新型コロナウイルス対策について (3/14更新)

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、自粛が要請されていることを考慮して、引き続き以下のような対策をとらせていただきます。

1.主日礼拝はおこないます。
・のどの痛み、咳、発熱(37.3度以上)など風邪症状のある体調のすぐれない方、遠方から公共機関を使用して来られる方はお控えください。
・主日礼拝は、YouTubeのライブ配信を致します。また、インターネット環境がない希望者には、DVDを配布します。
・教会堂に入る人は、あらかじめマスクの着用をお願いします。入口のアルコール消毒液で手を消毒するようにお願いします。握手は控えてください。帰る前に、手洗い、消毒をお願いします。

2.主日礼拝以外の3月中の集会は中止します。
・重症化しやすい高齢者、基礎疾患のある方、妊婦の方への配慮として、平日の集会(ビブリオン、祈祷会)は中止します。
・3月20日に予定していたユース・イベントも延期します。
・祈祷会(金曜日)はYouTubeのライブ配信を致します。
尚、今後の推移を見守りますが、行政から集会などの自粛要請があった場合には更なる対応を 検討し、Facebookなどに情報を更新します。
教会として、新型コロナウイルス感染の一日も早い収束を祈ります。 冷静さを保ち、デマなどに振り回されることなく歩むことが出来ますように。

詩篇 33:12-22

「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」(33:18)

「主を恐れる」ことは重要です。神は愛なる神ですが、同時に聖なる神です。神への畏敬の念がなければ、神の恵みの世界を体験することはできません。私たちは、へりくだって、主の恵み、愛、真実を待ち望む姿勢が必要です。新約聖書にもはっきりこう書いてあります。

「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(1ペテロ5:5,6)

神は神であり、人は人です。神は創造主であり絶対者です。私たちは被造物であり、神になることは絶対にありません。神を恐れ、神の愛と恵みを待ち望みましょう。

箴言 7:1-5

「私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。」(7:2)

私たちは瞳を大切に扱います。目は、私たちが生きていくうえで大事な器官ということ以上にとてもデリケートな部分だからです。目に虫や小さな砂が入ってしまうだけでも体全体、時には精神的にも影響を与えます。目に対してこれほどの神経を使っているように、神の御言葉に対して私たちは神経を使って耳を傾けているでしょうか?御言葉が悪魔に持ち去られないようにとしっかりと守っているでしょうか。どのようにして私たちは神の教えをまもることができるのでしょうか。それは、『それほど大切なものである』ということを日々意識するということだと思います。御言葉をぞんざいに扱うのではなく大切にしましょう。

「それが生きる秘訣です。私のことばを宝物のように大事にしなさい。」(LB)

詩篇 33:1-11

「新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」(33:3)

私たちの社会は、常に新しいものが生み出されていきます。新製品という話だけではなく、旬の食材が食卓に並ぶ時、私たちは新鮮さを味わいます。私たちと神との関係も新鮮さが必要です。伝統的な歌も大切ですが、日々、新しい歌を覚えることに挑戦することも大切です。過去感動した聖句も大事ですが、日々、新鮮な気持ちで聖書を読んでいく必要があります。過去に感銘を受けた説教を心に留めることも大切なことですが、神が今という時に、説教者を通して語ろうとしていることに心を開いていく必要があります。神は今生きておられ、新しい事をなさる方です。

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)

詩篇 32:1-11

「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。」(32:7)

聖書の神は、私たちの罪を赦してくださるお方です。ダビデは言います。

「私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう。」と。すると、あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ、敬虔な人はみな祈ります。」(5,6節新改訳二〇一七)

罪を隠し、黙っているならば、疲れ果てます。ダビデは告白します。

「私には、罪を認めたくない時がありました。しかし、私はかえってみじめになり、来る日も来る日も挫折感にとらわれて過ごしました。」(3節LB)

ですから、ダビデは言います。

「私は神を信じる人々に、大声で忠告します。『自分の罪に気づいたなら、まだ赦される間意に神に告白しなさい』と。」(6節LB)

