2017年1月1日(日)新年礼拝は13時半から。
教会スタイルの初詣です。
神に礼拝を捧げて新しい一年をスタートしませんか?
一年の祝福のためにお祈りします。
教会は初めての方も歓迎します。
礼拝後に抹茶と和菓子を用意しております
(9時、10時半、18時の礼拝はありません。)
2017年1月1日(日)新年礼拝は13時半から。
教会スタイルの初詣です。
神に礼拝を捧げて新しい一年をスタートしませんか?
一年の祝福のためにお祈りします。
教会は初めての方も歓迎します。
礼拝後に抹茶と和菓子を用意しております
(9時、10時半、18時の礼拝はありません。)
「あなたの頭はカルメル山のようにそびえ、あなたの乱れた髪は紫色。王はそのふさふさした髪のとりこになった。」(5節)
7章の最初から、様々な形容詞を用いて相手を称賛する言葉が続いているため、少々読み進める気力が失われてしまった方もいるかもしれません。また、その形容に使われている言葉がわれわれには馴染みの少ない言葉(例えばヘシュボンの池、カルメル山など)であるため想像がつかない、という方もいらっしゃるでしょう。『あなたの頭は富士山のようにそびえ』などと言う人はいないと思いますが、とにかくこの箇所で感じるのは、自分の持てるすべての言葉を用いて相手をほめることは大切だということです。相手を傷つけたり、不快にさせたり、批判したり、打撃を与える語彙を増やしていくよりも、相手を認め、建て上げる語彙を増やしていくことができますように。
「女のなかで最も美しい人よ。あなたの愛する方は、どこへ行かれたのでしょう。あなたの愛する方は、どこへ向かわれたのでしょう。私たちも、あなたと一緒に捜しましょう。」(1節)
この節は、5章の『愛する方の紹介』に対する更なる応答の言葉です。私たちに適応するとすれば、イエス様の素晴らしさを私たちが余すところなく伝えた時、それを聞いた人々は、『私たちもあなたと一緒に捜しましょう』と応答する、ということであると思います。これは素晴らしい真理ではないでしょうか。
私たち自身がイエス様の中に生き、感じ、体験するならば、その私たちの姿をみて周りの人々に、「イエス様を知りたい」、という思いが生まれるということだと思います。味わってみなければ、そのおいしさを真に表現することはできません。まず、私たち自身がイエス様を体験していきましょう。
「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」(詩篇34:8)
「そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。」(16節)
この章の後半は質問と、応答の形式になっています。9節に、
『あなたの愛する人はどのような方なのですか。なにがすぐれているのですか。』
という問いかけがあり、10節以降に
『私の愛する方はこのような方です。』
という説明がなされているのです。これは、イエス様とは、どのようなお方なのですか?という質問にも理解することができると思います。私たちは、そのように誰かから問いかけを受けた時に、どのように答えるのでしょうか。まず、私たち自身がイエス様を知ることがなければ、本当の意味で答えることはできないと思います。私たちは、イエス様のことをどれくらい知っているのでしょうか。この箇所のように情熱的に答えられたらと願います。
「花嫁よ。私といっしょにレバノンから、私といっしょにレバノンから来なさい。アマナの頂から、セニルとヘルモンの頂から、獅子のほら穴、ひょうの山から降りてきなさい。」(8節)
パウロは、新約聖書において、教会とキリストとの関係を花婿と花嫁として描いています。その観点からこの箇所を読むととてもわかりやすく感じます。それは、イエス様が私たちに対してこのように愛を持って呼びかけておられる、ということです。
レバノンは、旧約の時代において異教の民が住む場所(フェニキア人の国)であり、バアル信仰を北イスラエル王国に持ち込んだ悪名高き王妃イゼベルは、フェニキアからイスラエルに嫁いできた人物でもありました。イエス様は私たちをそのような状態から救い出すためにこの地にこられ、『一緒に来なさい。』と、私たちの手をとって救い出してくださるお方です。
「没薬と乳香、貿易商人のあらゆる香料の粉末をくゆらして、煙の柱のように荒野から上ってくるひとはだれ。」(6節)
没薬と乳香、この組み合わせを読んで思い浮かべる聖書の場面がないでしょうか。新約聖書のキリスト誕生の時、東方から来た博士たちは救い主への贈り物として黄金、乳香、没薬を携えてきました。没薬とは、実は「ミイラ」の語源となった言葉でもあります。ご存じのように、それは、没薬が死者の埋葬の時に使用されたからです。ですから、そのところからキリストの地上においての使命を、東方の博士たちが理解していた、と考えることもできます。さて、雅歌のこの箇所において、7節以下は結婚の喜びが書かれています。しかしこの喜びの時に没薬が用いられていることは、結婚が「自分に死ぬ」ことであることを表現していると言えるのかもしれません。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。」(14節)
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは神の御子イエス・キリストが人となって、私たちの間に住まわれたことを覚え、祝う日です。岩波訳では14節をこのように訳しています。
「ことばは肉なる人となって、われわれの間に幕屋を張った。」
「幕屋」というのはただのテントではありません。出エジプトの間、イスラエルのただ中に張られ、神ご自身が宿られた「幕屋」のことです。
「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。」(出40:36,37)
イエス・キリストご自身が人となり、私たちの間に幕屋を張ってくださいました。ですから、私たちは自分の幕屋を造るのではなく、イエス・キリストを見上げて生きていけばいいのです。今日は主の日です。共にこの方に礼拝を捧げましょう。
※ 本日はクリスマス特別礼拝です。第三礼拝(18時)はお休みします。
クリスマスって何? 欧米の行事?
クリスマスの本当の意味をキリスト教会で体験してみませんか?
クリスチャンでなくても参加できます。
教会に行ったことがないという人も、歓迎します。
(備え付けの聖書がありますので、何も持たずにいらしてください。)
礼拝後持ち寄りの食事会(祝会)があります。
10時半から12時まで クリスマス特別礼拝
その後、祝会となります。
キャンドルを灯し、クリスマスの讃美歌を歌い、クリスマスのメッセージに耳を傾け、共にイエス・キリストのご降誕をお祝いしませんか?
教会に行くのは初めてという方も歓迎します。
入場無料(席上献金あり)
「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」」(15節)
メリークリスマス!
クリスマス、羊飼いたちはイエス・キリストを見にベツレヘムに出かけて行きました。そして、
「羊飼いたちは、天使が語ったとおり幼子に会えたので、神を賛美しながら帰っていきました。」(20節LB)
今、人は、教会の中でキリストに出会うことができます。(黙示録1:13参照)教会の頭はキリストです。教会はキリストのからだです。(エペソ1:22,23参照)ですから、クリスマス、羊飼いたちがそうしたようにキリストを探し求めて教会に集まることは理にかなっています。羊飼いたちが見たキリストは飼い葉おけに寝ていました。
「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(7節)
教会はキリストがいる場所であり、キリストを求める人がいる場所です。
本日、19時よりキャンドルサービス(燭火礼拝)がもたれます。