならって主の目の前に悪を行なった。その父の死後、彼らが助言者となって、彼を滅びに至らせたのである。」(4節)

ヨラムの子、アハズヤが王になった時、聖書は彼のことをこう表現しています。

「彼もまた、母にそそのかされて、アハブ王の悪い例にならいました。」(3節LB)

昨日も見ましたように、アハズヤの母は、神の預言者を殺害し、バアル信仰を北王国の人々に強要したアハブ王の娘でした。アハズヤは、母を始めとするアハブ家の影響で悪い王になってしまいました。彼らの助言にいつも耳を傾けていたからです。この世で一番確実な助言者は、不思議な助言者(イザヤ9:6)と呼ばれるイエス・キリストです。ですから、いつも、イエス・キリストの言葉、聖書の言葉に耳を傾ける必要があります。聖書のみことばに聞き従うならば、滅びに至ることはありません。

2歴代誌 21章

「彼らの父は、彼らに銀、金、えりすぐりの品々など多くの賜わり物を与え、また、それとともにユダにある防備の町々を与えたが、王国はヨラムに与えた。彼は長男だったからである。ヨラムはその父の王国に立つと勢力を増し加え、その兄弟たちをひとり残らず剣にかけて殺し、また、イスラエルのつかさたちのうち幾人かを殺した。」(3,4節)

ヨシャパテ王は、父親としてこの世的にはすばらしい遺産を子供たちに残したはずでした。しかし、長男のヨラムは、神に背を向け、自分の兄弟たちを殺してしまいます。その理由の一つは、北イスラエル王国のアハブ王との関係です。

「アハブの娘が彼の妻であったからである。」(6節)

アハブ王は神の預言者を殺害し、バアル信仰を北王国の人々に強要した王です。人はどうしても自分が時間を費やしている人の影響を受けます。神を捨て去ったヨラム王は

「人々に愛されることなく世を去った」(20節)

とあります。考えるべき内容です。