詩篇119:1-8

「幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。」(119:2)

詩篇の中で最も長い詩篇119篇は八節からなら段落ごとに、全ての節が同じアルファベットから始まります。そして、アルファベット順になっています。ヘブル語のアルファベットが二二文字なので、22×8で176節になります。

最初はアレフ(א)です。

「幸いなことよ」(アシュレー)という始まりは詩篇一篇と同じですが、神によって啓示された道を歩見続けることが祝福であることが告げられます。祝福された人生を歩むためには、神の御言葉が必要です。それは、主ご自身を尋ね求めること(2節)、感謝すること(7節)でもあります。神の御言葉が主ご自身を尋ね求めるようにさせないならば、何かが間違っています。

詩篇118:17-29

「これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。」(118:24)

今日という日は、主が造られた日であり、今日という日を楽しみ、喜ぶように主は言われます。今日という日を感謝し、今日という日を生きること、それが神のみこころです。「設けられた」と訳された単語は「造られた」と訳すこともできますが、「行われた」と訳すこともできます。神は「今日」という日に御業を行われるお方です。

「家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」(22,23節)

人々が不必要と忌避し、棄てられたキリストが新しい時代の礎となりました。「不思議」(二フラー)とは歴史において実現した神の驚くべき御業を言います。私たちは神の「不思議」を通して、絶望を希望に変えてくださる神、人間には不可能に見えても、神にできないことはないという信仰が与えられます。

箴言24:15-22

「正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。」(24:16)

三〇の知恵の二七番から三〇番まで。

二七.正しい人に手出しをしてはいけない。正しい人は何度倒れても、起き上がる。(十五、十六節)

二八.敵の不幸を喜んではいけない。主が心を痛め、罰するのをやめるかもしれない。(十七、十八節)

二九.悪者のように成功したいと願ってはいけない。悪者に将来はないから。(十九、二〇節)

三〇.神を恐れ、指導者たちに敬意を持つこと。過激になり、反抗的にならない。警告なしに何が起こるか分からないから。(二一、二二節)

詩篇118:1-16

「苦しみのうちから私は主を呼び求めた。主は答えて私を広やかな地へ導かれた。」(118:5)

「苦しみ」と訳された単語(メーツァル)は狭い場所という意味があります。つまり、狭いところに追いやられる姿です。何もかも上手くいかず、狭い場所に追いやられているように感じるならば、その場所で、私たちは主を呼び求める必要があります。何よりも主が「わたしを呼べ。」(エレミヤ33:3)と言われていますから。主は私たちの祈りに答え、閉じ込められた所から広い所に導かれます。すなわち、解放を与えてくださいます。
「主に感謝せよ。なぜなら、主は良いお方(トーヴ)だから。主の信実の愛(へセド)はとこしえまで続くから。」(118:1私訳)イスラエル、アロンの家(祭司)、主を恐れる者たちは、エルサレム神殿における礼拝に集う人々全体が言い表されています。主に礼拝を捧げる人は、「主の信実の愛(へセド)はとこしえまで続く」ことを告白します。

詩篇117:1-2

「すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての国民よ。主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。ハレルヤ。」(117:1,2)

この詩は二節から構成されていて、詩篇の中で最も短い詩です。この詩は二つのことを歌っています。一つは国々に対して主なる神を賛美することが呼びかけられています。もう一つは、賛美をすべき理由です。神の恵み(へセド)とまこと(エメト)が私たちを圧倒するからと詩人は言います。イスラエルの民に対する神の信実が全世界に主をほめたたえる理由となるのは、イスラエルの民が優れていたからではありません。聖書は言います。「主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから・・・」(申命記七・七、八)イスラエルの救いは全ての人々の救いの雛形です。

詩篇116:12-19

「私は自分の誓いを主に果たします。御民すべての目の前で。」(116:14)

「自分の誓いを主に果たす」とは、祈りが聞き届けられたことに対して感謝を表すということです。個人的に密かにではなく、神の民と共に、公共の場で感謝するように呼びかけられています。

「主が私に良くしてくださったすべてに対し私は主に何と応えたらよいのでしょう。」(12節)

「人々の目の前でいけにえをささげます。」(14節LB)

主の宮に共に集まり、感謝を捧げることに意味があります。神の臨在に入るパスワードは「ありがとう」です。

「私はあなたに感謝のいけにえを献げ主の御名を呼び求めます。」(17節)

主の御名を呼ぶことは、主の前に立ち、主との対話に導かれることです。主が招かれています。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

箴言24:5-14

「わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。」(24:13)

30の知恵の二一番から二六番まで。

二一.知恵は力よりすぐれている。(5,6節)
二二.知恵は愚か者には手が届かない。(7節)
二三.愚かさは罪を巻き起こす。(8,9節)
二四.危機の中で落ち込んでいたら、何も始まらない。(10節)
二五.助けが必要な人を黙って眺めていてはいけない。(11,12節)
二六.知恵を見つけるなら、希望がある。
「はちみつが食欲をそそるように、知恵はあなたの心に賢くなりたいという意欲を起こさせます。それがあれば、希望にあふれた将来が約束されます。」(13,14節LB)

知恵はただキリストの内に見出せます。

「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3)

詩篇116:1-11

「私は、生ける者の地で、主の御前を歩みます。」(116:9)

私たちは「この地上で主の臨在の中で生きる」と言うこの詩人の思いを共有したいと思います。なぜなら、それが私たちのたましいを「全きいこい」(7節)に戻す唯一の方法だからです。詩人の思いは詩人の経験に基づいています。

「私は死に直面し、恐怖にかられ、悲しみのどん底に突き落とされました。私が『主よ、どうかお救いください』と叫ぶと、主は実にあわれみ深く、恵みを注いでくださいました。」(3-5節LB)

詩人は言います。

「身を乗り出して聞いてくださる主に、私は生きている限り祈り続けます。」(2節LB)

私たちはこの地上で生きている限り、祈りをやめてはいけません。主の臨在の中で生きるためには、祈り続ける必要があります。主は身を乗り出して聞いてくださっています。祈り続けましょう!

詩篇115:12-18

「主は私たちをみこころに留め、祝福してくださる。」(115:12)

私たちの神は、私たちを覚えてくださるお方です。

「主はいつも私たちを心にかけて、祝福してくださいます。」(12節LB)

一羽の雀さえ気にかけておられる主は、私たちのことを気にかけておられ、私たちを祝福してくださいます。すべての祝福は神から流れてきます。このお方は、

「天と地を造られた方」(15節)。

興味深いことに、聖書は続けてこう言います。

「天は主の天。地は主が人の子らに与えられた。」(16節)

「天」は主がおられる場所であり、主の領域であり、主のみこころが行われている場所です。しかし、私たちが生きているこの地は、

「人間にゆだねられています」(LB)

と言います。

私たちは神のみこころが天で行われているように、この地で神のみこころが行われるために存在しています。

詩篇115:1-11

「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。」(115:1)

私たちは全ての栄光を主に帰す姿勢が大事です。

「これを造る者も信頼する者もみなこれと同じ。」(8節)

と詩人が言うように、人は礼拝するもののようになります。偶像を礼拝する者は、偶像のようになると言います。人間を礼拝する者も、その人のようになります。私たちは、偶像でも、人間でもなく、ただ神を礼拝する者となるように聖書は言います。聖書の神は良い神であり、そのなすことも良いことです。(119:68参照)ですから、

「私たちの神は天におられ、やりたいことを何でもなされています。」(3節LB)

と言う表現は私たちに希望を与えます。