神こそ私たちの隠れ場です。苦しみから守り、救いの歌で囲んでくださいます。

※今日は東日本大震災から9年。被災者の方々を覚えて、お祈りください。

詩篇 31:19-24

「すべて、主の聖徒たちよ。主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。」(31:23)
「神の愛は世界の不思議」(21節LB)
とダビデは言います。この神の愛を黙想するならば、
「主を愛せよ」(23節新改訳二〇一七)
という命令を理解することができると思います。
「勇気を出せ。強くあれ。あきらめるな。すぐ神がここに来られることを期待せよ」(24節MSG)
と言うことも納得できると思います。
「主の聖徒たち」
が新改訳二〇一七では、
「主にある敬虔な者たち」
と訳されています。主を畏れ、主に誠実であることが求められているということだと思います。
「高ぶる者」
をMSG訳では
「傲慢にも単独で行く人」
と訳しています。イエス様は、
「あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ15:4)
と言われました。イエス・キリストが必要であることを認めることができますように。

箴言 6:30-35

「盗人が飢え、自分の飢えを満たすために盗んだとしたら、人々はその者をさげすまないであろうか。」(6:30)

「盗人が盗むのに空腹は言い分けにはならない」(MSG)と言います。盗みは盗みであり、その行為に対する代償はつきものです。これは、姦淫も同じですが、その代償はもっと大きいと言います。(32‐35節参照)盗みも姦淫も十戒に明記されています。第八戒が「盗んではならない。」(出20:15)第七戒が「姦淫してはならない。」(出20:14)。
これらの律法は私たちを守ります。ですからイエス・キリストは言われました。「ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」(マタイ5:19)

さびしいです。

仕方がないとはいえ、平日の集会がお休みの状態はとてもさびしいです。みなさん、いかがお過ごしですか?近況や祈りの課題など教えていただけると嬉しいです。金曜日の祈祷会はメディアチームが動画を配信してくれているので是非一緒に祈祷会に参加してくださいね。学校などもお休みになっていますが、皆家の中で過ごしているのか子どもの声は聞こえてきません。息を潜め、嵐が過ぎ去るのを待っているような、ちょっと浮足立っているような、、、これまでの日常とは違う空気が漂っています。今朝もサンドラッグの前には長蛇の列。それ以外の場所はまるでゴーストタウンのよう。でも、見上げると空はいつものように私たちを見つめ、夜には月や星が輝いています。せっかく家にいる時間が増えたのなら、これまでよりもたくさん聖書の御言葉を読むことをお勧めします。何に影響されているかで、私たちの生き方は大きく変わってきますから、不安になるもので心を埋めないで御言葉をばくばく、もりもり食べましょう!信仰のための大食いは大歓迎ですから。  (小山晶子牧師婦人)

詩篇 31:9-18

「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は、御手の中にあります。」(31:14,15)

ダビデは苦しみの中にありました。ダビデは言います。

「まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました。」(10節)

しかし、ダビデはそのような苦しみの中、

「捨て身で、私自身をあなたに投げます。」(MSG)

そして、言います。

「あなただけが私の神です。私の時はあなたの手の中にあります。」(LB)

新型コロナウイルスの影響がまだ収束しませんが、私たちは、主こそ神であることを認め、告白しようではないでしょうか。すべては神の御手の中にあることを認め、委ねようではないでしょうか。主は恵みによって、ご自身の信実によって私たちを救ってくださいます。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 31:1-8

「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を助け出してください。」(1節)

ダビデは告白します。

「主よ、あなただけが頼りです。どうか敵の横暴から私を守ってください。」(1節LB)

生きていく中で、神だけが頼りであることに気が付くことができるならば希望があります。使徒パウロもそうだったからです。
「自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。…やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。これからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。」(2コリント1:9,10LB)

神のもとに来る人を、神はがっかりさせることはありません。

「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」(箴言18:10)